深見けん二の句

February 1421999

 辞すべしや即ち軒の梅を見る

                           深見けん二

家を訪問して辞去するタイミングには、けっこう難しいものがある。歓待されている場合は、なおさらだ。「そろそろ……」と腰を上げかけると、「もう少し、いいじゃないですか」と引き止められて、また座り直したりする。きっかけをつかみかねて、結局は長居することになる。酒飲みの場合には、とくに多いケースだ。自戒(笑)。句のシチュエーションはわからないが、作者は上手なきっかけを見つけかけている。「辞すべしや」と迷いながら、ひょいと庭を見ると、軒のあたりで梅がちらほらと咲きはじめていたのだ。辞去するためには、ここで「ほお」とでも言いながら、縁側に立っていけばよいのである。そしてそのまま、座らずに辞去の礼を述べる……。たぶん、作者はそうしただろう。こうした微妙な心理の綾をとどめるのには、やはり俳句が最適だ。というよりも、俳句を常に意識している心でなければ、このような「キマラないシーン」をとどめる気持ちになるはずもないのである。いわゆる「俳味」のある表現のサンプルのような句だと思う。『父子唱和』(1956)所収。(清水哲男)


May 0851999

 ビヤホール椅子の背中をぶつけ合ひ

                           深見けん二

夏よりも、初夏のビヤホールのほうが楽しい。咽喉が乾く真夏はビールに飢えるという感覚があって、どうしても飲み方がガサツになってしまう。そこへいくと、初夏のうちは乾きにも余裕があるので、楽しむという飲み方ができるからだ。椅子の背中がぶつかりあっても、それすらが嬉しいという感じ……。句のビヤホールがどこかは知らないが、椅子がぶつかるからといって、小さな店とは限らない。銀座の「ライオン」などは大きな店だけれど、テーブルをばらまいたように配置しているので、しょっちゅうぶつかる。愛する店の一つだ。いちばん好きだったのは、まだ二十代の頃、お茶の水は文化学院のそばにあったビヤガーデンだった。文字通り、庭で飲ませてくれた。いまどきのカフェテラスとやらのように埃だらけになることもなく、新緑に染まりながら飲むビールの味は、我が青春の味そのものであった。勤め先の出版社が駿河台下だったので、仲間とよく出かけて行ったっけ。いつの間にか、つぶれてしまったのは寂しい。こんなことを書いているとキリがなくなる。が、もう一つ。この季節に意外にもよい雰囲気なのは、有楽町駅近くの「ニュー・トーキョー」だ。なかなか窓際には坐れないが、明るいうちに飲んでいると、街路樹の緑も程よく、道行く人もそれぞれ格好良く、しばし陶然となる(はずである)。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


August 2281999

 これよりの心きめんと昼寝かな

                           深見けん二

題にぶち当たる。さあ、どうしたものか。これから「心をきめ」ようという大事なときに、昼寝をするというのは妙だと思われるかもしれない。が、私にはこういう気持ちがよく起きる。というのも、あれこれの思案の果てに疲れてしまうということがあり、思案の道筋をいったん絶ち切りたいという気持ちにもなるからである。思案の堂々巡りを中断し、また新しいアングルから難題を解くヒントを見つけるためには、一度意識の流れを切ってしまうことが必要だ。平たく言えば「ごちゃごちゃ考えても、しゃあない」ときがある。そんなときには、昼寝にかぎる。昼寝は夜の睡眠とは違って短いし、また明るい時間に目覚めることができる。そうした物理的な理由も手伝って、目覚めた後への期待が持てる。終日の思案の果てに就寝すると、一日を棒に振った気持ちになるが、そういうこともない。あくまでも小休止だと、心を納得させて眠りにつける。句は、そういうことを言っている。昼寝の句としては珍しいテーマと言えようが、人間心理の観察記録としては至極真っ当だと、私には読めた。『父子唱和』(1956)所収。(清水哲男)


January 2312000

 おそく来て若者一人さくら鍋

                           深見けん二

の色が桜のそれに似ているので、いつのころからか「さくら」は馬肉の異称となった。寿司屋の符丁で、蝦蛄(しゃこ)を「ガレージ」と言うがごとし。ただし、このような半可通の下手な洒落を私は好まない。地下鉄丸ノ内線「新宿御苑」駅の裏手出口のそばに、「さくら鍋」を出す店がある。味噌仕立てではなく、鋤焼(すきやき)風に焼いて食べさせる。ここに仲間と、年に一度か二度あつまる。その都度、誰かの記念日であったり厄落としであったりするのだけれど、ま、みんなで飲む口実さえあればよいというわけ。句の場合も同じような集いであろうが、一人の若者がかなり遅れて来た。必ず来ることになっていたので、一人前だけ別にとってあった。それを、シラフの若者が黙々と食べている図である。なんということもないのだが、みんなが一度食べ終えた鉄の鍋で、桜色の馬肉を焼いている様子は、若者だけに侘びしいものがある。本来の若い血気が、しょんぼりしている。やっぱり、鍋はみんなでわいわいにぎやかに食ってこそ美味いのだ。それを、一人で食べている。よんどころない事情からだろうが、すまなそうな顔をしている。もうすぐ、会はお開きだ。いや、店との約束の時間はもう過ぎているようだ。「ちゃんと食えよ」。思いつつも、しかし作者ははらはらしている。『雪の花』(1977)所収。(清水哲男)


May 0352000

 新緑に吹きもまれゐる日ざしかな

                           深見けん二

薫る季節。しかも、今日は極上の天気である。新緑の葉のそよぎが、ことのほかに美しい。日ざしを乱反射してキラキラと光る新緑の様子は、いつまでも見飽きるということがない。それを作者は、風に新緑の木の葉が吹きもまれているのではなく、「日ざし」が若い木の葉のそよぎに「もまれゐる」のだと詠んでいる。ほとんど風を言わずに、句の中心に風の存在を言っている。だから一見すると、才知の瞬間的な勢いでこしらえた句のようにも思えるが、そうではない。深見けん二の「ものに目を置く時間の長さ」(斎藤夏風)が、じっくりと対象を発酵させてから、あわてず騒がずに落ち着いて採り入れた世界なのだ。たとえ同様の発想は獲得しえても、芸達者な才気煥発型の詠み手だと、なかなかこう静かにはおさまらないだろう。対象をしっかりと見据え、見据えているうちに、ぽとりと表現が手のひらに落ちてくる……。虚子直門の作者の句風は一貫してそのようであり、この俳句作法そのものが読者の心をしっかりと捉えて離さない。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


October 26102000

 鳥渡る勤め帰りの鞄抱き

                           深見けん二

ルの谷間から見上げる空にも、鳥の渡ってくる様子は見える。一日の仕事に疲れての帰宅時、なんとなく空を見上げたら、いましも渡っていく鳥たちが見えた。その昔「月給鳥」などという自嘲もあったが、大空を渡る鳥の姿は自由で羨ましい。黒い鞄を抱きながら、しばし見惚れたというところ。サラリーマンには、身に沁みる句だ。このときに胸に抱いている黒い鞄は、不自由の象徴だろう。それを、後生大事に抱いていなければならぬ侘びしさ。鞄の色など書かれてはいないが、この場合には、どうしても昔の平均的サラリーマンが持っていた黒い色のでないと味が出ない。私も、そんな鞄を持っていた。たいした物が入っているわけでもないのに、持っていないと不安というのか、何か頼りなさを感じたものだ。最近の人は、あまり黒い鞄を持たない。千差万別。意識的に街で観察してみたら、まさに千差万別だ。となれば、勤め帰りに見る渡り鳥の印象も、掲句のようには感じられないのかもしれない。鞄一つが変わったのではなくて、勤め人の意識が、昔とは大違いになっているということだろう。生涯サラリーマンで安住(?!)したかったのに、行く先々で会社がこわれてしまった私などには、掲句の侘びしさすらもが羨ましく写る。渡り鳥は、鳴いて渡る。昔のサラリーマンもまた、鞄を抱いて泣いて世間を渡っていた。というのは嘘で、ちゃんとした終身雇用制度下のサラリーマンは、この侘びしさをどこかで楽しむ余裕もあったということ。と書いても、べつに作者に失礼にはあたるまい。『雪の花』(1977)所収。(清水哲男)


December 08122000

 峠に見冬の日返しゐし壁ぞ

                           深見けん二

味だけれど、不思議な印象を与えてくれる句だ。季語「冬の日」は冬の一日の意でも使うが、冬の太陽を指す場合が多い。峠を越えて、作者は山里に下りてきた。土蔵だろうか。白い壁の建物の前を通りかかって、はっと気がついた。ああ、「あれ」は「これ」だったのか。きっと、そうにちがいない。「これ」は眼前の白壁で、「あれ」は峠から遠望した建物の白壁である。峠から見た山里の風景は寒々としていたが、なかで弱々しい太陽の光りを反射させている小さな「壁」だけが、健気にも元気な感じで一瞬目に焼きつけられた。もちろん、歩いているうちに、そんなことは失念してしまっていたのだが、いま「壁」の傍らを通りかかって、不意に思い出したというわけである。カメラなら、峠からすっと簡単にズームアップできるるところを、人は時間をかけなければ果たせない。その時間性が詠まれているので、まずは不思議な印象を受けるのだろう。どこかの場所で、そこにまつわる過去を思い出したり偲んだりする句はヤマほどある。しかし、掲句のように、過去とは言っても「つい、さきほど」の過去を思い出した句は少ない。たいていの日常的な「つい、さきほど」には、記述するに足ると思える何の意味も価値もないからだ。そのあたりは百も承知で、作者は詠んでいる。そこがまた不思議な味わいにつながっており、私などには「ああ、これがプロの腕前なんだなあ」と感心させられてしまう。単に「あれ」が「これ」だったのだと言っているにすぎないが、なんだか読者もいっしょに嬉しく思える句の不思議。『雪の花』(1977)所収。(清水哲男)


April 2442001

 夕闇の既に牡丹の中にあり

                           深見けん二

から、牡丹(ぼたん)には名句が多い。元来が外国(中国)の花だから、観賞用に珍重されたということもあるのだろう。大正期あたりに、おそらくは同様の理由から、詩歌で大いに薔薇がもてはやされたこともある。それだけに、現代人が牡丹や薔薇を詠むのは難しい。原石鼎に「牡丹の句百句作れば死ぬもよし」とあるくらいだ。さて、掲句は現代の句。夕刻に近いが、まだ十分に明るい庭だ。そこに咲く牡丹を見つめているうちに、ふと花の「中」に夕闇の気配を感じたというのである。繊細にして大胆な言い当てだ。やがて、この豊麗な花の「中」の闇が周囲ににじみ出て、今日も静かに暮れていくだろう。牡丹の持つぽってりとした質感と晩春の気だるいような夕刻の気分とが、見事に呼応している。上手いなあ。変なことを言うようだが、こういう句を読むと、花を見るのにも才能が必要だと感じさせられる。つくづく、私には才能がないなと悲観してしまう。ちょっとした思いつきだけでは、このようには書けないだろう。やはり、このように見えているから、このように詠めるのだ。さすがに虚子直門よと、感心のしっぱなしとはなった。ちなみに「牡丹」は夏の季語だが、晩春から咲きはじめる。もう咲いている。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


May 2852002

 来て立ちて汗しづまりぬ画の女

                           深見けん二

語は「汗」で夏。「画の女」を、最初は、自分がモデルになった画の出展されている展覧会を見に来た女性かなと思ったのだが、そうすると「来て立ちて」の「立ちて」が不自然だ。あらためて、当たり前の立ち姿を紹介する必要はないからである。そうではなくて、美術教室のモデルとして来た女性だろう。定刻ギリギリにやって来て、一息つく時間もなく、ハンカチで汗を押さえるようにしながら、そのまま描き手の前に立った。そして、早速ポーズを決めるや、すうっと汗が「しずま」ったというのである。役者などでもそうだが、本番で汗をかくような者は失格だ。このモデルも、さすがにプロならではの自覚と緊張感とをそなえていたわけで、作者は大いに感心している。モデルがぴしっとすれば、教室全体に心地よい緊張感がみなぎってくる……。モデルを前にして画を描いたことはないけれど、モデルはたとえば音楽のコンダクター的な役割を担う存在なのではあるまいか。少しでも気を抜けば、たちまち描き手に伝染してしまうのだろう。しかるがゆえに、モデルの価値は容貌容姿などにはさして依存していない。価値は、描きやすい雰囲気をリードできるかどうかにかかっているのだと思う。画を描かれるみなさま、いかがでしょうか。『星辰』(1982)所収。(清水哲男)


March 0932003

 生き残りたる人の影春障子

                           深見けん二

く晴れた日。縁側に腰掛けているのか、廊下を通っていったのか。明るい障子に写った「人の影」を認めた。その人は、九死に一生を得た人だ。大病を患ったのかもしれないし、戦争に行ったのかもしれない。しかし作者は、ふだんその人について、そういう過去があったことは忘れている。その人は身内かもしれないし、遊びに来た親しい友人かもしれない。いずれにしても、作者はその人の影を見て、はっとそのことを思い出したのである。自分などとは比較にならぬ不幸な体験を経て、その人はいまここに、静かに生きている……。生き残っている。その人と直に向き合っているとわからないことを、束の間の影が雄弁に語ったということだろう。すなわち、障子一枚隔てているがゆえに、逆にその人の本当の姿がくっきりと浮かび上がったのだ。影は実体のディテールを消し去り抽象化するので、実体に接していたのではなかなか見えてこないものを、率直にクリアーに写し出す。この人は、こんなに腰が曲がっていたのか、等々。シルエット、恐るべし。さて、作者はこれから、その人と言葉をかわすのかもしれない。だとしても、いつもの調子で、何事も感じなかったように、であるだろう。『花鳥来』(1991)所収。(清水哲男)


August 2182003

 退院をして来てをられ秋簾

                           深見けん二

語は「秋簾(あきすだれ)」。涼しくなってくると、簾はしまいこまれる。が、どうかすると、しまい忘れて吊りっぱなしになっていたりする。汚れてみすぼらしい感じを受ける。だから、逆に人目につきやすいとも言え、通りがかりにそんな簾があると、見るともなく、つい目をやってしまう。作者も同様で、通りがかりに近所の家の窓の簾に目をやると、簾越しに人の影が認められた。ご近所とはいっても、平素はそんなに付き合いの無い家だ。親しければ、当然入退院の報せは届けられるからである。つまり、ぼんやりと家族構成(一人暮らしかもしれない)くらいは知っている程度で、ご主人の入院も人づてに聞いていたのだろう。むろん、病状など詳しいことは何も知らない。そう言えば、このところその人の姿も見かけないし、簾を吊った部屋も閉じられていることが多かったような……。そんなわけで、何となく気になっていたところ、いま認めた人の影はまぎれもなくその人のものだった。ああ、早々に退院して来られたのだな。そう思ったら、それこそ何となく気持ちが明るくなったというのである。吊ったままの簾も、この様子だと今日にでもしまわれることだろう。と、ただそれだけのことを詠んでいるのだが、こういう句には文句無しに唸らされてしまう。詠まれているのは、日常的な些事には違いない。だが、その些事をこのようにさりげなく詠むには、虚子直門の作者には失礼な言い方になるけれど、相当な年月をかけた修練が必要だ。たとえば修練を積んだ剣士かどうかがさりげない立ち姿でわかるように、掲句もまた、さりげなくも腰がぴしりと決まっているのがわかる。『深見けん二句集』(1993)所収。(清水哲男)


May 1352006

 藤房の中に門灯点りけり

                           深見けん二

語は「藤(の)房」で春、「藤」に分類。美しい情景だ。このお宅では,門の上方から藤の蔓を寄せて垂らしているのだろう。たそがれどきになり門灯が点(とも)ると、いまを盛りの藤の花房を透かして、それが見えるのだ。藤の花も門灯も、ぼおっと霞んだように見え、それらが晩春のおぼろな大気の醸し出す雰囲気と溶け合って,さながら一幅の絵のごとしである。下手の横好きで写真に凝っている私としては、一読、撮りたいなあと思ってしまった。ただし、露出の具合が難しそうで、まず私ではとても上手には撮れないだろう。まごまごしているうちに、日が暮れてしまうだろう。近所に藤ならぬ薔薇の門を構えているお宅があって、今年も間もなく見事な花々が開く。これを昼間の明るい光線で撮っても、絵葉書みたいな平凡な写真になりそうなので、結局一度も撮ったことはない。で、掲句を知ったときに「これだっ」と興奮したけれど、念のためにと確かめに行ってみたら、門灯のない門だった。密集して咲く薔薇の花と門灯と……。これはこれで、掲句とは違った美しさが出るはずなので、残念至極である。いずれどこかで偶然に、そんな門構えの家を見つけるしか手段はない。揚句に戻れば、この構えの家を発見したときに、作者の練達をもってすれば、もう句は八分どおり成っていたも同然と言えようから、その意味では写生俳句と写真とはよく似ているところがある。いずれも発見する眼が大切であり、しかしその眼は一日にしては成らない。『日月』(2005)所収。(清水哲男)


August 0482007

 宵の町雨となりたる泥鰌鍋

                           深見けん二

の上ではこの夏最後の土曜日だが、暑さはこれからが本番だろう。この句は「東京俳句歳時記」(棚山波郎)より。夏ならば、朝顔市、三社祭など馴染みの深いものから、金魚のせり、すもも祭りなど(私は)初めて知ったものまで、ひとつひとつ丹念に取材された東京の四季が、俳句と共に描かれている。泥鰌を食べる習慣は、東京独自のものというわけでもないらしいが、西の方では概ね敬遠されるようである。一度だけ行ったことのある泥鰌屋は、川沿いの小さい店だった。思い返すと、その濃いめの味付け、鍋が見えなくなるほどにかけ放題の青ネギ、確かに鍋とはいえ、団扇片手に汗をかきかき食べる夏の食べ物である。食べ物を詠む時、そのものをいかにもそれらしく美味しそうに、というのもひとつであろうが、この句は、泥鰌鍋でほてった頬に心地良い川風を思い出させる。川に降り込むかすかな雨音、町を包む夜気と雨の運んでくる涼しさが、夏の宵ならではと思う。泥鰌鍋の項には他に、秋元不死男の〈酒好きに酒の佳句なし泥鰌鍋〉など。「東京俳句歳時記」(1998)所載。(今井肖子)


February 2222008

 薄氷の吹かれて端の重なれる

                           深見けん二

氷が剥がれ、風に吹かれかすかに移動して下の薄氷に重なる。これぞ、真正、正調「写生」の感がある。俳句がもっともその形式の特性を生かせるはこういう描写だと思わせる。これだけのことを言って完結する、完結できるジャンルは他に皆無である。作者は選集の自選十句の中にこの句をあげ、作句信条に、虚子から学んだこととして季題発想を言い、「客観写生は、季題と心とが一つになるように対象を観察し、句を案ずることである」と書く。僕にとってのこの句の魅力の眼目は、季題の本意が生かされているところにあるのではなく、日常身辺にありながら誰もが見過ごしているところに行き届いたその「眼」の確かさにある。人は、一日に目にし、触れ、感じる無数の「瞬間」の中から、古い情緒に拠って既に色づけされた数カットにしか感動できない。他人の感動を追体験することによってしか充足せざるを得ないように「社会的」に作られているからだ。その縛りを超えて、まさに奇跡のようにこういう瞬間が得られる。アタマを使って作り上げる理詰や機智の把握とは次元の違う、自分の五感に直接訴える原初の認識と言ってもいい。季題以外から得られる「瞬間」の機微を機智と取るのは誤解。薄氷も椅子も机もネジもボルトも鼻くそも等しく僕らの生の瞬間を刻印する対象として眼の前に展開する。別冊俳句「平成秀句選集」(2007)所載。(今井 聖)


March 1732009

 そこまでが少し先まで蝶の昼

                           深見けん二

課のように家から200mくらい先のポストまでの道を、季節や天気によって最短距離を選んだり、寄り道したりして歩く。このところのあたたかな陽気では、思わぬ時間を取ってしまい、たかだか投函というだけで小一時間ほどが過ぎている。道草の語源は馬が道ばたの草を食べてなかなか先に進めないということからきているという。そうか、だから「道草を食う」というんだ…、などと、とりとめもなく思いめぐらせることさえのどかな春の午後である。掲句は「蝶の昼」という華やかな季題によって、舞い遊ぶ蝶に「そこまで」の用事を一歩もう一歩と誘導されているようだ。しかし、浦島太郎よろしく「ああ、こんなところまで」と詠嘆の大時代的なもの言いでないところが、現実の静かな実感である。しかし「少し先」には、いつもの「そこまで」とはわずかに違う、ささやかな甘い余韻が漂う。隣りに並ぶ〈蝶に会ひ人に会ひ又蝶に会ふ〉では、掲句よりさらに先まで、めくるめく感覚に歩を進める。次元の裂け目に移ろうように、ひらひらと心もとなく舞う蝶を寄り代にして、現実をまぼろしのように見せ、危うく美しい無限世界を描いている。『蝶に会ふ』(2009)所収。(土肥あき子)


May 0852009

 白粉を鼻に忽ち祭の子

                           深見けん二

正な句。品格といってもいい。気品のようなものの出処をあれこれと思うのだが、表現内容はさることながら、切れにその要因があるように思った。「白粉を鼻に」でちょっと切れる。一拍短く置いて、「忽ち」に繋がる。意味からいってそこで切れるが、「写生」の被写体の動きとも時間的に並行してゆく。ぱたぱたと白粉を鼻に塗られ、一拍あって、さあ、祭の子の出来上がりである。祭の子の装いや化粧などを詠んだ句は山ほどあるけれど、この切れが文体のオリジナルを強調し、そこに品格が生じる。繊細丁寧で欲を見せない自然体。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


October 30102009

 集まりて老人ばかり子規祀る

                           深見けん二

人の平均年齢はなぜかくも高いのか。俳人は年寄りばかりで、年寄りになると「花鳥諷詠」が好きなると言って虚子門の人に叱られたことがある。老いて旧守に走るのを予定調和というのだろうか。花鳥諷詠が旧守だといえばまた異論はあることだろう。若い頃は前衛、老いて旧守。もしその逆があればそういう人間には興味が湧くのにと思う。同じ句集にこの句にならんで「新人と呼ばれし日あり獺祭忌」がある。こう詠まれると子規像が俄然青春の趣をもって迫ってくる。どの時代もそこに関わる人の志次第だとこれら二句が主張している。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


