February 051998
うすらひをゆつくり跨ぎ和菓子店
丹沢亜郎
和菓子店の前の道に薄氷(うすらひ)がはっている。それをゆっくりと跨いで店に入る。この句の命は「ゆつくり」にある。「ゆつくり」が和菓子店の存在を際立たせている。不思議なもので、洋菓子店には急ぎ足で入っても違和感を感じないが、和菓子店には「ゆつくり」入りたいと思う。句のように薄氷がはっていれば、ばりりと踏んづけたりもしないのである。和菓子独特のつつましやかな雰囲気が、こちらの心に伝染するからだろうか。つつましい人に会うと、こちらまでそんな気分になるように……。三鷹や武蔵野には、けっこう和菓子店が多い。通りすがりにのぞくと、赤や黄の色彩が目立ちはじめた。春である。『盲人シネマ』(1997)所収。(清水哲男)
February 041998
部屋に吊した襁褓に灯つき今日立春
飴山 實
襁褓は「きょうほう」と読む。元来は赤子を包む「かいまき」のことを言った。転じて、おむつ(おしめ)。この場合は「おむつ」だろう。いまでは貸しおむつや使い捨てのおむつが普及していて、部屋でたくさんのおむつを干す光景を見かけなくなった。が、昔はこの通りで、部屋中におむつが吊るしてあった。夕暮れになって、その部屋に灯がともされる。いつもと変わらぬ様子ではあるが、今日が立春だと思うと、作者はうっとおしさよりも心にも灯を感じている。言葉だけでも「春」は心を明るくしてくれる。「きょうほう」と「きょう」の語呂合わせも面白い。もう二十年以上も前、ギタリストの荘村清志さんのお宅にうかがったことがある。通された部屋の壁には数本のギター、頭の上にはそれ以上のおむつが吊るしてあった。なんだか、とても「いいな」と思ったことを覚えている。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)
February 031998
豆をうつ声のうちなる笑ひかな
宝井其角
豆撒きは、奈良時代から行われていた厄払いの行事だ。もともとは中国周時代の宮廷の風習であったという。まあ「鬼は外、福は内」などムシのよい話で、宮中などではともかく、庶民には「笑ひ」をふくむ一種の娯楽性の強い行事として行われてきたようだ。戸板康二が書いている。「私の祖父は仙台の人だが、節分の豆撒きに『鬼は外福は内』と言ったら、そばで『ごもっとも』といえと孫の私に命じた。いわれた通りにしていたが、あとで考えると、私はそういって逃げだす鬼の役だったのである」。まさに笑いをふくんでいる。ごもっとも、である。江戸の其角もまた、この光景には「ごもっとも」と言うにちがいない。撒いたあとで、年の数だけ豆を食べる風習もある。私のような年齢になってくると、こればかりは「ごもっとも」と言うわけにはいかない。豆に歯が立たないからだ。いや、もはやガリリと歯を立てる勇気に欠けているからである。うろ覚えで申し訳ないが、たしか小寺正三にこんな句があった。「もうあかん追儺の豆に歯がたたず」。ごもっとも。(清水哲男)
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