いつまで寒い東京。あと一ヶ月で桜が咲くなんて信じられない。(哲




2013年2%句(前日までの二句を含む)

February 2622013

 一所懸命紅梅も白梅も

                           西嶋あさ子

HK放送文化研究所によると、「一所懸命」は武士が賜った「一か所」の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きたことに由来した言葉で、これが転じて「物事を命がけでやる」という意味となったという。そのうち文字のほうも、命がけで守り通すことから、一生をかけての意味を強め「一生懸命」とも書かれるようになったようだ。今では「一生懸命」と表記・表現される場合が多くなり、多くの新聞や雑誌、放送用語で統一して使用されているという。しかし、掲句を見ると、やはり「一所」でなければならないことが確かにあると思う。ひとところを死守するのは、人間も植物も同じである。毎年同じ場所で、同じ枝からほつりほつりとほころび始める。梅の花がことにつぶらで健気に感じられるのは、冴え返る清冽な空気によるものだろう。一所懸命という音には、凛々しさとともに、痛々しいような切なさもどこかに感じられる。身を切る空気のなかで咲く梅のもつ不憫さも、この言葉は抱えているのである。〈光かと見えて燕の来たりけり〉〈蝌蚪の紐こはごは覗く確と見る〉『的礫』(2013)所収。(土肥あき子)


February 2522013

 パリパリの私のきもち春キャベツ

                           紀本直美

が来た喜びを、新鮮でパリパリの春キャベツに託している。なんのけれん味もなく、天真爛漫に詠まれたこの句を読むと、こちらまでが愉快な心持ちになってくる。春を迎えた気分は、こうでなくてはいけない。でも、私には違う気分の春もあった。昭和三十三年、大学に入学して宇治に下宿したてのころである。当時の宇治は観光名所ではあったけれど、町には一軒の喫茶店もなく、適当な飲み屋もなかった。昼間は修学旅行生でにぎわうが、夜になれば急に森閑としてしまう。そんな夜に、友人になったばかりの詩人・佃學(故人)とよく飲みに行ったのが、宇治橋のたもとに出ていた屋台であった。そこで安酒をあおりながら、いつも食べていたのが春キャベツだったのだ。べつに風流心からじゃない。その屋台では、キャベツだけはいくら注文してもタダだったからという情けない理由による。佃も私も、相当に鬱屈していた。青春に特有の世間への反発心がそうさせていたのだろう。パリパリとキャベツを噛みながら、暗い宇治川の川面をめがけて、それが口癖だった佃の「くそ喰らえっ」という咆哮を、つい昨日のことのように思い出す。『さくらさくさくらミルフィーユ』(2013)所収。(清水哲男)


February 2422013

 暮雪飛び風鳴りやがて春の月

                           水原秋桜子

書に、「八王子は天候の急変すること多し」とあります。作者は、昭和二十年の東京空襲で自宅・病院・学校を焼失し、八王子市中野に転居。掲句は、昭和二十四年の作です。八王子は、東京から内陸へ約40km、奥多摩山地のふもとで、東側は平地、西側は盆地のような地形ですから、都心とは気温・気候は違って、冬は3℃くらい低く、夏は3℃くらい暑い内陸型の気候で、前書のとおり、たしかに天候が急変することの多い土地です。関東地方は、立春を過ぎてから一度まとまった雪が降って、それからようやく春を迎えることが多く、これはたぶん、西風から東風に切り変わる時の現象でしょう。ですから掲句は、春一番ならぬ春を告げる暴風雪。暮れ時から夜にかけて、街の色彩がモノクロの闇へと移り変わる中、雪の白が斜めにドローイングしているようです。また、「ボセツ・トビ・カゼ」と濁音が連なり、吹雪を音標化しています。五七五は、動・動・静へと納まって、春の月は澄み、清らかです。昭和二十四年の心持ちとして読むのは方向違いでしょうが、叙景そのものから、人と時代の背景を推測する寄り道も、俳句には許されているように思われます。以下蛇足。森進一さんに歌っていただきたい句です。森進一さんの声は、吹雪、風鳴り、しぶきの声です。森進一さんの声を聴くとき、その濁音は、じかに鼓膜をふるわせます。尺八のむら息もそうですが、日本の耳は、噪音を求めているところがあります。「水原秋桜子集」(1984・朝日文庫)所収。(小笠原高志)




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