稲畑汀子の句

March 0132002

 三椏の花三三が九三三が九

                           稲畑汀子

や三月。何かふさわしい句をと、手当たり次第に本をひっくり返しているうちに、この句に出会えた。これだけたくさん「三」の出てくる句は、他にはないだろう。季語は「三椏(みつまた)の花」で春。枝や幹が和紙の原料になる、あの三椏の黄色い花だ。和紙の需要が減り、近年では観賞用に植えられることが多くなったという。佐藤鬼房に「三椏や英国大使館鉄扉」とあるところを見ると、ヨーロッパなどでは古くから観賞用だったのかもしれない。掲句には、作者の弁がある。「三椏の花を見た時に私は思わず九九を口ずさんでいた。俳句の中に九九を使って数字を並べただけの奇を衒(てら)った表現と思う人があるかもしれないが、私は見たまま感じたままを俳句にしたにすぎないのである。枝が三つに分かれ、その先に花が三つ咲く。九九を通して花の咲き具合を想像して頂ければこの句は成功といえよう。ともかく私はこの句が気に入っている」。いやあ、私も大いに気に入りました。たしかに「三三が九」と咲くのです。九九を覚えたころの子供の心が、思いがけないきっかけから、ひょっこりと顔を出した……。このこと自体が、楽しい春の気分によく通じている。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


August 0782005

 今朝秋のよべを惜みし灯かな

                           大須賀乙字

日は、早くも立秋である。季語は「今朝(の)秋」。立秋の朝を言う。作者は、早暁に目覚めた。「灯(ともし)」は街灯だろうか、それともどこかの家の窓の灯火だろうか。いずれにしても、「よべ」(昨夜)から点いていたものだ。そして今日が立秋となれば、その灯は今年最後の夏の夜を見届けたことになり,「今朝秋」のいまもなお、去って行った夏を惜しむかのように点灯していると見えるのである。昨夜までで消えた夏を言い、立秋に一抹の哀感を漂わせた詠みぶりが斬新だ。「そもそも詩歌製作後の吾等感情は一種解脱的の味ひである。然るに俳句は製作に取り掛る時は既に解脱的寂滅的調和の感情に到達して居る」と乙字の俳論にあるが、みずからの論を体現し得た佳句と言えよう。ところで掲句は掲句として,例年のことながら,立秋は猛暑の真っ只中に訪れる。毎年立秋を迎えると,どこに秋なり秋の気配があるのかと、ぼやくばかりだ。一茶に「けさ秋や瘧の落ちたやうな空」(「瘧」は「おこり」)があるけれど、なかなかそううまい具合には、自然は動いてくれない。それでも人間とは面白いもので、そう言えば朝夕はかなり涼しくなってきたような……などと、懸命に秋を探してまわったりするのである。「立秋と聞けば心も添ふ如く」(稲畑汀子)。このあたりに、私たちの本音があるのだろう。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1282006

 踊り込む桟敷の果の見えぬまま

                           稲畑汀子

題は「踊」で秋。旧暦の七月、旧盆の盆踊のこと。この句の場合は阿波踊、詠まれたのはちょうど一年前である。踊り込んでいるのは作者自身で、七回目の阿波踊であったという。昨年の今頃私も阿波踊の渦の中にいた。「連」と呼ばれる集団が踊る、あちこちに輪を作り踊る、裏通りで一筋の笛に踊る、皆明るい。出を待ちながら見上げる桟敷は高くどこまでも続いて見えるが、一歩を踏み出せばあとはただ踊るのみ、体の芯に不思議な灯がともる。今日から始まる阿波踊、今年も盆の月が濡れていただろうか。俳誌「ホトトギス」(2006年1月号)所載。(今井肖子)


June 1762007

 花火消え元の闇ではなくなりし

                           稲畑汀子

いぶ前のことになりますが、浦安の埋立地に建つマンションに住んでいたことがあります。14階建ての13階に部屋がありました。見下ろせばすぐ先に海があり、夏の大会では、花火は正面に打ち上げられて、大輪の光がベランダからすぐのところに見えました。ただ、それは年にたった一夜のことです。この句を読んで思い出したのは、目の前に上がるそれではなく、我が家から見える、もうひとつの花火でした。部屋の裏側を通る廊下を、会社帰りの疲れた体で歩いていると、背中で小さく「ボンボンボン」という音が聞こえます。驚くほどの音ではないのですが、振り返ると、遠い夜空にきれいな花火が上がっています。下にはシンデレラ城が見え、ひとしきり花火は夜空を騒がせています。マンションの中空の廊下に立ち止まったままわたしは、じっと空を見ていました。季節を問わず、花火は毎日上がっていました。私の「日々」が、その日の終りとともに背後の空に打ち上げられているようでした。掲句、花火が消えた闇を元の闇から変えたものとは何だったのでしょうか。読み手ひとりひとりに問いかけてくる句です。わたしにはこの「花火」は、わたしたちの「生」そのものとして読み取れます。消えた後にも、確実にここに何かが残るのだと。『現代の俳句』(2005・講談社)所載。(松下育男)


