March 161997
運命は笑ひ待ちをり卒業す
高浜虚子
今の時代、留年せずに無事卒業してもその後の困難さを思えば、少数の例外を除けば「笑う」がごとき前途洋々としたものであるとは思えない。そして、運命はあざ「笑う」かのように複雑な管理機構の中で人を翻弄し続ける。この句は昭和十四年の作である。当時の大学・高等専門学校の卒業生(そして中学を含めても)は今の時代には考えられないほどのエリートであった。しかし戦火は大陸におよび「大学は出たけれど」の暗い時代であった。運命の笑いをシニカルなものとしてとらえたい。だが、大正時代、高商生へむけ「これよりは恋や事業や水温む」という句をつくっている虚子である。卒業切符を手にいれたものへの明るい運命(未来)を祝福する句とも言える。いずれにしろ読者のメンタリティをためすリトマス試験紙のような句である。『五百五十句』所収。(佐々木敏光)
March 151997
また春が来たことは来た鰐の顎
池田澄子
思わずも、笑いがこみ上げてきた。鰐が長い顎に手をあてて(あてられっこないけれど)、春の再来に戸惑っている図。「何の心構えもできてないしなア……」。などと、私は漫画的に読んだが、他にもいろいろと解釈は可能だろう。というよりも、こういう句は、あまり真剣に考えないほうがよい。なんとなく可笑しい。それで十分だ。たまには、深刻度ゼロの句も精神のクリーニングに役に立つ。ただし、誰にでもつくれる句でないことだけは、押さえておく必要があるだろう。作者生来の資質全開句なのだから。「船団」(第32号・1997)所載。(清水哲男)
March 141997
春光へすべり落ちたる領収書
岡田史乃
バスにでも乗ろうとしたときだろうか。財布から小銭を取り出そうとして、中の領収書がひらひらと滑り落ちてしまった。他人から見ればほほえましい光景だが、領収書というものは、当人にとってはけっこう生々しかったりする。それが明るい春の日差しのなかに舞うということになると、生々しさが一瞬気恥ずかしさに転化する。束の間の微妙な心の揺れを描いていて、味わい深い句だ。作者には、この種の繊細な神経に触発された作品が多い。「繃帯の指を離れよしゃぼん玉」「ぼたん雪机の上のオブラート」など。『浮いてこい』所収。(清水哲男)
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