お盆。若くして亡くなった友人知己を想う。昔は良かった‥ような気がする。(哲)




2006萩蛛i前日までの二句を含む)

August 1382006

 美しき緑はしれり夏料理

                           星野立子

わやかな句です。「美しき」から吹いてくる微風を、そのまま全体へ行き渡らせています。夏料理というと、真っ先に思い浮かぶのが冷たいもの、冷麦やそうめんですが、緑という語からすると、むしろ野菜類、ピーマンやパセリをさしているのかもしれません。最近は、夏カレーという言葉もありますから、食欲を増すために香辛料をきかせた、野菜たっぷりのカレーであってもよいでしょう。「はしれり」という動きを伴った語は、白い皿の海の上を、緑の野菜が帆を張って動くさまを想像させます。もともと「食べる」という行為は、生きることの根源に関わるものですから、表現者にとっては抜き差しならないテーマであるわけです。しかし、ここではもちろん、「生き死に」から遠い距離を持ったものとしての食事が描かれています。「緑はしれり」といえば、もうひとつ思い浮かぶのが、白いそうめんに入っている緑や赤の数本の麺です。流しそうめんであれば、まさしく「緑はしれり」となるわけです。しかし、この色つき麺は、もとはそうめんと区別するために冷麦だけにまぜたもののようです。それがのちには、そうめんにも入ったというのですから、もう、なんの意味もないわけです。なんの意味もないからこそ、緑はまさしく緑であり、わたしたちの目の中を、美しくはしるのです。『俳句への道』(1997・岩波文庫)所載。(松下育男)


August 1282006

 踊り込む桟敷の果の見えぬまま

                           稲畑汀子

題は「踊」で秋。旧暦の七月、旧盆の盆踊のこと。この句の場合は阿波踊、詠まれたのはちょうど一年前である。踊り込んでいるのは作者自身で、七回目の阿波踊であったという。昨年の今頃私も阿波踊の渦の中にいた。「連」と呼ばれる集団が踊る、あちこちに輪を作り踊る、裏通りで一筋の笛に踊る、皆明るい。出を待ちながら見上げる桟敷は高くどこまでも続いて見えるが、一歩を踏み出せばあとはただ踊るのみ、体の芯に不思議な灯がともる。今日から始まる阿波踊、今年も盆の月が濡れていただろうか。俳誌「ホトトギス」(2006年1月号)所載。(今井肖子)


August 1182006

 昆虫のねむり死顔はかくありたし

                           加藤楸邨

虫は「こんちゅう」と読み、死顔は「しにがお」と読む。昆虫は、季題「虫」とは本意から言っても、ここで用いられた意味から言ってもまったく異なる。これはあくまで、昆虫一般であり、その意味では、この句は無季の句である。この句、1946年(昭和二十一年)の作。終戦直後の混乱が世を覆う中、この年、楸邨自身は中村草田男から公開質問状「楸邨氏への手紙」を示され戦中の俳人としての動向について戦争責任を問われる。当時の楸邨の暗い心の風景がこの句に映し出されている。しかし、そういう「知識」を捨ててこの一句にあたるとき、あらゆる昆虫のさまざまな顔がしずかに浮び上がり、作者の「かくありたし」の願いが切実に読者に迫る。「もの」のリアルから発するということが何よりも大切で、その実感を生かすためには、季題もリズムも定型も独自のかたちに変えることを辞さないという楸邨の優先順位が見えてくるのである。句集『野哭』(1948)所収。(今井 聖)




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