テ絞q句

January 2912008

 春待つや愚図なをとこを待つごとく

                           津高里永子

辞苑の「愚図(ぐず)」の項は、「動作がにぶく決断の乏しいこと。はきはきしないこと。またそういう人」と、まるで役に立たぬ人のようにばっさり斬られている。しかし「ぐず」という日本語には、ことに女性が異性に対して言葉に出す場合には、単に侮蔑だけではなく、「宿六」などと同じ甘やかなのろけも多少含まれる。この語感の、のんびりとしたぬくみが、春待ちの気分と掲句をしっくり結びつけているところだろう。春が訪れるまでの三寒四温。あたたかかったり寒かったり、せっかちのわたしなどは「一体今日はどっちなの」と、どこに向けるともなく八つ当たりしてしまうのだが、これを「愚図な男」と形容したところにも、待つ側の余裕や貫禄が感じられ、おおらかに心地良い。まだまだ寒い日が続くが、日脚は着実に伸びている。ぐずで一途ゆえに切ないまでに魅力的な男、といえば思いっきりベタではあるけれど山本周五郎の『さぶ』でも読んで、今年はのんびり春を待とうかと思う。〈見えてくる綿虫じつとしてゐれば〉〈仕事しに行くかマフラー二重巻〉『地球の日』(2008)所収。(土肥あき子)


February 2622008

 あいまいなをとこを捨てる春一番

                           田口風子

週土曜日、2008年2月23日。関東地方では昨年より9日遅く春一番が吹いた。鉄道は運転を一時中止し、老朽化したわが家を揺らすほどの南風は、春を連れてくるというより、冬を吹き飛ばす奔出のエネルギーを感じる。だからこそ、過去を遮断し決断する掲句の意気込みがぴったりくるのだろう。先月末に〈春待つや愚図なをとこを待つごとく 津高里永子〉を採り上げたが、掲句がハッピーエンドの後に控えた後日談に思えてしかたがない。冬の間、かわいいと思った不器用な男も、春先になればなぜか欠点ばかりが見えてくる。なにもかもすてきに思えるロマンス期が過ぎて、恋愛の継続に不安や疑問が頭をもたげる時期に激しい春一番が背中を押してくれたようなものだ。しかし、春一番が吹いたあとは、寒冷前線南下の影響で必ず冷たい日々が待っている。捨てた女の方にだってすぐに幸せが待っているわけではない。どちらも本物の春を目指してがんばれ♪〈秋の声聞く般若面つけしより〉〈すひかづら後ろより髪撫でらるる〉『朱泥の笛』(2008)所収。(土肥あき子)


January 3112009

 雪積むや嘴美しき折鶴に

                           津高里永子

り紙で鶴を折る時、最後に折るのがくちばし、嘴(はし)だ。そして羽を広げると完成。いつ誰に教わったのか、確かな記憶のないまま、鶴の折り方は手が記憶している。私が勤めている学校では、中学一年数学の立体の授業で折り紙を使う。糊もはさみも使わずに、正方形の折り紙を折り込むだけで、正三角形や正五角形のユニットができ、それを組み立てると、さまざまな正多面体と呼ばれる立体ができあがる。余った折り紙で、器用にあれこれ折っている子もいれば、最近は、鶴を折ったことがない、という子もいてさまざま。この句の折鶴は、屋外に置かれた千羽鶴だ。願いをこめて、あるいは祈りをこめて、ささげられた千羽鶴。目の前の千羽鶴に雪が降っているのかもしれないが、千羽鶴の置かれた地を、遠く離れて思っているような気がする。雪は、もののかたちに積もり、やがてすべてを覆いつくす。美し、は、限りなく、悲し、に近いけれど、尖った折鶴の嘴の先に美しい雪解雫の光る春が、かならずめぐって来る。『地球の日』(2007)所収。(今井肖子)




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