December 13122004

 わが影を壁に見てゐる炬燵かな

                           大崎紀夫

語は「炬燵(こたつ)」。孤影。というと大袈裟になるが、深夜、ふっとおのれが一人きりになった感じを言い止めている。これがリタイアした高齢者の句だとさして面白みは無いけれど、このときに作者は四十代の後半だ。まさに、働き盛りである。日頃の仕事や雑事に追われて、自分を顧みる余裕などはなかなか無い。それが、自宅の炬燵でくつろいでいるうちに、いつの間にか壁に写った「わが影」を見ている自分がいた。これがオレなのか……。壁の影を見つめる行為には、鏡を見るのとは違って何の目的も無い。だからこそ余計に、さまざまなことに思いが至るきっかけになる。オレはいったい何をしているのか、何をしてきたのか……。自分の存在が卑小にも見え、心はかじかんでくる。明日になればケロリと忘れてしまう感慨ではあろうが、この種のひとりぼっちの実感を持つことは、その人の幅を育てるだろう。以下雑談だが、掲句から作者の部屋の炬燵の置かれた位置がわかる。かなり壁際に近い場所に置かれてないと、横の壁に自分の影は写らない。もちろん他の家具の配置との関係もあるが、たいていのお宅ではそのように置かれているのではあるまいか。そして来客のあるときだけ、真ん中辺に持ってくる。でも、部屋の真ん中にある炬燵は、何故か落ち着かないものですね。旅館などで真ん中に置かれていると、私は必ず壁際にずるずると移動させてからあたることにしています。貧乏性なのかなあ、とても殿様の器ではない。『草いきれ』(2004)所収。(清水哲男)




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