February 252000
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
坪内稔典
えっ、たんぽぽ(蒲公英)の「ぽぽのあたり」って、どこらへんなの(地方によっては、ちょっとエロチックな想像に走る人もいそうだ)。そう思った途端に、読者は作者の術中にはまっている。実体を指示するための言葉を、あっけらかんと実体そのものに転化させてしまう手法はユニークだ。詩の世界では見られなくもないけれど、俳句では珍しい。「どこと問われてもねえ」と、笑っているだけの作者の顔が浮かんでくるようだ。馬鹿馬鹿しいといえばそれまでだが、しかし、この句は確実に記憶に残る。その「記憶に残る」ということが、作者近年のテーマのようだ。句集の後書きに「簡単に覚えることができ、そして気軽に口ずさめる俳句は、諺にきわめて近い」と記されており、「言技師(ことわざし)こそが俳人」だと言っている。賛成だ。論より証拠(!!)。坪内稔典の人口に膾炙している句は、みんな諺のように覚えやすい。しかも、諺とは違って、中身はナンセンスの極地にある。こういう句は、よほど言葉が好きでないとできないだろう。そしてもう一方では、よほど人間が好きで、その機微に通じるセンスがないと……。ちなみに、連作「ぽぽのあたり」は「たんぽぽのぽぽのその後は知りません」で締めくくられている。はぐらかされたか。そこがまた楽しい。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)
February 242000
雛飾りつゝふと命惜しきかな
星野立子
五十歳を目前にしての句。きっと、幼いときから親しんできた雛を飾っているのだろう。昔の女性にとっての雛飾りは、そのまま素直に「女の一生」の記憶につながっていったと思われる。物心のついたころからはじまって、少女時代、娘時代を経て結婚、出産のときのことなどと、雛を飾りながらひとりでに思い出されることは多かったはずだ。「節句」の意味合いは、そこにもある。そんな物思いのなかで、「ふと」強烈に「命惜しき」という気持ちが突き上げてきた。間もなく死期が訪れるような年齢ではないのだけれど、それだけに、句の切なさが余計に読者の胸を打つ。俳句に「ふと」が禁句だと言ったのは上田五千石だったが、この場合は断じて「ふと」でなければなるまい。人が「無常」であるという実感的認識を抱くのは、当人にはいつも「ふと」の機会にしかないのではなかろうか。華やかな雛飾りと暗たんたる孤独な思いと……。たとえばこう図式化してしまうには、あまりにも生々しい人間の心の動きが、ここにはある。蛇足ながら、立子はその後三十年ほどの命を得ている。私は未見だが、鎌倉寿福寺に、掲句の刻まれた立子の墓碑があると聞いた。あと一週間で、今年も雛祭がめぐってくる。『春雷』(1969)所収。(清水哲男)
February 232000
なずな咲くてくてく歩くなずな咲く
小枝恵美子
なずな(漢字では「薺」と難しい字を書く)は、陰暦正月七日の七種粥に入れる七草の一つなので、単に「なずな」だと、歳時記的には「新年」に分類される。が、花が咲くのは早春から梅雨期にかけてであり、掲句の場合には「薺の花」で春。またの名を「ぺんぺん草」とも「三味線草」とも言う(こちらのほうがポピュラーか)。さて、この句の魅力は「てくてく」にある。「歩く」といえば「てくてく」など常套的な修辞でしかないが、実にこの「てくてく」の用法は素晴らしい。いたるところに咲いているなずなの道を行く気分は、別にいちいち花を愛でながらというわけでもないので、むしろ常套的な「てくてく」がふさわしいし、句の情景を生き生きとさせている。「むしろ技巧的に思われるほどだ」と句集の栞で書いた池田澄子は、さらにつづけて「そこここに咲いている『なずな』と、そのことを喜び受け止めながら歩いている人物は、春を輝く万物の細部としての代表である」と述べている。これまた素晴らしい鑑賞だ。春の道は、こんなふうに「てくてく」と歩きたい。なお「なずな」を「ぺんぺん草」「三味線草」と呼ぶのは、その実を三味線のバチに見立てたことにちなむそうだ。今日調べてみるまでは、つゆ知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)
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