August 1482009

 見られゐて種出しにくき西瓜かな

                           稲畑汀子

かるなあ。西瓜にかぶりついて、ぺっぺと口から種を吐く人。なんとなくあれが西瓜を食べる作法かと思っているが、どうにもそれがうまくできない。技術的に無理なのだが、その風情にもなじめない。フォークで種をほじって出してからかぶりつくが、どうも見た目が悪いし、かぶりついた中にまだ種が残っているとそれはそれで口から吐かねばならない。これもみっともない。先日中国人の友達に、食事中になんでも床に捨てる中国式のマナーにクレームをつけたら、日本人は蕎麦を食うときどうしてあんなに汚い音を平気で立てるのかと逆襲された。食の作法もさまざまである。花鳥諷詠は、作者の「私」が作品に現れないことが多い。また現れないことをもってしてよしとする傾向にあるが、この句は「私」がちゃんと出ている。『ホトトギス季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


February 1822010

 人を見る如く椿の花円く

                           岸本尚毅

ぶりな侘介が咲き終わり、これからは華やかな椿の出番になる。椿は古くから日本で愛されてきた花。植物辞典によると花の真ん中の雄蕊の基部と花弁が合着しているので、咲き切った花の形のまま落ちるとある。「赤い椿白い椿と落ちにけり」(河東碧梧桐)「落椿とは突然に華やげる」(稲畑汀子)のようにどちらかというと咲いている姿より落ちる姿が俳句では詠まれることが多かったように思う。くっきりと咲いている椿は自己主張が強すぎて詠みにくいのかもしれない。掲句では花を見るのではなく花から見つめられている、と見方を逆転させることで黄色く大きな花芯を持つ椿の存在感と気配を感じさせる。最後の「円く」という言葉がこの花の持つ柔らかさと温かみを表しているようだ。『感謝』(2009)所収。(三宅やよい)


December 30122013

 何時の間に冬の月出てゐる別れ

                           稲畑汀子

書に「昭和二十八年十二月」とある。年も押し詰まってきての「別れ」は、作者か相手どちらかの、よんどころない事情によるそれだろう。しかもいま別れると、もう当分会えそうもない。なかなかに別れ難くて縷々話し込んでいるうちに、ふと窓外の闇に目をやると、いつの間にか、冷たく輝く冬の月がかかっていた。美しいというよりも、凄まじい冷ややかさを湛えている。二人の話が深刻だっただけに、余計に冷たさが増幅して感じられたのだ。余談になるが、私は最近、ほとんど月を見ることがない。名月だの満月だのと周囲に言われても、結局は見逃してしまう。理由はしごく単純で、めったに夜間は外出しなくなったからだ。月を愛でることよりも、夜道での転倒のほうが怖いのである。その昔に、「侍だとて忘れちゃならぬ、それは風流、風流心」なんて流行歌もあったっけ。ましてや侍でもない当方としては、だんだん身の置き場がなくなってくる。『月』(2012)所収。(清水哲男)


July 3072016

 ふたたびは聞く心もてはたたがみ

                           稲畑汀子

たたがみの、はたた、は擬音語ともいわれるが、激しく鳴りとどろく雷のことをいう。掲出句、直接表現されていない最初の激しい雷の音が聞こえる。突然の雷には誰もが驚かされるが、室内にいれば命にかかわることはまずない。そうなると恐怖心は確かにありながら、どこか自然の力を目の当たりにすることを望むような心理も働く。聞く心、という一語には、二回目は驚かないという理屈をこえた作者の自然に対する思いが感じられる。この句は句集『さゆらぎ』(2001)より引いたが、そのあとがきに「二十一世紀はもう一度、「人間も自然の一部である」という根本に立ち返り、人間と自然の調和を考えなければならない」とある。二十一世紀になってからの十数年間のさまざまを思い返すと、漠然とした憂いに覆われる現在である。(今井肖子)




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