October 052002
秋晴や太鼓抱へに濯ぎもの
上野 泰
何 もかもが明るい爽やかな「秋晴」。こんな日には、シーツなどの大きなものも、まとめて洗濯したくなる。1960年(昭和三十五年)の句だから、電気洗濯機で洗ったのか、あるいは昔ながらの盥で洗ったのかは、微妙なところで推測しがたい。写真は当時出回っていた「手動ローラーしぼり機付き洗濯機」(日立製作所)だが、洗濯槽も小さかったし、この「しぼり機」で大きいものをしぼるのは無理だ。やはり、盥でじゃぶじゃぶと濯いだのではあるまいか。また、そのほうが「秋晴」の気分にはよく似合う。で、洗い上げたものを庭の物干場まで持っていくわけだが、何度も往復するのは面倒なので、いっぺんに持てるだけ抱えていく。細い廊下なども通らなければならないから、ちょうど「太鼓」を抱えるときと同じ要領で、洗濯物を両腕で肩幅くらいに細く挟むようにして抱えていくことになる。太鼓でもそうだが、まっすぐ前はよく見えないし、抱えているものに脚も当たる。何も抱えていないとすれば、ちょっとヨチヨチ歩きに似た格好だ。「太鼓抱へ」という言い方が一般的だったのかどうかは知らないけれど、言い得て妙。こうでも言うしか、大量の洗濯物を運ぶ姿は形容できないだろう。しかも秋晴に太鼓とくれば、これはもう小さな祝祭気分すら掻き立ててくる。今日あたりは、全国的に「太鼓抱へ」のオンパレードとなるにちがいない。『一輪』(1965)所収。(清水哲男)
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