June 022003
紫陽花のパリーに咲けば巴里の色
星野 椿
元来が、「紫陽花(あじさい)」は日本の花だ。日本から中国を経由して、18世紀末にヨーロッパに渡ったと言われる。しかし、皮肉なことに、日本では色が変わることが心変わりと結びつけられ、近世まではさしたる人気はなかった。『万葉集』には出てくるけれど、平安朝の文学には影も形も見られない。ところが、逆にヨーロッパ人は色変わりを面白がり、大いに改良が進められたので、現代の日本には逆輸入された品種もいくつかある。だからパリの紫陽花は改良品種ゆえ、「パリーに咲けば巴里の色」は当たり前なのだが、もちろん作者は、そんな植物史を踏まえて物を言っているわけではない。同じ紫陽花なのに、巴里色としか言いようのない色合いに心惹かれている。この街に「日本色」の紫陽花をそのまま持ってきたとしても、たぶん似合わないだろう。やはり、その土地にはその土地に似合う色というものがあるのだ。いや、その色があってこそのその土地だとも言える。ヨーロッパで紫陽花を見たことはないが、たとえば野菜の色だって微妙に異っている。そこらへんの八百屋の店先に立っただけで、なんとも不思議な気分におちいってしまう。トマトやらジャガイモやら、お馴染みの野菜たちの色合いが日本のそれとは少しずつ違うからだ。その微妙な色合いの差の集積が店内の隅々にまで広がっている様子に、よく「ああ、俺は遠くまで来てるんだ」と思ったことだった。私には、そぞろ旅情を誘われる句だ。『女流俳句集成』(1999)所載。(清水哲男)
June 012003
冷し中華運ぶ笑顔でぞんざいで
星川佐保子
最近はあまり見かけなくなったが、以前は食堂の表に「冷し中華はじめました」とか「生ビールはじめました」などの張り紙が出た。これを見ると、夏近し……。なんとなく明るい気分になったものだ。「冷し中華」を季語として採用している歳時記はまだ少ないけれど、これから編まれるものには不可欠な項目となるだろう。掲句の舞台は、既に夏の盛りの大衆的な食堂だ。混みあっている雰囲気を、よく伝えている。注文した冷し中華の皿を、女店員がまことに「ぞんざいに」卓上に音立てて置いたのだ。思わずもムッとして顔を見上げると、そこにあったのは屈託のない笑顔だった。これじゃ、憎めない。見るともなく見ていると、彼女はどのテーブルにも同じような調子で運んでいる。こうしたところの店員のマナーの悪さは、いまにはじまったことではないけれど、あくまでも笑顔を絶やさずに運んでいるのだから、彼女に悪気はないのである。むしろ、活気のある働き者なのだ。この明るいぞんざいさも、また夏の風物詩。と、作者が思ったかどうかは知らないが、私にはそんなふうに写る。こんな句もあった。「ヘルメット冷し中華の酢に噎せる」(後藤千秋)。食べるほうにしても、これだ。冷し中華をしみじみ味わおうなんて客は、そんなにいないのではあるまいか。ほとんどが、ぞんざいに食べている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)
May 312003
螢火を少年くれる少女くれず
橋本美代子
季語は「螢火(ほたるび)」で夏。何人かの友人知己とその子供たちと一緒に、蛍狩りに出かけた。帰りがけに、螢を捕らなかった作者に気のついた「少年」が、「あげるよ」と言ってくれた。しかし、そんな様子を見ていた「少女」は、くれるそぶりも見せないのだった。一般論として、このシチュエーションはよくわかる。私の体験からしても、少女よりも少年のほうが、万事に気前がよろしい。女の子は、総じてケチである。でも掲句は、そういうことだけを軽く詠んだのではないと思う。少年と少女の行為は並列されているけれど、実は作者の心中の焦点は、少年にではなく少女に合わされているのだと考える。たかが螢ごときを後生大事に抱え込んで離さない少女の性(さが)が、同性である作者にはよくわかるからだ。彼女がくれなかったのは、単なる吝嗇からというのではなくて、もっと女に根ざした深いところから発していることが……。そのことが哀れとも思われ、悲しさとも写る。むろん、この暗い思いは、少女を通じて作者自身にも向けられている。一見さらりと言い捨てたような句のなかに、作者の哀感が、それこそ闇夜の螢火のようにか細くも明滅している。作者・橋本美代子は橋本多佳子の四女にあたる。『巻貝』(1983)所収。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|