July 01 2003
兄亡くて夕刊が来る濃紫陽花
正木ゆう子
縁先あたりに、新聞が配達される家なのだろうか。庭の隅には、紫陽花が今を盛りとかたまって咲いている。今日もまた、いつもと同じ時間に夕刊が配達されてきた。しかし、いつも待ちかねたように夕刊を広げていた兄は、もうこの世にはいないのだ。いつもと同じように夕刊は配達されてくるが、いつもと同じ兄の姿は二度と見ることは出来ない。なんでもない日常、いつまでもつづくと思っていた日常を失った寂しさが、じわりと心に「濃紫陽花」の色のように染み入ってくる。夕刊は朝刊に比べると、一般的にニュース性には欠けるエディションだ。昼間の出来事を伝える役割だから、よほど大きな事件があっても、それまでに他のメディアや人の話から、大略のことは承知できているからである。したがって、朝刊のように目を瞠るような紙面は見当たらないのが通常だ。だから、夕刊のほうがより安定した日常の雰囲気を持っていると言える。その意味で、掲句の夕刊は実によく効いている。作者はこの兄(俳人・正木浩一)とはことのほか仲良しであり尊敬もしていたことは、次の一句からでもよくわかる。「その人のわれはいもうと花菜雨」。また「帰省のたびに、私は兄とそれこそ朝まで俳句について語り合ったものだ」とも書いているから、俳句の手ほどきも受けたのだろうし、後年には良きライバルであったのだろう。亡き兄のことを思い出しつつ、作者は投げ込まれたままの白い夕刊に目をやっている。だんだん、夕闇が濃くなってくる。『悠 HARUKA』(1994)所収。(清水哲男)
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