季語が遠足の句

April 2441997

 太陽を探しに遠足坂また丘

                           野沢節子

り日の遠足。いまにも降ってきそうだ。もうひとつ心が弾まない。自然に足どりも重くなる。坂道を登ったと思ったら、また前方に小高い丘が見えてきた。ヤレヤレ。なんだか、みんなで苦労して太陽を探しに来ているみたい。お弁当の時間まで、もう少しだ。ちょっとでいいから、晴れてほしいな……。と、曇天下の遠足を詠んだ句は珍しい。日本のどこかでは、今日もこんな遠足が行なわれていそうだ。(清水哲男)


May 0752000

 遠足をしてゐて遠足したくなる

                           平井照敏

読、膝を打った。こういう思いは、私にも時々わいてくる。こんな気持ちには、何度もなった覚えがある。映画を見ているのに映画が見たくなったり、酒の席で無性に酒が飲みたくなったりするのだ。実際にはその行為のなかにあるというのに、なおその行為の別のありように魅かれてしまう。そう言えば、恋愛中には必ず恋愛をしたくなるという友人の話を聞いたこともある。どういうことだろうか。図式的に言えば、現実と理想とのギャップのしからしむるところなのだろう。楽しみにしていた遠足にいざ出かけてみると、こんなはずじゃなかった、もっと楽しいはずなのにと思ううちに、現実の行為が空虚になっていく。空虚になった分だけ、現実を認めたくなくなる。だんだん、こんなのは遠足じゃないと自己説得にかかりはじめる。そして、ああ(本当の)遠足に行きたいなあと思ってしまうのだ。「旅行の楽しさは準備段階にある」と言ったりする。準備段階にあるうちの理想は、実行段階での現実に裏切られることはないからだ。この種の思いは、現実をまるごと受け入れたくない気質の人に、多くわいてくるのだろう。いわゆる「気の若い人」に、特に多いのではあるまいか。「俳句研究」(2000年5月号)所載。(清水哲男)


May 0652003

 駅員につぎつぎと辞儀遠足児

                           森口慶子

語は「遠足」で春季とするが、今月一杯くらいは遠足の子供たちをよく見かける。ほほ笑ましい句だ。軽いけれど、スケッチ句としての軽さが生きている。子供らは、出発前に言い含められて来たのだろう。お世話になる人、なった人には必ずお辞儀をすること、お礼を言うこと。で、早速改札口での実践となったわけだ。困惑しつつも微笑している駅員の姿が、目に浮かぶ。最近は、挨拶もロクにできない若者が増えているせいか、教育現場では挨拶の仕方に力を入れているのだろうか。句の情景がその反映だとしたら、いささかやり過ぎではあるにしても、好ましいことだ。子供たちは、こうやって挨拶体験の機会を重ねていくうちに、馬鹿丁寧はかえって失礼になるなど、自分なりに適切な方法を覚えていくだろう。挨拶で、ひとつ思い出した。飲食店で勘定を払った後で「ご馳走さまでした」と言う人がいるけれど、あれは変な挨拶だと詩人の川崎洋がどこかに書いていた。普通の家庭でご馳走になったのではなく、商売で飲食物を提供しているのだから、別に店側は客にご馳走しているわけじゃない。だから変なのだけど、かといって、金を払ってムスッと店を出るのもはばかられる。そういうときには「お世話様」と、川崎さんは言うことにしているそうだ。つまり、決してご馳走にはなっていないのだが、その店ならではの人的サービスは受けている。そのサービスへの挨拶としての「お世話様」ということだろう。タクシーを降りるときなども、同じである。以来、私も「お世話様」組となっている。他に何か適切な言葉はないかと探してはみているが、どうも「お世話様」以上にピンとくる言葉はないようだ。『楽想』(2003)所収。(清水哲男)


February 2222004

 檪原遠足の列散りて赤し

                           藤田湘子

語は「遠足」で春。「檪(くぬぎ)」は小楢(こなら)などとともに、いわゆる雑木林を形成する。掲句の場合の「檪原」は、遠足で来るのだから、たとえば東京・井の頭公園に見られるように下道がつけられ、よく手入れされた公園の広場を思い起こせばよいだろう。芽吹きははじまっているが、檪の落葉は早春までつづくので、広場は全体としてまだ茶色っぽい感じである。良く晴れていると、高い木々の枝を透かして落葉の上にも日差しが降り注ぐ。そんなひとときの自由時間だ。子供たちは思い思いの方向に散ってゆき、茶色っぽい広場には点々と「赤」がまき散らされた。最近の遠足だと、子供らはみな交通安全用の黄色い帽子をかぶっているので、服装の赤よりも目立つけれど、句は半世紀近い前の作である。女の子たちの服やリボンや水筒などの赤が、目に沁みた時代であった。檪も子供たちも、これからぐんぐんと育っていくのだ。敗戦後の混乱期にあっては、たかが遠足風景でも、目撃した大人たちは明日への希望につながる感慨を覚えたにちがいない。当時の作者の境遇については、少し以前の句「風花もひとたびは寧し一間得し」などから想像できる。そして、余談。私が通った田舎の小学校にも遠足はあった。だが、あまり楽しい思い出はない。行く先が、近所の山ばかりだったからだ。友人曰く。「山に住んどるモンが、山へ行って、どねえせえっちゅうんじゃ」。ま、その日は勉強しないでもすむので、それだけはみんな楽しかったのかな。『途上』(1955)所収。(清水哲男)


