1996年10%句(前日までの二句を含む)

October 22101996

 あきかぜのふきぬけゆくや人の中

                           久保田万太郎

込みのなかの淋しさ。極めて現代的で都会風の抒情句だ。銀座あたりの人込みだろうか。平仮名を使ったやわらかい表現から、時間的には秋晴れの日の昼下がりだろう。これを「秋風の吹き抜け行くや人の中」とでもやったら、とたんにあたりは暗くて寒くなってしまう。すなわち、翻訳不可能な作品の典型ともいえる。人込みのなかの淋しさを、むしろここで作者は楽しんでいるのである。(清水哲男)


October 21101996

 風の輪を見せて落葉の舞ひにけり

                           加藤三七子

日は萩原朔太郎賞(受賞者・辻征夫)贈呈式に出席のため、井川博年、八木幹夫と前橋へ。駅に降りたら、猛烈な風。コンタクトの私などは、ほとんど目があけていられないほど。さすがに上州の風である。それでも、三人で前橋名物の「ソースかつ丼」を食べようと、駅前広場を歩きはじめた途端に、この句そっくりの風に巻き込まれた。結局、探し当てた店は休みでがっかり。もはや初冬の感が深い前橋での一日だった。(清水哲男)


October 20101996

 菊の香やならには古き仏達

                           松尾芭蕉

暦九月九日(今年は今日にあたる)は、重陽(ちょうよう)。菊の節句。この句は元禄七年(1694)九月九日の作。前日八日に故郷の伊賀を出た芭蕉は、奈良に一泊。この日、奈良より大阪に向かった。いまでこそ忘れ去られている重陽の日だが、江戸期には、庶民の間でも菊酒を飲み栗飯を食べて祝った。はからずも古都にあった芭蕉の創作欲がわかないはずはない。そこでひねり出したのが、つとに有名なこの一句。仕上がりは完璧。秋の奈良の空気を、たった十七文字でつかんでみせた腕の冴え。いかによくできた絵葉書でも、ここまでは到達できないだろう。(清水哲男)




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