December 011999
福助の頭は空つぽや十二月
小泉八重子
福助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている。このあたりについては、田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』(中央公論社・1998)に詳しい。『遠望』(1989)所収。(清水哲男)
November 301999
あたゝかき十一月もすみにけり
中村草田男
昔から、この句が好きだ。なんということもないのだけれど、心がやすまる。実際に今年の十一月も暖かかったが、そういう事実を越えて、何か懐かしい響きを伝えてくれる句だ。意図的に使われている平仮名の、心理的な効果によるものだろう。字面は詠嘆的なのだが、詠嘆がまといがちな大袈裟な身振りを、やわらかい平仮名がくるんでしまっている。ほど良い酔い心地。そんな感じもする。そしてちょっびりと、同時に明日からの「酔いざめの師走」が暗示されていて、そこがまた読む者の琴線に微妙に触れてくるのだ。山本健吉が「腸詰俳句」と言った草田男独特の句境にはほど遠いところに位置する作品だが、草田男のもう一つの魅力が存分に発揮されている句だと思う。草田男は虚子門。やはり「ホトトギス」の子なのであった。(清水哲男)
November 291999
狐火を伝へ北越雪譜かな
阿波野青畝
鬼火とも呼ばれる「狐火」の正体は、よくわかっていない。冬の夜、遠くに見える原因不明の光のことだ。たぶん死んだ獣の骨が発する燐光の類だろうが、それを昔の人は狐の仕業だとした。よくわからない現象は、とりあえず狐の妖術のせいにして納得していたというわけだ。目撃談はいろいろとあり、なかでも鈴木牧之『北越雪譜』(天保年間の刊行)のそれはリアルなので、今日の辞書の定義には、眉に唾をつけた恰好ながら多く採用されている。「我が目前に視しは、ある夜深更の頃、例の二階の窓の隙に火のうつるを怪しみ、その隙間より覗きみれば孤雪の掘場の上に在りて口より火をいだす。よくみれば呼息(つくいき)の燃ゆるなり。(中略)おもしろければしばらくのぞきゐたりしが、火をいだす時といださゞる時あり。かれが肚中の気に応ずるならん」。口から火を吐いていたのを確かに見たというのであるが、これも理屈をつければ、狐が獣骨を銜えていたのではないかと推察される。いずれにせよ、狐火が見える条件には漆黒の闇が必要だ。句は、牧之の時代の真の闇の深さを思っている。『不勝簪』(1974-1978)所収。(清水哲男)
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