April 0942004

 遠足の列大丸の中とおる

                           田川飛旅子

語は「遠足」で春。気候がよいこともあるが、春に遠足が多いのは、新しいクラスメート同士が親しくなる機会を作る意味もありそうだ。来週あたりから、あちこちで見かけることになるだろう。句は戦後四年目の作というから、まだデパートが珍しく思えた時代だ。遠足の行程に、いわゆる社会科見学として組み込まれていたのだろうか。いきなりぞろぞろと、子供たちの一団が「大丸」デパートの中に入ってきた。今とは違い、当時の子供らはこういう場所ではあまり騒がなかったような気がする。周囲のきらびやかな環境に気圧されるばかりで、さすがの悪童連も声が出なかったのだ。内弁慶が多かった。しかし、とにかく遠足の列とデパートの店内とでは、あまりに互いの雰囲気がなじまない。作者は客としているわけだが、すぐに遠足だとはわかっても、心理的な対応が追いつかない。あっけにとられたような気分の中を、子供たちが緊張した表情で通っていくのを見やっている。そんなところだろう。こういう遠足もあったのだ。大丸が東京駅に店を構えたのはちょうど50年前の1954年のことなので、作句の舞台は東京ではない。京都か大阪か、あるいは神戸か。いずれにしても関西地方かと思われる。私がはじめて連れていってもらったデパートも関西で、大阪駅前の阪急だった。まだ八歳。覚えているのは、蛇腹式の扉のついたエレベーターに乗ったことくらいで、それこそただただ店内のキラキラした様子に圧倒されっぱなしであった。だから、多少とも掲句の遠足の子供たちの側の気持ちはわかるような気がするのである。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 0252009

 お祈りをして遠足のお弁当

                           山田閏子

ただしく始まった新学期も、オリエンテーション、新入生歓迎会、遠足などを経て、ゴールデンウィークで一息。つい数日前も、真新しい黄色い帽子が二人ずつ手をつなぎ、あとからあとから曲がり角からあふれてきた。千代田区の小学校も結構人数が多いなあ、と思いながら、小さいリュックの背中を見送ったが、そんな遠足の列を詠んだ句はよく見かける。この句は、最大の楽しみであるところのお弁当タイム。ミッション系のおそらく一年生で、さほど大人数ではないだろう。芝生の上に思い思いに坐って開いたお弁当を前に、日頃そうしているように小さい手を合わせ、お祈りの言葉をつぶやいてから、大きく「いただきます」。かわいい。描かれているのは、日差しや草の匂い、囀りに似たおしゃべりと笑い声、それを見ている作者の幸せ。お祈り、お弁当、二つの丁寧語があたたかい。句集のあとがきに、「平凡な主婦の生活の中で、俳句に佇んでいる自分自身を見つけることができた」とある。俳句との関わり方も句作態度も、こうあらねばならない、ということはない、それぞれだと思う。『佇みて』(2008)所収。(今井肖子)


March 0232012

 春の口紅三越の紙の色

                           須川洋子

快な配色。単純化されたものの配合。須川さんは楸邨門の中では数少ない「もの」派だった。「遠足の列大丸の中とほる」の田川飛旅子さんをひとつのお手本に学んだ。「寒雷」のような観念派の中の「もの」派は花鳥諷詠派がいう「もの」とはかなり違う。ほんとうに「もの」なのだ。神社仏閣老病死や季語の本意に依った「もの」ではなくて情緒をあらかじめ設定しない純粋な「もの」。そこらへんに転がっているあらゆる物象を対象とするのだ。周囲の圧倒的な数の「観念」派に抵抗する中で鍛えられた尖鋭的な「もの」派だ。須川さんが逝ってしまった。(「季刊芙蓉」2012・春・第91号)所載。(今井 聖)


April 1042014

 ペンギンのやうな遠足ペンギン見る

                           仲 寒蟬

前ペンギンのコーナーでペンギンたちを見ているとき、そばでお化粧をしていた人のコンパクトの光がペンギンの岩場にちらちら当たった。すると、あちこち逃げるその光を追ってペンギンたちが連なってちょこちょこ駆けはじめた。一匹がプールに飛び込むと次々に続く。ペンギンって団体行動なんだ、とそのとき思った。幼稚園か小学校低学年の遠足か、ちっちゃい子供たちが手をつなぎあってやってくる。柵の向こう側にいるペンギンたちと同じようにちょこちょこ連なって。ペンギンを見ているのか、ペンギンに見られているのか。ペンギンも子供たちもたまらなく可愛い。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)


June 0762016

 突支棒はづれて梅雨に入りにけり

                           加藤静夫

雨の形容は、土砂降り、篠突く雨、バケツをひっくり返したような雨などなど。そしてあらたに「突支棒(つっかいぼう)がはずれたような雨」も掲句によって誕生した。それは、空のどこかにぶよぶよとした雨の袋が積まれていて、一本のつっかい棒で支えられているのだろう。おそらく天上にはつっかい棒を外す「梅雨棒外し」のような要職があり、うやうやしく棒を外す日などもあり、晴れて(晴れては変か…)棒が外されると、雨袋は我先にと地上へと転がり出ていくのだろう。つらつら考えてみると、梅雨の降雨量が夏の間の水を蓄えるわけで、天上から地下へ、水の固まりを移動させているだけではないのだろうか。雨の続く地表で、おろおろしている私たちがなんとも不格好で気の毒な生きもののように思われる。集中には〈遠足の頭たたいて頭数〉〈すでに女は裸になつてゐた「つづく」〉など、ニコリやニヤリが連続する一冊。『中略』(2016)所収。(土肥あき子)




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