April 162002
晩春をヌード気分のマヨネーズ
小枝恵美子
春もようやくたけなわを過ぎ、どこか気だるいような雰囲気のなかで、卓上に「マヨネーズ」の入ったポリ容器が立っている。「ヌード」は単なる裸体を言うのではなく、そこに審美的要素が絡む概念だ。流線型の容器の形といい、薄く透けて見える卵黄色といい、たしかになまめかしい感じがする。この句のよさは、おそらくは誰しもが何となく感じているマヨネーズのなまめかしさを、ずばりヌードと言い切ったところにある。さらにマヨネーズを擬人化して、マヨネーズが勝手にそんな「気分」になっているのだと思うと、可笑しくも可愛らしい。もしも、句のマヨネーズにキューピー人形のマークが付いていたとしたら、もっと可笑しいだろうな。なまめかしさとは無縁のキューピーちゃんが、一所懸命大人ぶっている図には微笑を禁じえない。あれはメーカーがマヨネーズを健全なる家庭に普及さすべく、なるべく本体のなまめかしさを打ち消すために採用した苦心のキャラクターではあるまいか。感覚そのままに成人女性のヌードでは具合が悪いし、かといって、あまりにも違うイメージではもっと具合が悪いし……。と、そんなことまで考えてしまった。ところで、いまでこそどこの家庭にもあるマヨネーズだが、四十年前くらいまではなかなか受け入れられなかったようだ。全国マヨネーズ協会の調査によれば、一人当たりの年間消費量は、1960年度でたったの151グラム。それが2000年では1895グラムと、10倍以上に跳ね上がっている。少年時代の私は、マヨネーズの存在すら知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)
April 152002
春の潮先帝祭も近づきぬ
高浜虚子
季語は「春の潮(はるのしお・春潮)」。海の潮の様子は、季節の変化をよくあらわす。春には、しだいに冬の藍色が薄くなり、明るい色に変わってくる。それだけでも心が弾んでくるが、ああ今年も祭りが近づいてきたと思えばなおさらだ。そんな弾む心を潮に反射させた虚子の腕前は、さすがだと思う。どこがどうというわけでもないのだけれど、人と自然との親和的な関係がよく描出されている。「先帝祭(せんていさい)」は、山口県は下関市赤間神宮のお祭りだ。5月2〜4日。一度だけだが、学生時代に見物したことがある。竹馬の友が菓子メーカーに住み込みで働いていて、彼を訪ねたところ、それが偶然にも祭りの当日だった。平家滅亡のとき、壇ノ浦で入水した安徳天皇は阿弥陀寺(明治以降は赤間神宮)に葬られたが、後鳥羽天皇が先帝のため命日の旧暦三月二十四日に法要を営み、先帝会と称したことに始まるという。女官が菩提を弔うため遊女に姿を変えて参拝したという伝えによって、女官装束で行列して参拝する「じょうろう道中」が、祭りのクライマックスだ。沿道に立っていても、眠くなるようなよい日和だった。写真が残っているはずだが、どこに紛れているのか。小学校の修学旅行は下関と小倉だったが、貧しくて行けなかった。だから、このときの「先帝祭」こそが私の下関の大切な思い出だ。その後、下関に行くたびに必ず小倉にも足をのばすことになった。掲句に惹かれたのには、そんな個人的な事情もからんでいる。平井照敏編『俳枕・西日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)
April 142002
打興じ田楽食ふや明日別る
大野林火
季語は「田楽(でんがく)」で春。豆腐を竹の平串に刺し、あぶって水気をとってから木の芽味噌をつけ、再び火にあぶって作る。野趣があり、いかにも春らしい食べ物だ。気のおけない友人といつものように酒を飲み、「打興じ」るままに旬の「田楽」でも食おうかということになり、楽しさがなお高調してきた。と、そのときにすっと胸をよぎった「明日別る」。読み下してきて、ここで読者はぎくりとする。別れの宴だったのかと……。こういうときには、人はお互いにつとめて明るくふるまい、明るくふるまっているうちに、いつしか「明日別る」ことも忘れてしまい、いつもと同じ時間を過ごしているような気持ちになる。が、楽しければ楽しいほどに、何かちょっとしたきっかけから、実は違うのだという動かしがたい現実を思い出さされたときは、余計に辛くなる。その意味で、句の「田楽」は、二人の交遊録に欠かせない食べ物なのかもしれないと思った。木の芽味噌の山椒の味と香りが、哀しくもほろ苦く二人の別れの時を告げたのだ。ご存知かとも思うが、ついでに「田楽」の由来を付記しておく。「田植の田楽舞に、横木をつけた長い棒の上で演ずる鷺足(さぎあし)という芸がある。足の先から細い棒が出て、腰から下は白色、上衣は色変わりという取り合わせが一見、白い豆腐に変わりみそを塗った豆腐料理に感じが似ているので、この名があるという。江戸後期の川柳に『田楽は昔は目で見、今は食い』と、ある。(C)小学館」。ちなみに、冬の「おでん」は「お田楽」の呼称から「楽」が省略された田楽の応用料理だそうである。江戸期の豆腐料理の本を見ると、実にバリエーションが豊富だ。いまどきでは「豆腐ステーキ」なんてものまである。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)
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