November 062008
立冬のクロワッサンとゆでたまご
星野麥丘人
クロワッサン、と聞くと私などは長年親しんだ女性雑誌の名前が思い浮かぶ。ちょっと小粋なパンの名前が醸し出すおしゃれなイメージに期待して命名されたのだろう。確かにこのパンの名前にはアンパンやメロンパンとはひと味違うよそいきの雰囲気がある。掲句はもちろん三日月形のパンそのものだろうが、このクロワッサンはおいしそうだ。かさこそ音をたてる落葉道を散歩していると、店先からパンを焼く香ばしい匂いが流れてくる。思わず買ってしまったパンのぬくみを紙袋に感じつつ帰宅。濃くいれた熱いコーヒーにゆで玉子を添えて朝の食卓を囲む。そんなシーンを思い描いた。パリパリと軽いクロワッサンの感触とつるりと光るゆでたまごの取り合わせも素敵だ。一見何の技巧もなく見えるが、これだけの名詞を並べるだけで立冬の朝の気分をいきいき感じさせている。この句集には「立冬の水族館の大なまず」(「なまず」は魚偏に夷の表記)などの楽しい句もあって、気負いなく寒い冬を受け入れようとする作者の自在な心持が感じられる。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)
November 052008
それぞれに名月置きて枝の露
金原亭世之介
仲秋の名月をとうに過ぎ、月に遅れて名月の句をここに掲げることを赦されよ。芭蕉や一茶の句を挙げるまでもなく、名月を詠んだ句は古来うんざりするほど多い。現代俳人・中原道夫は「名月を載せたがらざる短冊よ」と詠んだ。掲出句は月そのものを直に眺めるというよりは、何の木であれ、その枝にたまっている露それぞれに宿っている月を観賞しているのである。雨があがった直後にパッと月が出た。この際「名月」と「露」の季重なり、などという野暮を言う必要はあるまい。実際にそのように枝の露に月が映って見えるかどうか、などという野暮もよしましょう。露ごとに映った月、露を通した月は、直に眺める月よりも幻想的な美しさが増幅されているにちがいない。露の一粒一粒が愛らしい月そのものとなって連なり輝いている。名月で着飾ったような枝そのものもうれしそうではないか。「置きて」がさりげなく生きている。名月の光で針に糸を通すと裁縫のウデが上達する、という言い伝えがあるらしい。うまいことを風流に言ってみせたものである。世之介は10代目馬生(志ん生の長男。志ん朝の実兄)に入門し、勉強熱心な中堅落語家として、このところ「愛宕山」や「文七元結」などの大ネタで高座を盛りあげてくれている。「かいぶつ句集」43号(2008)所載。(八木忠栄)
November 042008
十一月自分の臍は上から見る
小川軽舟
臍には「へそまがり」「臍(ほぞ)を噛む」など、身体の中心にあることから派生したたくさんの慣用句がある。そして、掲句の通り、確かに自分の臍は、鏡に映さない限り、普段真上から見下ろすものだ。身体の真ん中にある大切な部位に対して「上から見る」の視線が、掲句にとぼけた風合いを生んでいる。自分の身体を見ることを意識すると、足裏のつちふまずはひっくり返してしか見ることはできないし、お尻は身体をひねってやっぱり上からしか見ていない。つむじやうなじなど、自分のものであるはずなのに、どうしたって直接見ることのかなわない場所もある。十一月に入ると、今年もあとたった二ヵ月という焦燥感にとらわれる。年末というにはまだ早いが、今年のほとんどはもう過ぎていった。上から眺める臍の存在が、十一月が持つとらえどころのない不安に重なり、一層ひしゃげて見えるのだった。〈夜に眠る人間正し柊挿す〉〈偶数は必ず割れて春かもめ〉『手帖』(2008)所収。(土肥あき子)
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