December 222013
いつの間にうしろ暮れゐし冬至かな
角川春樹
冬至の日暮れです。「いつの間に」、日が暮れてしまったのだろうという驚きがあります。続く「うしろ」の使い方が巧妙です。暮らすということは、掃除でも、料理でも、前を向くこと、次の手順をこなすことです。生きているかぎり、好むと好まざるにかかわらず、私たちは、「前向き」に行動し、予定を気にしながら、先のことを考えて暮らしています。しかし、掲句は、「いつの間にうしろ」と書き出すことで、驚きながら、うしろを振り返る身振りを読み手に与えます。ふり返ると一日が終わり、一年が終わっていく。冬至の暮れは早く、東京では16時32分。一年のあれやこれやが思い起こされ、暮色に消え、長い夜を過ごします。「存在と時間」(1997)所収。(小笠原高志)
December 212013
吹雪くなり折々力抜きながら
関 木瓜
青森県鰺ヶ沢に住む知人から、ぜひ真冬に一度いらっしゃい、と言われているがなかなかその機会がない。雪らしい雪といえば北海道に流氷を見に行った折に出会ったくらいで、ましてや吹雪を体感したことなど皆無なのだが、この句の、力を抜く、という表現には臨場感があるように思う。ただただ吹雪いている中、風に緩急があるのだろう、それがいっそう生きものが襲ってくるような恐ろしさを感じさせる。網走に旅した時の作と思われるが、吹雪に慣れていない旅人らしい視点で作られた一句。『遠蛙』(2003)所収。(今井肖子)
December 202013
天ぷらの海老の尾赤き冬の空
波多野爽波
天ぷらの海老の尾が赤いというのは、普段、誰もが目にしている。常識である。しかし、その赤い海老の尾は、下五「冬の空」と配合されることによって、モノとしての不思議な実在感を感じさせるようになる。海老の天ぷらは、当然のことながら、家の中、あるいは食堂の中に置かれている光景であろう。それに対して、冬の空は、外の光景である。この配合には、大きな飛躍がある。それでいて、天ぷらの海老の赤い尾は、あたかも、それ自体を真っ青な冬空にかざしているかのように、視覚的に強い結びつきがある。これは、嘱目の句としては作りにくい。爽波俳句は、心象風景の印象をもたらすことが、しばしばあるが、これも、そうした一句であろう。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)
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