April 251997
緑なす松や金欲し命欲し
石橋秀野
誰にでも、季節は平等にめぐりくる。が、受け取り方は人さまざまだ。病者にとっては、とくに春のつらい人が多い。中途半端な気温、中途半端な自然の色彩。あるいはそこここでの生命の息吹きが、衰えていく身には息苦しいからである。そんな心境を強く表白すれば、この句のようになる。この句を読んで、誰も「あさましい」などとは思わないだろう。今年も、元気者だけのための「ゴールデン・ウィーク」がやってくる。(清水哲男)
April 241997
太陽を探しに遠足坂また丘
野沢節子
曇り日の遠足。いまにも降ってきそうだ。もうひとつ心が弾まない。自然に足どりも重くなる。坂道を登ったと思ったら、また前方に小高い丘が見えてきた。ヤレヤレ。なんだか、みんなで苦労して太陽を探しに来ているみたい。お弁当の時間まで、もう少しだ。ちょっとでいいから、晴れてほしいな……。と、曇天下の遠足を詠んだ句は珍しい。日本のどこかでは、今日もこんな遠足が行なわれていそうだ。(清水哲男)
April 231997
茶畑のずり落ちさうでずり落ちず
丘本風彦
言われてみると、なるほど茶畑はバランス的に危うい地形の丘陵に多くある。いまにも、ずり落ちてきそうだ。同じ風景を見ても、人それぞれに感じ方は違うとは分かっていても、この句には「やられた」と思ってしまう。感じ方の差異などあっけなく乗り越えて、読者をねじ伏せるようにユーモアをまじえて説得している。いわば「コロンブスの卵」的発想の名句だろう(ただし、玄人っぽすぎるかもしれないが……)。そろそろ新茶が出回りはじめる季節。今年の作柄は、静岡茶では平年並みというニュース。(清水哲男)
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