斉田 仁の句

April 3042013

 落椿しばらく落椿のかたち

                           斉田 仁

花を称するには「散る」が一般的だが、椿だけは「落ちる」という。花のかたちが似ている椿と山茶花も、花の終わりで容易に区別ができる。花弁が一枚ずつはらはらと散る山茶花に対して、椿は花冠と雄蕊ごと落ちる。そして根元の部分が重いため、椿はどれも花を見せるように仰向けに落下する。そこが土でも、草でも、石の上でさえも、かたくなに天を向いて落ちる。そう痛んだ様子も見せず、黄金色の蕊をきらめかせながら、それはまるで地から咲いた花のような、不思議な美しさを湛えている。椿は固いつややかな葉で覆われているため、実際の花数は見た感じよりずっと多いことから、樹下が深紅の椿で敷き詰められているような幻想的な景色に出会うこともある。また、江戸時代に描かれた『百椿図』は、ありとあらゆるものに椿を取り合わせた絵巻物だ。どれも花を生けるというより、配置されているように見えるのは、やはり落ちた椿に抜き差しならぬ美を見出していたからだろう。〈朧夜は亀の子束子なども鳴く〉〈シャボン玉吹く何様のような顔〉『異熟』(2013)所収。(土肥あき子)


October 24102013

 中也忌の透明傘の中の空

                           斉田 仁

明のビニール傘の中から空を見ているのは自分だろうか。「の」の助詞のたたみかけで読み手を透明傘の中まで引っ張ってゆく。中原中也は丸い帽子を被った写真が有名で中也と言えば教科書にあったその写真が思い出される。透明傘は丸い帽子の形状と連想が結びつくし、透明傘を透かして見る空に中也の詩にある叙情性を思う。哀しみを宿す人の心に直に語りかけてくるような中也の詩。掲句から「生い立ちの歌」の一節を思った。「私の上に降る雪はあられのやうに降りました/私の上に降る雪は雹であるかと思われた/私の上に降る雪はひどい吹雪とみえました」きっと彼は触れると飛び上がるほど鋭敏な感受性を持っていたのだろう。ことに幼い息子を失った中也の嘆きは何にも癒されることがなかった。息子を亡くした翌年死去。忌日は十月二十二日、墓は故郷の山口市にある。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


January 0212014

 恵方から方向音痴の妻が来る

                           斉田 仁

方は「正月の神の来臨する方角」、その年の「歳徳神(とくとくしん)」のいる方角を表す。初詣はもともとその年の恵方の社寺にお参りする「恵方参り」だったそうで、本年は東北東のやや右が恵方になるという。そう言われても東西南北もろくにわからない方向音痴の妻には関係ないだろう。そんな妻が年神さまと一緒の方角からやってくる。たまたまだろうけど、何だかめでたいおかしさだ。私も、デパートに入って違う出口から出ただけでたちまち方角がわからなくなる「方向音痴の妻」の一人だけど、今日ぐらいは頑張って恵方にある社寺を探し初詣に行ってみたい。『異熟』(2013)所収。(三宅やよい)


May 0852014

 黄金週間終わるブラシで鰐洗い

                           斉田 仁

休明けのがらんとした動物園での一コマ。生きていても剥製のように動かない鰐だけどゴールデンウイークに沢山の人の視線を背中に集めて疲れただろう。ゴシゴシとブラシでその背中を洗われて気持ちよさそう。ゴールデンウイークを黄金週間と表記したことで「黄金」という言葉の硬質感とごつごつの鰐の背中の硬さが響き合っていい感じだ。鰐の背中を洗うブラシの音まで聞こえてきそう。「俳句が出来ないときは動物園に行ったらいいよ」と俳句を始めたころ一緒に句会をやっていた年上の俳人からアドバイスをもらった。動物は楽しい想像力をかきたててくれるからだろうか。連休明けの一日、ベンチに座って動物たちをぼんやり眺めるのもいいかもしれない。『異熱』(2013)所収。(三宅やよい)




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