19970604句(前日までの二句を含む)

June 0461997

 明日は又明日の日程夕蛙

                           高野素十

にもかくにも今日の仕事を消化して、作者はしばし夕蛙の鳴き声に耳を傾けている。ホッとしている。明日もまた忙しいが、明日は明日のこととして、今日はもう仕事のことは考えたくないという心境だ。このように、昔は蛙たちが一日の終りを告げたものだが、いまの都会では何者も何も告げてはくれない。もっと言えば、一日の終りなどは無くなってしまっている。だから、明日の日程のために眠ることさえできない人も増えてきた。過労死が起きるのもむべなるかな。こんな世の中を愚かにも必死につくってきたのは、しかし私たちなのである。『雪片』所収。(清水哲男)


June 0361997

 学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地

                           小沢信男

書きに「月島西仲通り」とあり、東京下町の風景であることがわかる。この句と「もんじゃ焼き」については種村季弘の『好物漫遊記』(ちくま文庫)中に「月島もんじゃ考」の項があるので御覧を乞う。小沢さんは何言おう。評者達詩人の俳句会「余白句会」の師匠である。従って弟子としては梅雨がくる度にこの句を宣伝したい。人口に膾炙する迄「もんじゃの小沢」を宣伝しまくりますぞ。この句、小沢さんによれば「学のあるひとばっかりが誉めるんだよねえ……」。それはそうでしょう。小年老イ易ク 学成リ難シ 一寸ノ光陰 軽ンズベカラズ。『東京百景』(89年・河出書房新社)所収。(井川博年)


June 0261997

 幼な顔残りて耳順更衣

                           本田豊子

順(じじゅん)は、六十歳の異称。「論語」による。四十歳の「不惑」はよく知られているが、どういうわけか「耳順」は人気がない。「人の話がちゃんとわかる」年令という意味だけれど、この受け身的な発想が好まれないのかもしれない。それはともかく、この句は巧みだ。人が、新しい気持ちで衣服を身につけたときの、一瞬の表情を見逃さずに作品化している。六十歳の初々しさをとらえて、見事な人間賛歌となった。実に鋭い。そして暖かい。(清水哲男)




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