August 092006
閑さや岩にしみ入蝉の声
松尾芭蕉
芭蕉のあまりにも有名な句ゆえ、ここに掲げるのは少々面映いけれど、夏の句としてこの句をよけて通るわけにはいかない。改めて言うまでもなく『おくのほそ道』の旅で、芭蕉は山形の尾花沢から最上川の大石田へ向かうはずだった。けれども「一見すべし」と人に勧められ、わざわざ南下して立石寺(慈覚大師の開基)を訪れて、この句を得た。「山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。云々」と記してこの句が添えられている。麓の仙山線・山寺駅で下車して、私は二回その「山上の堂」まで登ったことがある。見上げると切り立つ急峻に圧倒されるが、てっぺんまでは三十分くらいで登れた。一回は1997年8月、秋田からの帰りに種村季弘さんご夫妻と一緒に登った。天地を結ぶ閑けさとただ蝉の声、それは決して喧騒ではなく澄みきった別乾坤だった。あたりをびっしり埋め尽くした蝉の声に身を預け、声をこぎ分けるようにして、汗びっしょりになりながら芭蕉の句を否応なく体感した。奇岩重なる坂道のうねりを這い、途中の蝉塚などにしばし心身を癒された。芭蕉の別案は「山寺や石にしみつく蝉の声」だが、「しみ入」と「しみつく」とでは、その差異おのずと明解である。(八木忠栄)
August 082006
けさ秋の一帆生みぬ中の海
原 石鼎
けさ秋は「今朝秋」。「今朝の秋」と同じく立秋の日をさす。所収されている句集『花影』では、代表句「秋風や模様の違ふ皿ふたつ」の隣に位置し、大正二年から四年春までの「海岸篇」とされる。海岸篇には「米子の海近きあたりをさすらへる時代の作」とあるので、鳥取県米子から眺める景色であろう。高浜虚子は『進むべき俳句の道』のなかで、石鼎を「君の風情は常に昂奮している」と評しているが、掲句では帆が「生まれる」と感じたことに石鼎の発見の昂奮があるかと思われる。それにしても思わず「一帆生みぬ海の中」と平凡に読み違えそうになる。しかし、中の海とは宍道湖が日本海へと流れ出る間をつなぐためについた吐息のような海域の名称である。目の前に広がる海が大海原ではなく、穏やかな中の海であることで荒々しい背景を排除し、海面と帆はさながら母と子のような存在で浮かび上がる。白帆を生み落とした母なる海には、厳粛な躍動と清涼が漂っている。まだまだ本格的な暑さのなかで、秋が巡ってくることなど思いもよらない毎日だが、あらためて「立秋」と宣言されれば、秋の気配を見回すのが人の常であろう。こんな時、ふと涼しさが通りすぎるような俳句を思い出すことも、秋を感じる一助となるのではないかと思う。『花影』(1937)所収。(土肥あき子)
June 302006
六月の氷菓一盞の別れかな
中村草田男
二十代の私に俳句を読むことの醍醐味を教えてくれた中村草田男の一句をもって、しばしお別れの挨拶とさせていただきます。この句は九年前(1997)の六月に一度取り上げていて、そのときの全文は次の通りでした。『氷菓(ひょうか)』にもいろいろあるが、この場合はアイスクリーム。あわただしい別れなのだろう。普通であれば酒でも飲んで別れたいところだが、その時間もない。そこで氷菓『一盞(いっさん)』の別れとなった。『盞』は『さかずき』。男同士がアイスクリームを舐めている図なんぞは滑稽だろうが、当人同士は至極真剣。「盞」に重きを置いているからであり、盛夏ではない『六月の氷菓」というところに、いささかの洒落れっ気を楽しんでいるからでもある。『いっさん』という凛とした発音もいい。男同士の別れは、かくありたいものだ。実現させたことはないけれど、一度は真似をしてみたい。そう思いながら、軽く三十年ほどが経過してしまった」。淡々たる別れの情景は、湿度も低く、こうして傍目に見ていても気持ちが良いものですね。それでは今日こそ私も真似をして、一盞のアイスクリームをちょっと掲げて「さようなら」を申し上げます。長い間のご愛読、お励ましに感謝しつつ。また、秋からの新増俳でお会いしましょう。(清水哲男) [ 謝辞 ]末筆になりましたが、この間、技術的に当サイトを支えつづけてくれた長尾高弘さんに深甚の謝意を表します。ありがとうございました。
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