二週連続の旅はさすがにコタえた。今度の土日は家から一歩も出ないぞ。それを楽しみに仕事仕事。




200句(前日までの二句を含む)

September 0392001

 夕月夜人は家路に吾は旅に

                           星野立子

れから旅に出る作者が、駅へと向っている。私にも何度も覚えがあるが、重い旅行鞄を提げ、勤め帰りの人たちの流れに逆流して歩く心持ちは、妙なものである。旅立ちの嬉しさと、束の間にせよ、住み慣れた町を離れる寂しさとが混在するようなのだ。「夕月夜」だから、天気はよい。それがまた、かえって切なかったりする。そんな気持ちを、言外に含ませている句だ。夜行列車で出かけるのだから、かなりの遠出を想像させる。新幹線のなかった時代には、東京大阪間くらいでも、多くの人が夜行を利用していた。昼間の急行でも九時間以上はかかったので、よほど早朝に乗らないと、着いた先では夜になってしまう。それよりも、寝ながら行って朝着いたほうが、気持ちもよいし時間の経済にも適うという心持ちであり理屈であった。ところで「夕月夜」だが、単に日の暮れた後の月夜ではなく、新月から七、八日ごろまでの上弦の宵月の夜を言う。夕方出た月は、深夜近くにはもう沈んでしまう。そんなはかない月の姿も、掲句に微妙な色合いを与えている。ちなみに今宵の月は満月を過ぎたばかりなので、厳密には句の感興にはそぐわない。『実生』(1957)所収。(清水哲男)


September 0292001

 帽置いて田舎駅長夜食かな

                           池内友次郎

食の後の夜長にとる軽い食事が「夜食」。秋の季語。作者は旅の途次で、遅い時間に次に来る列車を待っているのだろう。田舎の路線のことだから、夜になると一時間に一本来るか来ないか、そんな間隔でしか列車はやってこない。最終列車かもしれない。待っている客もまばらで、駅舎の周辺では虫の音がしきりというシチュエーションである。これが思い出としての旅の良き味わいでもあるのだが、実際に現場でくたびれて待つ身には辛いところだ。ふと、待合所から事務所のなかを見やると、駅長が「夜食」をとっている姿が見えた。ポイントは「帽を置き」であり、そこには束の間、帽子を脱いで職務を離れた駅長のリラックスした姿があるのと同時に、いかに軽食とはいえ食事を「いただく」姿勢が礼節にかなってきちんとしているところに、作者は好感を寄せている。いかにも昔気質の「田舎駅長」の顔までもが、浮かんでくるような句だ。まだSLが全盛で走っていたころの情景だろう。やがて、汽笛を鳴らして列車が近づいてくる。脱いだ帽子を目深にかぶり直し、いつものように「田舎駅長」は淡々とした姿で、砂利の敷き詰められたホームに出ていくのである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 0192001

 越中八尾二百十日の月上げし

                           渡辺恭子

日は立春から数えて「二百十日」目。大風(おおかぜ)がおこりやすい頃で、ちょうど稲の開花期にあたることから、農家では風を恐れて「厄日」とした。俳句で「厄日」といえば「二百十日」を指し、したがって「厄日」も秋の季語である。掲句の「八尾(やつお)」は富山県八尾町のことで、近年とみに有名になってきた越中「風の盆」の夕景を詠んでいる。風の神をしずめる風祭と盂蘭盆の収めの行事が合体した「風の盆」は、越中に限らず各地で行われる。そんななかで、ここに人気が集まっているのは、歌われる「越中おわら節」のポピュラリティもさることながら、伴奏に胡弓が使われるところにあるのだろう。私はテレビでしか見たことはないけれど、あの哀調を帯びた調べは、それでなくとも物悲しくなる秋の心に染み込んでくるようだ。今宵の月は、ほぼ真ん丸。晴れていれば、掲句とぴったりの情景のなかで、胡弓の音は夜を徹して冴え渡る。最近はマナーの悪い観光客に悩まされているという話しも聞くが、おだやかな三日間(祭りは今日から九月三日まで)であってほしい。間もなく、秋の農繁期が訪れる。『合本俳句歳時記』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)




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