仕事で泊る今夜のホテルではパソコンが使える。我が2.09kgの愛機を持っていくべきや。




2005年9月16日の句(前日までの二句を含む)

September 1692005

 呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉

                           長谷川かな女

語は「芙蓉(ふよう)」で秋。近所に芙蓉を咲かせているお宅があり、毎秋見るたびに掲句を思い出す。といっても、共鳴しているからではなくて、かつてこの句の曖昧さに苛々させられたことが、またよみがえってくるからである。つとに有名な句だ。有名にしたのは、次のような杉田久女に関わるゴシップの力によるところが大きかったのだと思う。「(久女の)ライバルに対する意識は旺盛でつねに相手の俳句を注視し、思いつめてかな女の句が久女より多く誌上にのると怒り狂い、『虚子嫌ひかな女嫌ひの単帯』という句をわざわざ書いて送ったりするが、かな女のほうは『呪ふ人は好きな人なり花芙蓉』と返句する。軽くいなされて久女はカッとなった」(戸板康二「高浜虚子の女弟子」)。「花芙蓉」は「紅芙蓉」の誤記だ。プライドの高かった久女のことだから、さもありなんと思わせる話ではあるが、実はまったくの誤伝である。誤伝の証明は簡単で、掲句は久女句よりも十五年も前の作だからだ。しかし戸板もひっかかったように、長年にわたってこの話は生きていたようで、「ため」にする言説は恐ろしい。ところで、私が句を曖昧だと言うのは、「呪ふ」の主体がよくわからないところだ。ゴシップのように「呪ふ」のは他者であるのか、それとも「好き」の主体である自分なのか、はなはだ漠然としている。どちらを取るかで、解釈は大きく異なってくる。考えるたびに、苛々させられてきた。失敗作ではあるまいか。諸種の歳時記にも例句として載っているけれど、不思議でならない。私としては、まずこの句をこそ呪いたくなってくる(笑)。『女流俳句集成』(1999)所収。(清水哲男)


September 1592005

 怨み顔とはこのことか鯊の貌

                           能村登四郎

語は「鯊(はぜ)」で秋。昨日のつづきみたいになるが、しかし作者は、むろん審美的に魚を見ているのではない。鯊は頭と口が大きく、目が上のほうについているので、なんとなく人間の顔に似て見える。それも決して明るい表情ではなく、句のように、見れば見るほど暗い顔に見える。たぶん作者は誰かに「(あの表情は)怨み顔」なのだと教えられ、なるほど「このことか」と、あらためてまじまじと見つめているのだ。では、なぜ鯊が「怨み顔」をしているのか。その答えを書いた詩に、安西均の「東京湾の小さな話」(詩集『お辞儀するひと』所収)がある。「いちばん釣れるのはお彼岸ごろだから、/まだちょっと早いさうだが、/鯊釣りに誘はれた。すっかり/凪いで晴れた東京湾では、」ではじまるこの詩は、同行の青年のお祖母さんから聞いた話で締めくくられていく。「だってねえ、あたしゃ嫁に来た年の/大震災をようく覚えてますよ。/ええ、陸軍記念日の大空襲でも、/命からがら逃げまはって、/どっちも何万といふ人が大川で、/焼け死に、溺れ死にしましてね。/あなた、東京湾の鯊。あれは、/何食って育ったと思ひます」。このお祖母さんの話を受け、詩人は次の一行を加えて詩を閉じている。「生涯、鯊を食はないひともゐるのだ」。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1492005

 うつくしや鰯の肌の濃さ淡さ

                           小島政二郎

語は「鰯(いわし)」で秋。「鰯」は国字(日本で作った漢字、「凩」や「峠」などの類)で、漁獲するとすぐにいたんでくる「弱さ」からの作字だという。掲句を採り上げたのは、他でもない。このように鰯をしみじみと見つめた句は、とても珍しいからだ。鯛(たい)のような高級魚ならばともかく、捨てるほど穫れた鰯に見惚れて「うつくしや」などと言うのは、よほど特異な審美眼からの発想である。作者は『人妻鏡』などの大衆小説や『眼中の人』『円朝』などを書いた達者な小説家で、『くひしんぼう』という随筆集のある美食家でもあった。美食家はまず目で楽しむというから、その意味では本領を発揮した句と言えるかもしれない。鯛も鰯も、目で楽しむ分にはイーブンなのだぞ、と。ところが近年、どういう加減からか、鰯がだんだん穫れなくなってきた。二年前だったか、市場で鯛よりも高値がつくという珍事まで起きている。こうなるともはや立派な高級魚で、気がついてみたら、飲み屋などで気楽に注文できる魚ではない。中央水産研究所の今年度の漁獲予想によっても、やはりかんばしくなさそうだ。となると、これからは私のような「特異な審美眼」を持たない者でも、句の作者のように鰯をしみじみと見つめる時代になりそうだ。べつに政治が悪いわけじゃないけれど、なんだかなあ、へんてこりんな気分になってくる。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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