September 14 2004
障子貼る母の手さばき妻の敵
草間時彦
季語は「障子貼る」で秋。といっても障子貼りは冬支度だから、もう少し先、晩秋の季語だ。当歳時記では便宜上、紙を貼る前の「障子洗ふ」に分類しておく。これはまた、言いにくいことをずばりと言ってのけた句だ。二世代同居の家庭では、嫁と姑の微妙な心理的確執はなかなか避けられまい。両者とも表面的には仲が良さそうに見えても、内実は大変なのだという句である。障子を貼る母には、おそらく何の屈託も無いだろう。見事な「手さばき」で手際よく次々に貼っていく。息子の作者としても、見惚れるほどの巧みさなのだ。だがしかし、妻には欠けているこうした見事な技術が、実は「妻の敵」として「母」を位置づけてしまう哀しさがある。障子貼りに限らず、気にしはじめればキリがないほどに、こういうことが日常的にいろいろと起きている。妻がまさか義母を「敵」などと言うはずもないのだけれど、はっきり言えばそういうことだと、作者は憮然としているのである。しかも上手な解決法などありはしないから、一つ一つをやり過ごしてゆくしかないのだ。子供の頃から母は自分の「味方」であり、現在は妻もむろん「味方」である。だからといって気楽なものだと言えないところに、この句の苦さがある。ぼんやりしているようでいて、男だってけっこう細かいところを見て感じているということだ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)
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