December 261997
円鏡のラジオやせわし年用意
小沢昭一
年用意は、新年を迎えるためにいろいろと支度を整えること。私などは何もしないが、それでも部屋の掃除などをはじめると大変だ。本の山をあっちへやりこっちへやり掃除機をかけたところまではよかったが、その本どもが元の場所に戻らない。どう積み重ねてみても、以前より広い場所を占めてしまう。寝る場所の確保さえ覚束なくなり、本は乱雑に積み上げたほうが狭いスペースですむという真理を発見するに至る。ところで、このときの作者は何をしていたのだろうか。ふと気がつくとつけっぱなしのラジオから、円鏡のせわしない話し声が聞こえてくる。ただでさえせわしないのに……と、さすがの小沢昭一も苦笑の図。これで三平でもからんだヒには、ラジオをぶん投げたくなってしまっただろう。『変哲』所収。(清水哲男)
December 251997
受付に僧ひとりゐて賀状書く
茨木和生
得意先などに出す年賀状の宛名書きも、暮れのサラリーマンの仕事だ。忙しさの合間をぬって書くことになる。普段のデスクワークとは違うので、なんとなく落ち着かない。ふと、フロアの受付のほうに目をやると、黒衣の僧侶が立っているのが見える。当社に、何の用事があるのだろうか。これも、普段とは違う光景だ。気になりながらも、とにかく書いてしまわなければと、またペンを走らせるのである。ちょっとした異時間と異空間にいる気分を、受付に僧侶をひとり立たせることで巧みに表現した句だ。……と読むのは強引な深読みで、そのまま素直に「寺の受付」での光景と読むべきかもしれない。歳末の私という一読者の焦燥感が、せっかくの俳句をねじ曲げたかとも思う。どうだろうか。(清水哲男)
December 241997
ごうごうと風呂沸く降誕祭前夜
石川桂郎
薪や石炭で沸かす風呂釜の音は、まさに「ごうごう」。とりわけて銭湯の釜の音は威勢がよかった。そんな釜音を心地よく聞きながら、作者は今日がクリスマス・イヴであったことを思い出している。イヴだからといって、別に何か予定があるわけではない。ちらりと胸の中を、華やかなイルミネーションの姿が通り過ぎていっただけのこと。これからゆっくりと熱い風呂に入り、年賀状のつづきでも書くとしようか……。西洋の大祝日に日本的な風呂を配したところが、なんとも微妙な味わいにつながっている。キリスト者は別にして、昔の庶民的なイヴのイメージとは、およそこのようなものであった。それにしても、「ごうごう」と音を発して沸く風呂が懐しい。あれは、身体の芯から暖まった。そして、どこの家庭の風呂場の屋根にも、決してサンタクロースが入れっこない細い細い煙突がついていたっけ。(清水哲男)
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