近所のコンビニで「おにぎり」一個120円也。余って捨てる分まで入れた値段ですな。




1998%94句(前日までの二句を含む)

April 0741998

 美しき冷えをうぐひす餅といふ

                           岡本 眸

菓子は美しい。食べるには惜しいと思うことすらある。作者の師である富安風生に「街の雨鴬餅がもう出たか」という有名な句があるが、味わいたいという気持ちよりも、その美しさが春待つ心に通い合っている。この名句がある以上、風生門としてはめったな鴬餅の句はつくれないという気持ちになるだろう。つくるのであれば、満を持した気合いのもとにつくるのでなければならない。で、この句は、見事に師のレベルに呼応していると見た。単なる美しさを越えて、美を体感的にとらえたところで、あるいは師を凌駕しているとも言えるだろう。野球に例えれば、師弟で決めた鮮やかなヒットエンドランというところか。それにしても、「鴬餅」とは名づけて妙だ。名前自体が春を呼び込んでいる。そんなこともあって、たまに私のような酒飲みでも食べてみたくなることがある。森澄雄の句に「うぐひす餅食ふやをみなをまじへずに」とある。『母系』(1983)所収。(清水哲男)


April 0641998

 薮の小家より入学の児が出て来

                           村山古郷

蔭の小さな家。ふだんは人の気配もあまりないのだろう。老夫婦がひっそりと暮らしているような趣きの家だ。そんな家から、いきなりピカピカの一年生が飛び出してきた。この意外性に、作者は一瞬驚いたのだが、すぐになんだか嬉しい気持ちのわいてくる自分を感じている。この瞬間から、作者のこの小家に対する感じ方は、大きく変わったことだろう。今日は全国各地で入学式が行われる。石川桂郎に「入学の吾子人前に押し出だす」があるが、たぶん私も押しだされたクチである。内気を絵に描いたような子供だった。入学のとき、桜が咲いていたのかどうか、まったく覚えていない。敗戦の一年前のことで、入学後は警戒警報のサイレンが鳴るたびに、頭上にアメリカの偵察機や爆撃機を見ながら下校するというのが日常であった。すなわち、我らの世代は、小学校もロクに出ていないのである。(清水哲男)


April 0541998

 生娘やつひに軽みの夕桜

                           加藤郁乎

女のことなどまだ何も知らない「生娘」が、夕桜の下でついつい少しばかり浮かれてしまっている様子に、作者はかなり強い色気を感じている。微笑ましい気持ちだけで見ているのではない。「つひに」という副詞が、実によくそのことを物語っている。江戸の浮世絵を見ているような気分にもさせられる。ということは、おそらく実景ではないだろう。男の女に対する気ままな願望が、それこそ夕桜に触発されて、ひょいと口をついて出てきたのである。「つひに軽みの」という表現にこめられた時間性が、この句の空想であることを裏づけている。もしも事実を詠んだのだとすれば、作者はずいぶんとヤボな男におちぶれてしまう。こういう句は好きずきで、なんとなく「江戸趣味」なところを嫌う読者もいると思う。ただし、上手い句であることだけは否定できないだろうが……。同じ作者の句「君はいまひと味ちがふ花疲れ」も、同じような意味で、かなり好き嫌いの別れそうな作品だ。桜も、なにかと人騒がせな花ではある。『江戸櫻』(1988)所収。(清水哲男)




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