正月は雑煮も作らないことに決めた。他の食料を確保しておかねば。(哲




2011年12月28日の句(前日までの二句を含む)

December 28122011

 てっさてっちり年を忘れる雑炊や

                           阿部恭久

の鍋料理は各種あって、それぞれの味わいがある。鍋を囲んでの団欒に寒さも吹っ飛んでしまう。特に冬が旬のアンコウやカモもいいけれど、やはりフグが一番か。フグで年忘れとは豪儀なものだ。「てつ」は関西では「フグ」を意味するから、「てっさ」は「フグ刺」。「てっちり」は言うまでもなく「ちり鍋」つまり「フグ鍋」。「てつ」は「鉄砲」で、毒に当たれば死ぬということ。今はフグを食べる誰もが「鉄砲」も「毒」も本気で意識はしないだろうが、昔は美味と毒とが隣り合っていてスリリングではあれ、とても「年を忘れる」どころではなかったかもしれない。フグは「少々しびれるくらいでないとアイソがない」とうそぶく御仁もたまにいらっしゃる。 今冬、毒を除去しないフグを売って営業停止になった上野の大手魚屋さんがあった。落語の「らくだ」になってしまってはたまらない。もちろん、今でも油断はできない。掲句は刺身から雑炊に到るフグのフルコースで年を忘れるというわけだから、来年はきっといいことがあるでしょう。恭久の「食ふ輩」十句には「蕎麦で越し餅を食ひけり詣でけり」「大寒や但馬牛来たり食ひにけり」など食欲旺盛な句がならぶ。「生き事」7号(2011)所載。(八木忠栄)


December 27122011

 温め鳥由の字に宀(うかんむり)かぶす

                           中村堯子

談社日本大歳時記の森澄雄の解説によると「暖鳥(ぬくめどり)」とは「鷹は寒夜、鳥を捕えて、その体温でおのが足を暖め、夜が明けると放ってやるという。連歌作法書『温故日録』にはその鷹は鶻(こつ)となっているが、鶻は放った鳥の飛び去る方を見て、その日はその鳥を捕えないという。」と書かれている。最後の「その日はその鳥を捕えない」という部分に強者が弱者へほどこす慈悲を感じ、真偽のほどより報恩の話しとして事実を超えた季語のひとつである。掲句の由の字に宀をかぶせれば宙になる。ひと晩を生きた心地のしなかった小鳥が放り出された空中を思い、また宀の形が鷹のするどい爪根を思わせる。いつまでもあたたまらない指先をストーブにかざしながら、鳥の逸話と漢字が一致する不思議な一句が心を捕えて離さない。〈鳥渡る紙を鋏がわたりきり〉〈ハンカチを膝に肉派も魚派も〉『ショートノウズ・ガー』(2011)所収。(土肥あき子)


December 26122011

 行く年や一編集者懐かしむ

                           榊原風伯

家や評論家などの著者が、かつての担当編集者を懐かしんでいるともとれるが、この場合はそうではない。作者は私の河出書房「文芸」編集部時代の同僚だったし、河出退職後も編集者を勤めた人だから、「一編集者」とは作者自身のことだ。どんな仕事でもそうだろうが、月刊誌編集者の年末も多忙である。というよりも、普段の月とは仕事のリズムが激変するので、退職してからも年末のてんてこまいは特別に記憶に残るのである。忙しさは、しかしクリスマスを過ぎるあたりで、急ブレーキでもかかったかのように霧消してしまい、仕事納めまでの何日間かは今度はヒマを持て余すことになる。このいわば空白期に、大げさに言えば、編集者は「行く年」とともに一度死ぬのである。再び生き返るのは、年が改まってからの数日後であり、それまでのわずかな期間は編集者としてのアンテナや神経をたたんでしまう。つまり、職業人的人格を放棄するというわけだ。そんな年末の曲折のことを、作者は「過ぎ去ればすべてなつかしい日々」(永瀬清子)とでも言いたげに、ひとりぽつねんと回顧している。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)




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