March 222001
春暁亡妹来り酒静か
入江亮太郎
病中吟。「悼妹」の前書あり。「春暁」は「はるあかつき」と読ませている。春暁の夢の醒め際に、亡き妹が現われた。そのことを思い、妹との交流の日々をしみじみと思い出しつつ、静かに酒を含んでいる図だ。漢字が多く、見た目にゴツゴツしているところは「詩人俳句」の特徴みたいなものだが、この場合にはそれがかえって効果をあげている。かつて「彼方」の詩人として知られた入江亮太郎が本格的に作句をはじめたのは、晩年になってからだという。詩から俳句への道筋は、どのような思いからだったのだろう。詩を書いてきた私にも関心をかき立てられるところだが、遺句集に収められた令夫人の小長井和子さんの文章で、次の美しい解説を読むことができる。「滅びの予感に怖れを抱きつつ、長いあいだ紙の上に詩を書かずにいた入江は、『私に優しかりし人と山川草木水石及び鳥獣蟲魚の印象を記す』とかねて考えていたことを俳句という形式によって実現し、幼馴染みの友人に見せようとした。そしてそれが実際には彼の白鳥の歌となったのである。もはや未来を考えることが無意味となったとき、彼はひたすら幼年時代ににさかのぼって過去を探り、そのイメージを表現することによってしばし病苦を忘れようとしたのだろう。時たまテレビに映し出される沼津駅前の現代化したにぎわいなど、入江にとってはどうでもよかった。彼はただ記憶のなかに止められている美しいふるさとの風物や、懐かしい人々の映像を書きとめ、その記憶の世界を自分と共有しうる友人に贈りたかったのにちがいない。……」(「晩年の入江亮太郎」)。亮太郎は沼津の出身だった。それにしても「もはや未来を考えることが無意味となったとき」という件りには、粛然とさせられる。よほど運がよくないと、私もこうなるだろう。と同時に、この人に「俳句」があって本当によかったと思い、あらためて「俳句という形式」の並々ならぬ魅力に思いが至った。『入江亮太郎・小裕句集』(1997)所収。(清水哲男)
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