February 091997
そばへ寄れば急に大きく猫柳
加倉井秋を
いま振り返ると、私の少年時代は本当に自然に恵まれていた。恵まれ過ぎていて、そのことには気がつかなかったくらいだ。猫柳が花穂をつけはじめると、学校の帰り道、僕ら小学生は小川の岸辺で時間をつぶすのが習慣だった。文字通りの道草である。この句のように、猫柳は、近寄れば結構背の高い植物だ。つめたく澄んだ水の中にはメダカが群れており、石を起こすとちいちゃな蟹が出てきたりした。いつまでも見飽きることはなかったし、なかには男の勇気の印として、メダカをすくってはそのまま飲み込んでしまう奴もいたっけ……。私の故郷はいわゆる過疎の村(山口県阿武郡むつみ村)だから、いまでもあの猫柳たちは健在だろう。見てみたい。(清水哲男)
February 081997
春暁の我が吐くものゝ光り澄む
石橋秀野
春暁(しゅんぎょう)。春の明け方。『枕草紙』冒頭の「春は曙。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて……」の朝まだき。つめたい薄明かりのなかに見る「我が吐くもの」の、意外な透明感。むしろそれが美しく神々しくさえ感じられる不思議。ここで、人が「吐く」苦しさは「生きる」美しさに通じている。いわゆる「つわり」かもしれず、結核などによる血液の嘔吐なのかもしれない。が、この際は何だってよいだろう。作者については、波郷門であったこと以外は何も知らないけれど、おのれの吐瀉物を、このように気高く詠んだ力には圧倒されてしまう。俳句ならではの表現の凄さを感じさせられる作品のひとつだ。(清水哲男)
February 071997
赤椿咲きし真下へ落ちにけり
加藤暁台
暁台は十八世紀の俳人。もと尾張藩士。椿の花は、桜のようには散らずに、ぽとりと落ちる。桜の散る様子は武士のようにいさぎよいとされてきたが、椿の落ちる様は武士道とは無縁だ。花を失うという意味では、むしろ椿のほうが鮮烈だというのに、なぜだろうか。おそらくは、花そのものの風情に関わる問題だろう。椿の花はぽってりとした女性的な風情だから、武士の手本に見立てるのには抵抗があったのだと思う。それにしても、こんなに花の死に様ばかりが詠まれてきた植物も珍しい。「赤い椿白い椿と落ちにけり」(河東碧梧桐)、「狐来てあそべるあとか落椿」(水原秋桜子)など。(清水哲男)
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