母の命日。その日も愛唱歌「千の風」に乗って桜が散っていた。(哲




2015年4月5日の句(前日までの二句を含む)

April 0542015

 朝寝して寝返りうてば昼寝かな

                           渥美 清

画『男はつらいよ』で親しまれた俳優・渥美清の句です。亡くなったのが1996年で没後20年ですが、親しみのある顔と愛嬌のある声質が、まだ瞼に耳に残っているせいか、つい最近までお元気だったような気がしています。いや、映画の寅さんは、これからも新しい観客の心の中で産まれ親しまれるでしょうから、渥美清は死んでも、寅さんは、映画と日本語が存続する限り、観る人の心の中で産声をあげるはずです。なぜなら、寅さんはベビーフェイスだからです。赤ちゃんだから、よく寝ます。「とらや」の二階で、旅先の旅館で、よく横たわっていました。「とらや」のおじちゃんと喧嘩をしては、二階に上がって不貞寝をし、「いつまで寝てるんだよ、寅」と、はたきをかけているおばちゃんに、朝寝をたしなめられていました。掲句も、そんな寅さんの自堕落な午前中を描いているようにも思われます。しかし、朝から昼へとモンタージュで編集するところに、映画人が作った俳句だな、と感心します。また、「朝寝」という春の季語から「昼寝」という夏の季語へと一気に飛躍できるところに、この人の心の中に棲む風羅坊を感じます。ほかに、「朝寝新聞四角いまままっている」。俳号は風天。『赤とんぼ』(2009)所収。(小笠原高志)


April 0442015

 ニセモノのあつけらかんと春麗

                           岩田暁子

物とニセモノは違うのだな、とこの句を読んで思った。偽物、と書くとそこには、騙そうとする悪意が見えるが、ニセモノ、と書かれるとまさに、あっけらかん、という言葉がぴったりくるようななんちゃって感が生まれる。それは、本物と見紛うほどよくできているかどうかとは別で、思わず失笑してしまう偽キャラクター人形などは、騙すという意識さえない図々しい偽物だろう。この句のニセモノの正体はわからないが、作者はその明らかなニセモノぶりを楽しんでいる。「うららか、はそれだけで春なので、春うらら、と重ねるのはあまり感心しない」と言われることもあるのだが、この句の場合は、春麗、と重ねた文字が大らかにニセモノにも光をあてて、まさに春爛漫という印象だ。『花文字』(2014)所収。(今井肖子)


April 0342015

 吉野よき人ら起きよと百千鳥

                           川崎展宏

野は佳いな・みなさん目を覚まして見てごらんと・百千鳥が鳴いて知らせた、と言うところか。吉野は奈良県の吉野山、桜の名所で知られている。いま吉野山は霞か雲かと見紛う桜爛漫の季節である。そんな中を百とも千とも沢山の鳥たちが囀っている。喜びに満ちた囀りの只中に身を置けば誰でも吉野を讃歌したくなる。時は今、鳥も人も一様に桜に魅せられて寝ているどころではない。他に<桃畠へ帽子を忘れきて遠し><「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク><壊れやすきもののはじめの桜貝>など。「俳壇」(2013年4月号)所載。(藤嶋 務)




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