長谷川櫂の句

May 0751997

 噴水の頂の水落ちてこず

                           長谷川櫂

るほど、噴水のてっぺんの水は落ちてこない(ように見える)。「それがどうしたの」と言われても困るが、作者はそう観察したからそう詠んだまでで、句に過剰な意味を背負わせているわけではないだろう。でも、読者のなかには「引力の法則を抜け出た水の様子が、作者の精神的超越志向を表現している」と評する人もいる。そんなふうに読んでもいいけれど、おもしろくはない。こういう句は、そのまま受け取っておくにかぎる。この句を一度知ったら、噴水を見るたびに頂(いただき)の水の様子が気になってしまう。それでよいのである。『古志』所収。(清水哲男)


April 1142008

 海棠の花くぐりゆく小径あり

                           長谷川櫂

代でも俳句が描く情趣の大方は芭蕉が開発した「わび、さび」の思想を負っている。そこには死生観、無常観が根底にある。そこに自らの俳句観を置く俳人は現世の諸々の様相を俳句で描くべき要件とは考えない。現実の空間や時間を「超えた」ところにひたすら眼を遣ることを自己のテーマたらむとするのである。その考え方の表れとして例えば「神社仏閣」や「花鳥諷詠」が出てくる。どう「超える」かの問題や、現実に関わらない「超え方」があるのかどうかは別にして、そういうふうに願って作られる作品があり、そういう作品に惹かれる読者が多いこともまた事実である。いわゆる文人俳句といわれるものや詩人がみずから作る俳句の多くもまたこの類である。自己表現における「私」と言葉とのぎりぎりの格闘に緊張を強いられてきた人は、俳句に「私」を離れた「諷詠」を求めたいのかもしれない。作者は生粋の「俳人」。世を捨てる「俳」の在り方に「普遍」を重ねてみている。句意は明瞭。『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)


January 0212009

 手を入れて水の厚しよ冬泉

                           小川軽舟

体に対してふつうは「厚し」とは言わない。「深し」なら言うけれど。水を固体のように見立てているところにこの句の感興はかかっている。思うにこれは近年の若手伝統派の俳人たちのひとつの流行である。長谷川櫂さんの「春の水とは濡れてゐるみづのこと」、田中裕明さんの「ひやひやと瀬にありし手をもちあるく」、大木あまりさんの「花びらをながして水のとどまれる」。水が濡れていたり、自分が自分の手を持ち歩いたり、水を主語とする擬人法を用いて上だけ流して下にとどまるという見立て。「寒雷」系でも平井照敏さんが、三十年ほど前からさかんに主客の錯綜や転倒を効果として使った。「山一つ夏鶯の声を出す」「薺咲く道は土橋を渡りけり」「秋山の退りつづけてゐたりけり」「野の川が翡翠を追ひとぶことも」等々。山が老鶯の声で鳴き、道が土橋を渡り、山が退きつづけ、川が翡翠を追う。その意図するところは、「もの」の持つ意味を、転倒させた関係を通して新しく再認識すること。五感を通しての直接把握を表現するための機智的試みとでも言おうか。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


July 1672010

 白団扇夜の奥より怒濤かな

                           長谷川櫂

の白団扇。白だけが鮮明に浮き上がる。その白から波の穂がイメージされ、波の穂はしだいにふくらんで怒濤となって打ち寄せる。団扇の白が怒濤と化すのだ。何が何に化すかというところが作者の嗜好。この両者の素材が作風を決する。白鷺が蝶と化すのが山口誓子。尿瓶が白鳥と化すのが秋元不死男、自分がおぼろ夜のかたまりと化すのが加藤楸邨。長谷川櫂の嗜好は自ずから明らかである。『富士』(2009)所収。(今井 聖)


December 08122013

 磐城の国の神さすらへる枯野かな

                           長谷川櫂

書に「楽浪(ささなみ)の国つ御神のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも・高市黒人(たけちのくろひと)」とあります。万葉集巻第一30番の歌で、水の都であった近江大津宮(おおみおおつのみやこ)が壬申の乱で荒廃した景を詠んでいます。掲句の磐城(いわき)の国は、かつては「黒ダイヤ、地の油」と呼ばれた炭鉱の町。げんざいは、福島第一原発事故地です。万葉びとは、土地そのものを神と見立て祠や社を建立して、周囲の自然と一体化する生活の中の信仰を生きていただろうと思われます。そのような土地に対する愛着は、現在も連綿と続いておりますが、核分裂という太陽エネルギーと同じ方法を生態系の中に設置してしまったことが原因で、それを制御する技術をもっていなかったわれわれの時代は、動物も植物も人も神々も枯野にさすらうばかりの状況を生きています。これから十万年の間この状況は変わりません。専門家の中には、原発のリスクを「何万分の一、何億分の一」という人もいます。しかし、79年スリーマイル島、86年チェルノブイリ、99年東海村JCO、2011年福島という事実を論拠とすれば、そのように言う専門家は、「神話」のシナリオライターだったということです。「さすらへる」のは人の弱さで、放射能は十万年間確固たる存在です。『震災句集』(2012)所収。(小笠原高志)


May 2552014

 すりこ木で叩いて胡瓜一夜漬

                           長谷川櫂

理のよしあしは、ひと工夫で決まるもの。胡瓜を叩くひと手間で、たしかに味は変わりそう。台所に立つことを趣味とし、5枚のエプロンを着こなすこの身で、掲句のやり方を実行してみました。ゴマすり用の20cmほどのすりこ木を右手に持ち、まな板の上に胡瓜を置いて叩き始めます。叩いてみると胡瓜は案外硬く、一度や二度では全く変化はありません。五十回ほど万遍なく叩いて触ってみると、すこし柔らかくなっていますが、まだまだ外側はしっかりしていて、もっと叩いてやわらかくしていいよ、と胡瓜が言っているようにも思われてきて、結局、百回ほど叩いて、指で押すとすこしへこむくらいの柔らかさになりました。これはもう、ひと手間どころではないぞと思いつつも、すりこ木で胡瓜を叩く動作はなかなか楽しく、また、やや鈍く響く音は最近聞かれない類いの生活音で、約10分間ほど、三本の胡瓜を叩くこと三百回、それぞれを半分に切って塩をふり瓶詰めにしました。ただし、胡瓜はもう一本あって、それはあえて叩かず瓶詰めにし、翌日比較してみることにしました。差は歴然。叩いていない胡瓜は、きれいに切れますが歯ごたえが硬く、味もしみていません。一方、叩いた胡瓜は柔らかく、口の中でほぐれ、胡瓜の青くささに適度な塩味がしみ込んだ味わいです。料理作りと直結している五七五をもっと知りたくなりました。『鶯』(2011)所収。(小笠原高志)




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