May 072001
豆飯の湯気を大事に食べにけり
大串 章
食べ物の句は、美味そうでなければならない。掲句は、いかにも美味かったろうなと思わせることで成功している。あつあつの「豆飯」を、口を「はふはふ」させながら食べたのだ。たしかに「湯気」もご馳走である。ただし「湯気『も』」ではないから、まさかそう受け取る人はいないと思うが、食料の「大事」を教訓的に言っているのではない。念のため。「大事に」という表現は、作者と「豆飯」との食卓でのつきあい方を述べている。「湯気」を吹き散らすようにして食べるよりも、なるべくそのまんまの「湯気」を口中に入れることのほうに、作者はまっとうな「豆飯」との関係を発見したということだ。「大事に」食べなければ、この美味には届かなかったのだ、と……。もっと言えば、このようにして人は食べ物との深い付き合いをはじめていくのだろう。しかも「大事に」食べる意識が涌くのは、若い間には滅多にないことなので、作者は自分のこのときの食べ方をとても新鮮に感じて、喜んでいる。グリーンピースの緑のように、心が雀躍としている。もとより「大事に」の意識の底には、食料の貴重を知悉している世代の感覚がどうしようもなく動いているけれど、私はむしろあっけらかんと受け止めておきたい。せっかくの、あつあつの「豆飯」なのだ。「湯気」もご馳走ならば、この初夏という季節にタイミングよく作ってくれた人のセンスのよさもご馳走だ。想像的に句の方向を伸ばしていけば、どんどん楽しくなる。それが、この句のご馳走だ。『天風』(1999)所収。(清水哲男)
May 062001
あいまいな空に不満の五月かな
中澤敬子
いま、苦笑された方もおられるだろう。本当に、このゴールデンウイークは全国的に「あいまいな空」つづきだった。降るのか、このまま降らないのか。空ばかり見る日が多かった。作者も、旅先で仏頂面をしている。常に天気の崩れを気にしながらの旅は、気持ちも晴れないし疲れる。同じ作者に「不愉快に脳波移動す旅五月」がある。手元の角川版歳時記の「五月」の項には、「陽暦では晴天の日が多く、芍薬・薔薇が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニックの好季節」とある。これが、まずは一般的な五月のイメージだろう。引用されている例句も、みな晴れやかで不機嫌な句はない。その意味で、掲句は事実を感じたままに詠んでいるだけだが、五月へのアングルが珍しいと言えば珍しい。こういう句は、案外、晴れやかな句よりも逆に残るのではないかと思ったりした。少なくとも私は、天気の良くない五月の空を見るたびに思い出してしまいそうだ。ところで、気象庁創立以来百二十年の統計を見ると、今日「五月六日」の東京地方の天気は、晴れた日は五十回だが、三十九回が曇りで、後は雨。雷が発生した日も一回ある。晴れの五十回は、これでも五月の他の日に比べて最も多いのだから、今月の東京の「あいまいな空」の日は、漠然と思っているよりも、かなり多いということである。『現代俳句年鑑・2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)
May 052001
粽結ふ母も柱もむかしかな
宮下白泉
いまは「こどもの日」、昔は「端午(たんご)の節句」。この日の菓子は、「粽(ちまき)」か「柏餅」だ。関西では「粽」、関東では「柏餅」が一般的だと聞いたこともあるが、どうだろうか。掲句の背景には、有名な童謡「背くらべ」(海野厚作詞・中山晋平曲)が意識されている。「柱のきずは おととしの/五月五日の 背くらべ/ちまきたべたべ にいさんが/はかってくれた 背のたけ……」。この歌のせいで、全国の家庭の柱には、どれほどの傷がつけられたことだろう。ご多分に漏れず、我が家の柱も同一の運命にみまわれた。作者の前には粽があり、そんな「むかし」を懐かしんでいる。「粽結ふ母」も傷つけた「柱」も、いまや無し。思えば、あの頃の我が家がいちばんよかったなあ。「むかし」という柔らかな表記が、ほのぼのとした郷愁を誘う。石川桂郎に「一つづつ分けて粽のわれになし」があり、これもさりげない佳句だ。頂き物の粽を家族で分けてみたら、一つ足りなかった。「お父さんはいいよ、子供の頃にいっぱい食べたからね……」。「一つづつ」と強調されているから、粽などめったに手に入らなかった食料難の時代の句だろう。掲句の作者も、もしかしたら同じ状況にあったのかもしれない。俺は良い思い出だけで十分だよ、と。急に粽が食べたくなった。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
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