December 241996
聖菓切るキリストのこと何も知らず
山口波津女
ほとんどの日本人は、この句のようにふるまっている。宗教をムード的にとらえ、聖なる日を娯楽化してしまう国民的規模のセンスとはいかなるものなのであろうか。したたかなのか、単にお調子者なのか。かくいう私ももとより例外ではないけれど、とにかく不思議という以外にはない。小学校の低学年だった昭和二十年代前半には、私も友達もキリストやサンタクロースという名前すら知らなかった。まだあちこちの家には、煙突があった時代である。(清水哲男)
December 231996
門松立て玻璃戸中なる鋸目立て
北野民夫
通りがかりの小さな工務店でもあろうか。はやくも凛とした感じで門松が立てられている。ガラス戸の中を見るともなく見ると、主人らしい男が鋸の目立てに余念がない様子。作者は、この光景から主人の律儀な性格を読み取って、微笑している。東京あたりでは、こういう光景もなかなか見ることができなくなってきた。(清水哲男)
December 221996
あかんべのように師走のファクシミリ
小沢信男
ファクシミリから出てくる情報は、たいていが仕事に関わるものである。それでなくとも追い立てられる気持ちでいるところに、追い討ちをかけるような情報が届く。読まなくても中身はほとんどわかっているのだが、家庭用の機械からのろのろと吐き出されてくるロール紙を見ていると、まるで「あかんべ」とからかわれているかのようだ。わかりますねえ、この気持ち。小沢信男は作家だが、こうした時事句は、専門俳人こそもっと数多くつくってしかるべきべきだろう。『昨日少年』所収。(清水哲男)
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