櫻井博道の句

December 01122006

 数へ日の夕富士ぽつんと力あり

                           櫻井博道

七沿いの池上に近いあたりだったか、病院に博道(はくどう)さんを見舞ったことがある。もう三十年も前のこと。鼻と喉に管の入ったまま、博道さんはにこにこと起き上がり、ベッドに腰かけて軽く足踏みをする格好をしてみせた。歩けるようになるよというジェスチャーだった。その数年前に博道さんは第十七回の現代俳句協会賞を受賞したが、身体の方は、宿痾となった結核との闘いが続いていた。その後も入退院を繰り返しながら、一九九一年に六十歳で永眠。痩身で眼鏡の温顔。その風貌と境涯から僕はお会いするといつも石田波郷との共通点を思った。博道さんの句の傾向は清冽、素朴。柔軟無碍な文体を駆使する波郷とは似て非なる世界を示している。この句、そう言えばあの病院から富士山が見えたかもしれないと気づいた。ぽつんとしているが、「力」が感じられる。博道さんは病との闘いの末にそんな生き方を目指しておられたのだろう。『文鎮』(1987)所収。(今井 聖)


January 2312009

 着ぶくれてこの世の瑣事も夕焼す

                           櫻井博道

しくかかわっていることが、ふと瑣事に思えてくることはよくある。人間、糊口をしのがねばならぬのは言わずもがなだけれども、それにかかわらないことにもどれほど意を砕いて日々を送っていることか。「瑣事」ということへの発想は一般的だが、病臥の歳月を重ねた作者が平成三年、六十歳で世を去る前の感慨であることを知ると、「着ぶくれて」に現在只今の「生」の実感が込められ、「夕焼」にこの世への賛歌やエールが贈られているように思う。「こんなつまらないことにかかずらっている」という否定的な自覚ではなくて、「この世の瑣事」に没頭できる時間と存在への肯定である。『季語別櫻井博道全句集』(2009)所収。(今井 聖)


May 2352009

 万緑のひとつの幹へ近づきぬ

                           櫻井博道

京の緑を見て万緑を詠んじゃいけないよ、と言われたことがある。万の緑、見渡す限りの緑であるから、まあ確かにそうなのかもしれない。それでも、時々訪れる目黒の自然教育園など夏場は、これが都心かと思うほどの茂りである。どこかの島の、圧倒的な緑の森に迷い込んだような錯覚に陥りながら歩いていると、星野立子の〈恐ろしき緑の中に入りて染まらん〉の句を思い出す。「万緑」は、それだけで強い力を感じる言葉なので確かに、万緑や、などと言ってしまうと後が続かなくてただぼーっとしてしまって、なかなか一句になりにくい。そんな万緑も、大地に根を張った確かな一本一本の木からできている。森を来た作者の視線の先には今、一本の大樹の太い幹があるばかりだが、読者には、作者が分け入ってきた、それこそ万の緑がありありと見えてくる。ひとつの、の措辞が、万に負けない力を感じさせる。『図説俳句大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


January 1412011

 励まされゐて火鉢の両掌脂ぎる

                           櫻井博道

邨先生居という前書あり。博道(はくどう)さんは宿痾となった結核との永い闘病生活の果てに平成三年六十歳で逝去。痩身でいつもにこにこと優しい人柄であった。作風もまた人柄に同じ。師加藤楸邨はことのほかその作品と人柄を愛した。句集『海上』にはあたたかい師の跋文がある。楸邨は後年は弟子の句集に序文や跋文は書かない主義を通したので、おそらくこれが最後の跋文ではなかったかと思う。晩年楸邨居の座談会に僕も同席したが、楸邨は博道さんの足の運びにも気を遣っていた。この句も楸邨が博道さんを励ましているのである。脂ぎるという言葉は健康な人間にとっては決して清潔な語感ではないが、宿痾を抱える作者は体全体から噴き出す気持ちの高揚というほどの積極的な意味で用いている。博道さんのあの研ぎ澄まされたような痩身を思いだすとこの脂ぎるがなんとも切なく胸に迫ってくる。『海上』(1973)所収。(今井 聖)


March 0132013

 雪国やしずくのごとき夜と対す

                           櫻井博道

喩は詩の核だ。喩えこそ詩だ。しずくのごとき夜。絞られた一滴の輝く塊り。「対す」は向き合っているということ。耐えているんだな、雪国の冬に。この「や」は今の俳人はなかなか使えない。「や」があると意味が切れると教えられているから「の」にする人が多いだろうな、今の人なら。「の」にするとリズムの流れはいいけど「対す」に呼応しての重みが失われる。そういう一見不器用な表現で重みを出すってのを嫌うよね、このところは。こういうのを下手とカン違いする人がいる。そうじゃないんだな。武骨な言い方でしか出せない野太さってのがある。やっぱり巧いんだな、博道さん。「寒雷・昭和38年7月号」(1963)所載。(今井 聖)


June 1462013

 立ちしまま息をととのふ水中花

                           櫻井博道

中花だから「立ちし」はわかるけど、なんで「息をととのふ」なのかというと作者の呼吸が苦しかったのだった。宿痾の結核とずっと付き合ってきた博道(はくどう)さんが水中花を見ている。対象と自己とが一枚になるようにという楸邨の方法がここにも生かされている。逆に考えてみよう。博道さんの人生についてまったく無知であったとき、或は作者名を消してこの句だけを見たとき、この「息ととのふ」は同様の感興を伝えるや否や。本人についての正確な事実を知っている場合よりは漠然とはするけれど、やはり作者の尋常ではない呼吸の状況が推測できると僕は思う。水中花を見ているときも呼吸への意識が離れないということであることだけはこの表現から確かだからだ。『椅子』(1989)所収。(今井 聖)




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