後藤比奈夫の句

April 0441997

 考へてをらない蝌蚪の頭かな

                           後藤比奈夫

(かと)はお玉杓子、つまり蛙の子のこと。たしかに頭が大きくて、人間でいえば秀才タイプに属しそうだが、さにあらず。こいつらは何も「考へてをらない」のだと思うと、ひとりでに微笑がわいてくる。楽しくなる。しかし、その何も「考へてをらない」蛙の子に、最前からじいっと見入っている俺は、はたして何かをちゃんと考えているのだろうか。蝌蚪の泳ぐ水にうつっている自分の顔を、ちらりと盗み見してみたりする。(清水哲男)


November 28112000

 石蕗の黄に十一月はしづかな月

                           後藤比奈夫

週末の旅の途次、沼津の友人の案内で「沼津御用邸記念公園」に立ち寄った。ここは明治天皇が孫のために作った別荘地だが、空襲で焼けてしまった(園内には古墳形の防空壕が残されている)。それが戦後も二十年ほど経ってから沼津市に無償返還され、いまの公園に仕立て上げられたものである。海浜の静かな公園だ。園内は折しも、そこここに植えられた黄色い石蕗(つわ・つわぶき)の花盛り。元来が、海岸や海に近い山などに自生するらしいが、私は旅館などの日当りのよくない庭の隅にひっそりと咲いている姿しか見たことがなかった。花の黄は鮮やかだけれど、キク科独特の暗緑色の葉の印象が強いために、どちらかといえば地味で暗いイメージしか持っていなかった。たとえば「石蕗咲くや葬りすませし気の弱り」(金尾梅の門)のように、である。だから、公園で行けども行けども石蕗の花ばかりの道を歩いているうちに、小春日和のせいもあったのだろうが、かなりイメージが変わってきた。落ち着いた明るさを天にさしあげるようにして咲く、味わい深い花だと思ったことである。そんな目で掲句を読むと、たしかに納得できる。「十一月」という「しづかな月」をイメージさせる花として、石蕗は確かな位置を占めているのだなと……。その「しづかな月」も、間もなく過ぎていく。やがて、石蕗も枯れてしまう。『合本俳句歳時記第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


April 1442007

 止ることばかり考へ風車

                           後藤比奈夫

船、石鹸玉、ぶらんこ、そして風車。いずれも春季である。一年中見られるが、やはりどれも光る風がよく似合う。そんな春風に勢いよく回る風車を見ながら作者は、止まることばかり考えている、という。風車が、からからと音を立てて回っているのを見ているのはいかにも心地良い。混ざり合った羽根の色は淡く、日差しを巻き込みはね返し、回り続ける。そのうち風が止んで、ゆっくりと止まってしまった風車の羽根の色は、うららかな風景にとけこむことのない原色である。くっきりとした色彩と輪郭、現実の形を見せながら止まったままの風車。再び回りだした風車を見つめながら、少し前までとはちがう心が働くのである。風があれば回らざるを得ない風車、止ることばかり考える風車はさらに大きく風をとらえる。そこに、回っているからこそ風車なのだという風車の本質が描かれる。月ごとの風景と俳句を綴った随筆『俳句の見える風景』(後藤比奈夫著)の中で作者は、「四月は陽気で、好き放題言えそうですが、実は目の位置と心の角度が何よりも大切な月なのです。」と述べている。心を働かせて見る、それが、観る、ということなのだろう。引用文も含め『俳句の見える風景』(1999・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


March 0332011

 ふと思ふ裸雛の体脂肪

                           後藤比奈夫

に添えられた作者のエッセイによると「裸雛は大阪の住吉大社で頒けて貰える、掌に乗るほどの小さな土雛。」「烏帽子をかぶっているほかは全裸。男は胡坐、女雛は膝をしっかり合わせた正坐。」とある。句の印象からするとごくごく素朴な土人形といった感じ。むっちりとした膝、まるまるとめでたく肥えたお雛さまに体脂肪を思うところが面白い。雛の由来は人形(ひとがた)であり厄災を祓い、川や海へ流されたという。美しい段飾りのお雛さまは可愛い子の未来を願い親が設えるものだろうが、掲句の裸雛はその昔「子授け雛」と呼ばれており夫婦和合を願う雛らしい。日本各地にはいろんな役目を負ったお雛さまが数多くあるのだろう。宮崎青島神社の簡素な「神ひな」は安産、病気平癒などを願い神前に供えられる。わたしも九州の日田で買ってきた小さな土雛を飾って家族の無事を願い、雛の日を楽しむことにしよう。『心の小窓』(2007)所収。(三宅やよい)


January 1712015

 寒いからみんなが凛々しかりにけり

                           後藤比奈夫

かに、暑さにたるみ切った姿より寒さに立ち向かう姿の方がきりりと引き締まっている。それにしても前半の口語調と後半の、かりにけり、とのアンバランスが得も言われぬ印象を与える掲出句だが、既刊十句集から三百八十句を選って纏められた句集『心の花』(2006)の中にあった。そしてこの二句後に<一月十七日思ひても思ひても >。作者は神戸在住。思えば寒中、寒さの最も厳しい時に起こった阪神淡路大震災である。寒さは何年経ってもその時を思い出させるのかもしれないが、この句の肉声にも似た口語調と、凛々しかりにけり、にこめられた深く強い思いに励まされるような気がしてくる、二十年目の今日である。(今井肖子)


March 0532015

 園児らの絵の春山は汽車登る

                           後藤比奈夫

どもの描く絵は楽しい。遠近法の呪縛に囚われないでまずは自分の感性でインパクトを受けたもの中心に描くからだろうか。「園児ら」になっているから、一人ではなく多数で写生しているのか、目前で見ている景色は同じでも描き方は違う。だけどぼっこりふくらんだ緑の山の斜面を大きな黒い汽車が煙を吐きながら登っていくところは共通しているのかもしれない。「絵の春山は」と強調しているところから作者が見ている絵の主役は汽車ではなく春山で、園児らがクレヨンで描くおおらかさが春の山の持つ解放感を引き出している。そのむかし校庭で写生をした折に緑一色で裏山を塗り始めたわたしに、「よく見てごらん、この芽吹きの季節に同じ緑でもいろんな色が混じっているだろう。一番山がきれいなときだ。空の光り方だって違うだろう」と言ってくれた美術の先生を思い出す。掲句の園児の絵のように気持ちを解放することも出来ず、節穴の目のまま年月は流れたが、今年も春の山はいきいきと冬の眠りから目覚め始める。『祇園守』(1997)所収。(三宅やよい)




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