だんだん夕方の明るい時間が伸びてきましたね。春が待ち遠しい。(哲




2014句(前日までの二句を含む)

January 0712014

 よく食べてよく寝て人日となりぬ

                           青山 丈

日の起源は、古代中国の占の書からきており、一日から六日までは家畜、七日は人を占い、当日が晴なら吉、雨なら凶とされた。江戸時代では人日は公式行事となって、七草粥を食べて邪気を祓い無病息災を祈年する祝日とされた。正月の美食で疲れた胃を休める効果もあり、現在でも七草粥は正月行事の締めくくりとして風習に残る。掲句のもうはや七日と思う感慨には、ご馳走を重ね寝正月を決め込んだのちの満ち足りた心持ちとともに、明日から始まる日常のせわしさが懐かしいような恋しいような気分も含んでいる。それは浦島太郎がおもしろおかしく竜宮で過ごした日々を捨てて故郷に帰りたくなった気持ちにも似て、安穏が幸せとは限らないという人間の面白さでもある。『千住と云ふ所にて』(2013)所収。(土肥あき子)


January 0612014

 七種粥ラジオの上の国家澄み

                           須藤 徹

日早いが、「七種」の句を。ラジオを聞きながら、作者は七種粥を前にしている。万病を除くという七種粥の祝膳に向かっていると、普通の食膳に対しているときとは違い、作者はいささかの緊張感を覚えている。七種粥は味を楽しむというよりも、この神妙な緊張感を保ちながら箸をつかうことに意義がありそうだ。おりからのラジオは、今年一年の夢や希望を告げているのだろう。その淑気のようなものとあいまって、七種粥のありようも一種の神々しさを帯びて感じられる。国家も、そして何もかもが澄んでいるようだ。が、作者はかつて国家が澄んだことなど一度もないことを知っている。知っているからこそ、国家が澄んでいるのはラジオの上だけのことと、いわば眉に唾せざるを得ないのである。いや、眉に唾しておく必要を強く感じているのだ。人は誰しもが雰囲気に流されやすい。時の権力は、いつでもそこを実に巧みに突いてくる。対して、身構えることの必要を、この句は訴えている。なお、作者の須藤徹氏は昨年六月に66歳の生涯を閉じられた。合掌。「ぶるうまりん」(27号・2013)所載。(清水哲男)


January 0512014

 白山の初空にしてまさをなり

                           飴山 實

山は、石川県白山市と岐阜県白川村の間に聳える霊峰です。古代より山岳信仰の対象として崇められ続け、白山神社は日本各地に2700社余り鎮座しています。信仰の有無にかかわらず、新春の朝、白山を仰げるのは喜ばしいことでしょう。その初空は真青です。白山が雪を冠して白いゆえに初空はいよいよ青く、初空が真青ゆえに白山はいよいよ白い。年初にふさわしい色彩の対置です。ニュートンの色彩論によると、青は広がりやすい波長を備えているので空や海は青く広がるらしいのですが、掲句の「まさを」というひらがなの語感にも、そのような青の広がりがふくまれているように感じられ、「白山」の凛とした輪郭と対照をなしています。掲句の要素を取り出してみると、「山・空・白・青」、そして、詠み手の主観である「初」です。何のドラマもありません。しかし、青空に聳える白山を眺めて、この一年が始動しています。作者は、「まさを」を半紙に「白山」と書き初めをしたのでしょう。『次の花』(1989)所収。(小笠原高志)




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