中原中也についての短い原稿。いま、どの程度読まれている詩人なのか見当がつかず、苦労した。




2000%9句(前日までの二句を含む)

March 0932000

 春宵や食事のあとの消化剤

                           波多野爽波

つかくの春宵なるに、色気なきこと甚だしき振るまいなり。されど、かくまでの色気なき振るまいを材に、かくまでに妙な色気を点じ得たる爽波は、さながらに達人とも名人とも言うべけんや。なあんて、擬古文(?!)は難しいものですね。春宵の少しぼおっとしたような感覚が、よく伝わってきます。よほど、胃の弱い人だったのでしょうか。胃弱の文学者といえば、有名なのは漱石でしょう。しきりにタカジヤスターゼ(高峰譲吉がコウジカビから創製した酵素剤の商品名)を飲んでいた様子が、『吾輩は猫である』の苦沙弥先生の描写にうかがわれます。「彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらわしている。そのくせに大飯を食う。大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二、三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。……」。先生の胃弱は終章にいたるまで言及されており、よほど漱石がこの持病に苦しめられていたことがわかります。ここでもう一度掲句に返ってみると、味わいはずいぶんと変わったものに感じられますね。爽波と漱石とは、もちろん何の関係もありません。春宵の過ごし方といっても、当たり前ながら人さまざまで、誰もがうっとりとしているわけではないのだと、作者はいささか不機嫌なのでしょう。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)


March 0832000

 大人だって大きくなりたい春大地

                           星野早苗

直に、おおらかな良い句だと思った。辻征夫(辻貨物船)の「満月や大人になってもついてくる」に似た心持ちの句だ。三つの「大」という字が入っている。もちろん、作者は視覚的な効果を計算している。辻の句とは違い、技巧の力が働いている。このとき「春大地」の「大」に無理があってはならないが、ごく自然にクリアーした感じに仕上がった。ホッ。だから、句の成り立ちからして、掲句は写生句ではありえない。頭の中の世界だ。その世界を、いかに外側の世界のように出して見せるのか。そのあたりの手品の巧拙が勝負の句で、「船団の会」(坪内稔典代表)メンバーの、とくに女性たちの得意とする分野と言ってよいだろう。が、このような句作姿勢には常に危険が伴うのだと思う。技巧と見せない技巧を使うことに執心するがために、中身がおろそかになる危険性がある。「おろそか」は、技巧の果てに作者も予期しない別世界が出現したときに、「これはこれで面白いね」と自己納得してしまう姿勢に属する。俳句は短い詩型だから、この種の危険性は、なにも「船団俳句」に特有のことではないのだけれど、最近「船団」の人の句をたくさん読んでいるなかで、ふと思ったことではある。『空のさえずる』(2000)所収。(清水哲男)


March 0732000

 花種子を播くは別離の近きゆゑ

                           佐藤鬼房

者は東北の人だから、実際に花の種子を播(ま)くのは、四月に入ってからになるのだろう。年譜によれば、三十代より胆嚢を病み、頻繁に入退院を繰り返している。したがって、句の「別離」には、みずからの死が意識されている。いま播いている種子が発芽して花をつけるころには、もはや生きていないかもしれないという万感の思い。だからこそ、いつくしみの思いをこめて種子を播き、新しい生命を誕生させたいのだというロマンチシズム。かつて詩人の三好豊一郎(故人)が、鬼房の句について、次のように書いたことがある。「俳諧の俳味に遊ぶよりも、俳句という形に自己の人生への感慨を封じこめることで、外界はおのずから作者の心象の詩的イメージとなって描き出される。そういう句が多い」(「俳句」1985年7月号)。掲句もその通りの作品で、現実の「花種子を播く」という外界的行為は、抽象化され心象化されて独特のロマンチシズムへと読者を誘っているのだ。読んだ途端に、同じ東北人だった寺山修司の愛した言葉を思い出した。「もしも世界の終わりが明日であるにしても、私は林檎の種子を蒔くだろう」。『何處へ』(1984)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます