January 091999
風呂吹にとろりと味噌の流れけり
松瀬青々
句も上手いが、この風呂吹大根もいかにも美味そうだ。「とろりと」が、大いに食欲をそそってくる。あつあつの大根の上の味噌の色が、目に見えるようである。松瀬青々は大阪の人。正岡子規の弟子であった。大阪の風呂吹は、どんな味噌をかけるのだろうか。東京あたりでは、普通は胡麻味噌か柚子味噌を使うが、生姜味噌をかけて食べる地方もあるそうだ。私は柚子味噌派である。いずれにしても、大根そのものの味を生かした料理だけに、子供はなかなか好きになれない食べ物の一つだろう。大人にならないと、この深い味わい(風流味とでも言うべきか)はわかるまい。ところで、「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と。『妻木』所収。(清水哲男)
January 081999
おのが影ふりはなさんとあばれ独楽
上村占魚
独楽もすっかり郷愁の玩具となってしまった。私が遊んだのは、鉄棒を芯にして木の胴に鉄の輪をはめた「鉄胴独楽」だったが、句の独楽は「肥後独楽」という喧嘩独楽だ。回っている相手の独楽に打ちつけて、跳ねとばして倒せば勝ちである。「頭うちふつて肥後独楽たふれけり」の句もある。形状についての作者の説明。「形はまるで卵をさかさに立てたようだが、上半が円錐形に削られていて、その部分を赤・黄・緑・黒で塗りわけられている。外側が黒だったように記憶する。この黒の輪は他にくらべて幅広に彩られてあった。かつて熊本城主だった加藤清正の紋所の『蛇の目』を意味するものであろうか。独楽の心棒には鏃(やじり)に似た金具を打ちこみ、これは相手の独楽を叩き割るための仕組みで、いつも研ぎすまされている」。小さいけれど、獰猛な気性を秘めた独楽のようだ。ここで、句意も鮮明となる。「鉄胴独楽」でも喧嘩はさせた。夕暮れともなると、鉄の輪の打ち合いで火花が散ったことも、なつかしい思い出である。昔の子供の闘争心は、かくのごとくに煽られ、かくのごとくに解消されていた。ひるがえって現代の子供のそれは、多く密閉されたままである。『球磨』(1949)所収。(清水哲男)
January 071999
人日の夜の服寝敷く教師たり
淵脇 護
まずは、お勉強(笑)。人日(じんじつ)とは一月七日のことを言うが、なぜなのか。いまどきの句にも、よく出てくる。わからないときには、辞書を引く。でも、小さい辞書だと「一月七日のこと」としか書いてない。そこで、重たくてイヤだけど、大きな辞書を引いてみる。だが、広辞苑でも大辞林でも、満足のいく解答は得られない。そこで、「人日」は現代語としては死語に近い言葉だと知る。これもまた、お勉強の内だ。もはや「俳句ギョーカイ」の用語だなと見当をつけて歳時記をめくると、どんな歳時記にも、はたせるかな、ちゃんと定義が書いてある。詳しい説明は省くが、すなわち「中国漢代に六日までは獣畜を占い、七日に人を占ったことからの名」なのだそうである。中国の占いでは、正月七日にして、はじめて人間を注視したということだ。最初の「人の日」だった。したがって、明日八日からの新学期にそなえて、教師が服の寝敷きをするという句に、ことさらに「人日」が使われているのもうなずける。学園という人の社会に出ていくためのマナーとしては、まず身なりを整える必要がある。教師であることを忘れて過ごせた正月七日までは、同時に社会人を忘れた期間でもあった。「寝敷き(寝押し)」は慎重を要する。「寝敷き」の夜には、すでに「人の社会」がじわりと関わってきている。(清水哲男)
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