May 282012
ビールないビールがない信じられない
関根誠子
ええっ、そりゃ大変だ。どうしよう。ビール好きだから、ビールの句にはすぐに目が行く。たしかに買っておいたはずのビールが、「さあ、飲みましょう」と冷蔵庫を開けてみたら、見当たらない。そんなはずはないと、もう一度奥のほうまで確かめてみるが、影も形もない。そんな馬鹿な……。どうしたんだろう、信じられない。作者の狼狽ぶりがよくわかる。同情する。ビールという飲み物は、飲みたいと思ったときに、冷たいのをすぐに飲めなければ意味がない。精神的な即効性が要求される。そんなビールの本性を、この句はまことに的確に捉えている。「酒ない酒がない…」では、単なるアル中の愚痴にしかならないが、ビールだからこその微苦笑的ポエジーがにじみ出てくる佳句だ。念のためにいま我が家の冷蔵庫をのぞいたら、ちゃんとビールが鎮座していた。あれが今宵、まさか消えてしまうなんてことはないだろうね。『季語きらり100 四季を楽しむ』(2012)所載。(清水哲男)
May 272012
愛憎や指に振子のさくらんぼ
山本花山
たとえば、男と女が大喧嘩をして、男が出て行ったあと、女はさくらんぼの芯を指でつまみ、振り子のようにもてあそんでいます。愛憎という情動の振り子には、じつはさくらんぼと同じように噛めば甘く、しかし噛み切れない種があります。それは、吐き捨てられることもあれば、土に播かれて芽を出すこともあるでしょう。人の愛憎が、一粒のさくらんぼと同じ重みをもつ程ならば、すこし心が軽くなります。俳句に「愛憎」という言葉は通常使いませんが、「や」で切ったあと、「指」で爆発していた情動を小さくして、「振子」で熱を冷まし、「さくらんぼ」で浄化して、定型に納まりました。掲句でもし、女が指でさくらんぼをもてあそんでいるならば、掌中の珠のように、二人の関係の主導権を握っているということでしょうか。男からすれば、ちょっと困った解釈になってしまってどーもすいません。「現代俳句歳時記・夏」(2004・学研)所載。(小笠原高志)
May 262012
身勝手の叔母と薄暑の坂下る
塚原麦生
炎暑や残暑は、やれやれという暑さだけれど、薄暑は、うっすら汗ばむこともあるくらいの初夏の暑さなので、その時の心情によって感じ方が違うのかもしれない。掲出句、身勝手という一語に、困ったもんだなあ、という小さいため息が聞こえてきて、ちょっとうっとおしい汗をかいているのかもと思ったが、ふと友人の叔母上の話を思い出した。彼女と友人の母上は、芸術家肌で自由奔放な妹ときっちりと真面目な姉、という物語になりそうな姉妹。友人が子供の頃、叔母上は近所の腕白坊主の集団の先頭に立ってガキ大将のようだったという。仕事も恋も浮き沈み激しく、家族や親戚にとってはいささか悩みの種だったというが、友人は彼女が大好きで、長い一人暮らしの間も一人暮らしができなくなってからも近くで過ごし、最期を看取った。母親ほど絶対的でない叔母、親子とも他人とも違う距離感の叔母と甥。身勝手な、ではなく、身勝手の、だから少し切れて、この叔母上も愛されているのだろう。そう思うと、心地よい薄暑の風が吹いてくるようだ。「図説大歳時記・夏」(1964・角川書店)所載。(今井肖子)
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