岸本尚毅の句

August 2482007

 みづうみの水のつめたき花野かな

                           日野草城

体形で何々かなに掛ける。虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」もある。つめたいのは花野ではなくて水。日が当っているのは枯野ではなくて遠山である。最近では岸本尚毅の「手をつけて海のつめたき桜かな」も同様。こういう用法と文体はいつの時代に誰が始めたのだろう。何だって最初はオリジナルだったのだ。起源を知りたいとは思うがわかっても実作にはつながらない。自分のオリジナルを作りたい実作者にとっては用法の起源はあまり意味を持たない。古い時代の用法をたずねて今に引いてくるのは昔からよくあるオリジナルに見せかける常道である。新しい服をデザインする発想に行き詰ったら、そのとき古着のデザインに習えばいいと思うのだが。この句、水と花野の質感の対比、みづうみと花野の大きさの対比。二つの要素の対比、対照によって効果を出している。草城のモダニズムは自在にフィクションを構成してみせたが、誓子や草田男のように、文体そのもののオリジナルに向ける眼差しは無かった。そこが、草城作品の「俗」に寄り添うところ。そこに魅力を感じる人も多い。講談社『日本大歳時記』(1983)所載。(今井 聖)


March 2132008

 先生やいま春塵に巻かれつつ

                           岸本尚毅

読、文体が古雅。雅というよりも俗の方だから古俗ともいうべきか。近代俳句調と言ってもいい。その理由の最大のものは「先生や」の置き方にある。主格の「は」「が」に替わる「や」は子規、虚子の時代においては多く使用された。「や」「かな」「けり」には詠嘆などの格別の意味があるのかいなと思われるほどに、なんとはなく(安直に)あきれるほど多く使われた。そのために現代俳句では、(秋桜子以降を現代と呼ぶなら)切れ字が俳句の抹香臭さの元凶のひとつとされ、例えば山口誓子の句集『激浪』では所収の一二五四句の中に切れ字「や」はほとんど使われていない。戦後は、古典に眼を遣ると提唱した石田波郷などの影響で、切れ字使用に関しては俳句形式の特性として肯定的に捉える考え方が生まれ、その分、切れ字に関しては慎重な使い方が主流になった。「や」は、その前と後ろで切れなければいけないとの思い込みである。多義的な(言い換えればいいかげんな)「や」が姿を消し、それにともなって主格の「や」も今日ではほとんど見られない。作者はすでに古典になったこのいいかげんな「や」を用いることで俳句の古い文体を今日に生かそうとしている。内容は読んでの通り。この「先生」は作者の師波多野爽波であってもいいし、なくてもいい。「先生」は故人であってもいいし、現存する眼前の人でもいい。故人であれば春塵の中を昇天していくイメージ。(その場合は爽波は秋に逝かれたので対象にはならない)眼前のひとならば春塵の中を颯爽と去ってゆく師への思いである。念のために言うが、この句、一句一章の「や」である以外の可能性はまったくない。『平成秀句選集』(2007)所収。(今井 聖)


May 2252009

 たべのこすパセリのあをき祭かな

                           木下夕爾

七の連体形「あをき」は下五の「祭かな」にかからずパセリの方を形容する。この手法を用いた文体はひとつの「鋳型」として今日的な流行のひとつとなっている。もちろんこの文体は昔からあったもので、虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」も一例。日の当たっているのは枯野ではなくて遠山である。独特の手法だが、これも先人の誰かがこの形式に取り入れたものだろう。こういうかたちが流行っているのは花鳥諷詠全盛の中でのバリエーションを個々の俳人が意図するからだろう。この手法を用いれば、掛かるようにみせて掛からない「違和感」やその逆に、連体形がそのまま下五に掛かる「正攻法」も含めて手持ちの「球種」が豊富になる。今を旬の俳人たちの中でも岸本尚毅「桜餅置けばなくなる屏風かな」、大木あまり「単帯ゆるんできたる夜潮かな」、石田郷子「音ひとつ立ててをりたる泉かな」らは、この手法を自己の作風の特徴のひとつとしている。夕爾は1965年50歳で早世。皿の上のパセリの青を起点に祭の賑わいが拡がる。映像的な作品である。『木下夕爾の俳句』(1991)所収。(今井 聖)


October 27102009

 末枯や子供心に日が暮れて

                           岸本尚毅

枯(うらがれ)とは、枝先、葉先から枯れはじめ、近寄る枯野を予感させる晩秋の景色である。盛りを過ぎた草木のあわれを訴える季題ではあるが、そこには日差しの明るみも潜んでいる。掲句を、子供心にも日暮れどきには感傷じみた思いになる、と読んだが、子供が意識する日暮れには「さみしさ」よりも、はっとする「焦り」の方が頻繁だったように思う。遊びに夢中で門限を過ぎていたとき、宿題をすっかり忘れていたとき、子供時代は他愛ないことで年中うろたえていた。子供にとっての一大事は、大人になった今思えば「そんなことで」と首をかしげるようなことばかりだが、そのたびにたしかに叱られてもいたのだから、大人も「そんなことで」叱ってばかりいたのである。そう思うと、掲句は単に日没への郷愁というより、「あーあ、どうしよう」という途方に暮れた感情が入り乱れているように思えてきた。末枯によって光と影が交錯し、全体に哀愁を含ませている。子供心の複雑さは、カッコわるいと思っていること(カッコいいと思っていることも)が大人と大いに違っている点にある。〈望なりし月すぐ欠けて秋深し〉〈ぽつかりと日当るところ水澄める〉『感謝』(2009)所収。(土肥あき子)


February 1822010

 人を見る如く椿の花円く

                           岸本尚毅

ぶりな侘介が咲き終わり、これからは華やかな椿の出番になる。椿は古くから日本で愛されてきた花。植物辞典によると花の真ん中の雄蕊の基部と花弁が合着しているので、咲き切った花の形のまま落ちるとある。「赤い椿白い椿と落ちにけり」(河東碧梧桐)「落椿とは突然に華やげる」(稲畑汀子)のようにどちらかというと咲いている姿より落ちる姿が俳句では詠まれることが多かったように思う。くっきりと咲いている椿は自己主張が強すぎて詠みにくいのかもしれない。掲句では花を見るのではなく花から見つめられている、と見方を逆転させることで黄色く大きな花芯を持つ椿の存在感と気配を感じさせる。最後の「円く」という言葉がこの花の持つ柔らかさと温かみを表しているようだ。『感謝』(2009)所収。(三宅やよい)


January 2112011

 手を容れて冷たくしたり春の空

                           永田耕衣

本尚毅さんの「手をつけて海のつめたき桜かな」と並べて鑑賞すると面白い。「したり」は能動。自分の手が空を冷たくするのだ。直感的に空よりも手の方が冷たいという比較を強調しているように思う。そして句の中には自分と春の空の二者が登場する。それに対して岸本さんの方は手と海と桜の三者が登場する。空間の奥行はこちらの方が構成的。耕衣作品は「春の空」を擬人化しているようにも見える。その分、文学臭が強いようでもある。『殺佛』(1978)所収。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます