October 17102002

 百日紅より手を出す一人百人町

                           小川双々子

語は「百日紅(さるすべり)」で夏だが、名の通りに花期が長く、我が家の近くではまだ咲き残っている。「百人町」といえば東京の新宿区百人町が知られるが、句のそれは、作者が愛知県の人なので、名古屋市東区にある百人町だろう。建中寺の東に接して東西に細長く伸びた町で、その昔、百人組と呼ばれた身分の低い武士が住んでいた。道路は細く迷路のように入り組んでおり、これはむろん矢弾の進入を防ぐためにデザインされたからだ。いまでも、そこここに名残が見られるという。そんな町は、歩いているだけで不思議な感じになるものだ。町の歴史を反芻するようにして、一つ一つの不思議に合点がいったりいかなかったり……。それが、とある庭のとある百日紅の間から、いきなりにゅっと人の手が出てきたとなれば、不思議さにとらわれていただけに、ぎょっとした。手を出した人には何か理由があったからだが、出されたほうにしてみれば、理由などわからないからびっくりしてしまう。ここで「百日紅」と「百人町」の「百」と、それに挟まれた「一人」の「一」との対比が効いてくる。「百」は全であり「一」は個だ。つまり全にとらわれている気持ちに、個は入っていない。町全体の不思議にいわば酔っているときに、急に全からは想像もつかない個のふるまいが示されたのだからびっくりして、個であるその人を逆に強く意識することになったのだ。上手に解釈ができなくてもどかしいけれど、百人町が百日紅と言葉遊び的に配置されたのではなく、この町ならではの句であることを言っておきたかった。俳誌「地表」(2002・第417号)所載。(清水哲男)




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