2016年4句(前日までの二句を含む)

April 2342016

 神のみぞ知ることの多すぎる春

                           稲畑廣太郎

成二十二年三月、と前書きがある。この一年後の平成二十三年三月から今日までのさまざまを思うとまさに、多すぎる、が今現在の実感として伝わってくる。掲出句が生まれたきっかけは何か個人的なことだったのかもしれないが、クリスチャンである作者の神に対する思いは常日頃からきっと深く、全ては神の思し召し、と受け止めていたと思われる。それでもそれにしても、と口をついて出た言葉がそのまま一句となっている。大地が芽吹き花が咲き、多くの人生の門出が祝われるこの季節に、その人生が思いもよらない方向へ行ってしまう出来事が次々起きる昨今。五、五、五、二、の破調が、そんな不本意な春をこの先もずっと語り残す。『玉箒』(2016)所収。(今井肖子)


April 2242016

 海猫低く翔べる羽風や春北風

                           藤木倶子

猫は、日本近海のカモメ類で最も多く、別称「ごめ」。本州で繁殖するただ一種のカモメである。春先にそれぞれの越冬地から繁殖地である近海の島にわたる。これが「海猫(ごめ)渡る」という春の季語である。青森県の蕪島、山形県の飛島、島根県の経島(ふみしま)が有名で、これらの場所では天然記念物に指定されている。春のまだ寒い季節に吹く渡る春北風(はるならひ)の中を風を切って低く飛翔している。人間の目線に近い低さでその風を切る音も聞こえそうである。今を生きる為に餌を求め、鳴きながらも、寒さに耐えて野生の命はみんな逞しく生きて行く。他に<一斉に光集めて福寿草><闇はじく争ひの目や恋の猫><侘しさを頒ちて傾ぐ春北斗>などが並ぶ。俳誌「俳句」(2015年4月号)所載。(藤嶋 務)


April 2142016

 つちふるやロボット光りつつ喋る

                           岡田由季

粉の襲来が収まったと思えば黄砂である。東京に来てからはあまり実感できないが、山口や北九州に住んでいた時には一晩で外に置いている車の表面がザラザラになるほどの量だった。「つちふる」という言い方は天に巻き上げられた砂塵が鈍い太陽の光にキラキラ天から降ってくるイメージを呼び寄せる。ロボットは光を明滅させながら喋るイメージだ。その共通項である「光りつつ」で両者を結び合わせている。冷たいジェラルミン材質のロボットに静かに降り続ける黄砂。人間によって入力された言葉を機械音声で繰り返し喋り続けるロボットへの哀感と悠久につながる時空間の取り合わせでイメージに広がりがでた句だと思う。『犬の眉』(2014)所収。(三宅やよい)




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