August 1982011

 見回して雲のありたる秋の晴

                           深見けん二

きどき句会で、研究会と称して「この句が無記名のまま句会に出たら、あなたは採りますか」という試みをやっている。いわゆる名句として喧伝されている句が対象だ。一度先入観を持ってしまうとなかなか作者名と作品を切り離して評価するのは大変だが、それをやってみようというわけである。自分の先入観を一度リセットしてほんとうにあなたにとってその句は魅力的な句なのか、その理由は?ということを問うていくと、鑑賞も評価も評論家やいわゆる大家などの権威に引きずられていることがわかる。この句、出席した句会に出たら僕は間違いなく採る。その理由は第一に、秋晴というのは一点の雲もなく、という本意に抗って雲のある秋晴が写生されている点。見た事実が本意を超えているのだ。第二に「見回して」に「自分」が出ている点。見回す間合いは気持の余裕と肉体の老いの所産だ。それは作者名がわかっているからそういう鑑賞が出来るのだという人がいるかもしれない。それは間違い。蓋を開けてみたらこの句が健康な青年だったという可能性はありえない。「健康な」という但し書きをつけたのは、若年であってもそういう気持の余裕と肉体の衰えを実感せざるを得ない境遇に置かれた場合は別であるという意味。「見回す」は自分と直接的に結びついた言葉である。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


July 0772012

 人生の輝いてゐる夏帽子

                           深見けん二

の夏帽子は白くて大きく、その主は若く華やかな女性、こぼれんばかりの笑顔がまぶしいのだ、と一人が言った。すると、いやいや、この夏帽子は麦わら帽かピケ帽でかぶっているのは少年、希望に満ちあふれ悩みもなく、明るい未来を信じている今が一番幸せなのだ、と別の誰か。さらに、いやこの夏帽子の主は落ち着いた奥様風の女性、上品な帽子がよく似合っていて、いろいろあったけれど今が幸せ、という雰囲気が感じられるのだ、と言う人もいて、夏帽子の印象はさまざまだった。たまたま、作者にお目にかかる機会があり、それとなくうかがうと「人生、という言葉を使いましたからねえ、あまり若くはないかな。まあ、なんとなく今が幸せ、というふうに見えたんですよ」と。作者の眼差しは客観的で、それによって読み手は無意識のうちに、自分の人生の一番輝いている、または、輝いていたと思う姿をそこに見るのかもしれない。俳誌「花鳥来」(2012年夏号)所載。(今井肖子)


March 1132014

 なほ続く風評被害畑を打つ

                           深見けん二

昨年秋にいわき市のホテルに宿泊した際の朝食のご飯は福島産と他県産が区別されていた。昨年末も同じだった。現在の風評被害の最たるものは、3年前のこの日に起きた東日本大震災を発端とした原発事故によるものだろう。風評とは根も葉もない噂のこと。噂は正しい情報を得ていない不安から引き起こされる。きれいな大地が戻ることを誰もが願い、春になれば種を蒔き、秋になれば収穫の喜びを分かち合う。土と生きる者として、あたりまえの幸せが叶えられない。種蒔きの準備のため土を耕す畑打ち。鍬を打つたび、黒々とした土が太陽の下にあらわれる。やがて大地はふっくらと種を待つ。(土肥あき子)


May 2152016

 書くほどに虚子茫洋と明易し

                           深見けん二

年冬号を以て季刊俳誌「花鳥来」(深見けん二主宰)が創刊百号を迎えられた。その記念として会員全員の作品各三十句(故人各十五句)をまとめ上梓された『花鳥来合同句集』は、主宰を始め句歴の長短を問わず全員の三十句作品と小文が掲載されており、主宰を含め選においては皆平等な互選句会で鍛錬するというこの結社ならではの私家版句集となっている。掲出句はこれを機会に読み返してみた句集『菫濃く』(2013)から引いた。作者を含め、虚子の直弟子と呼べる俳人は当然のことながら少なくなる一方であり筆者の母千鶴子も数少ない一人かと思うが、その人々に共通するのは、高濱虚子を「虚子先生」と呼ぶことだ。実際に知っているからこそ直に人間虚子にふれたからこそ、遠い日々を思い起しながら「虚子先生」について書いていると、そこには一言では説明のできない、理屈ではない何かが浮かんでは消えるのだろう。茫洋、の一語は、広く大きな虚子を思う作者の心情を表し〈明易や花鳥諷詠南阿弥陀〉(高濱虚子)の句も浮かんでくる。(今井肖子)




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