武井清子の句

August 2682008

 八月のからだを深く折りにけり

                           武井清子

を二つに折り、頭を深く下げる身振りは、邪馬台国について書かれた『魏志倭人伝』のなかに既に記されているという長い歴史を持つ所作である。武器を持っていないことを証明することから生まれた西洋の握手には、触れ合うことによる親睦が色濃くあらわれるが、首を差し出すというお辞儀には一歩離れた距離があり、そこに相手への敬意や配慮などが込められているのだろう。掲句では「深く」のひとことが、単なる挨拶から切り離され、そのかたちが祈りにも見え、痛みに耐える姿にも見え、切なく心に迫る。引き続く残暑とともに息づく八月が他の月と大きく異なる点は、なんとしても敗戦した日が重なることにあるだろう。さらにはお盆なども引き連れ、生者と死者をたぐり寄せるように集めてくる。掲句はそれらをじゅうぶんに意識し、咀嚼し、尊び、八月が象徴するあらゆるものに繊細に反応する。〈かなかなや草のおほへる忘れ水〉〈こんなふうに咲きたいのだらうか菊よ〉〈兎抱く心にかたちあるごとく〉『風の忘るる』(2008)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます