1996年句(前日までの二句を含む)

August 2281996

 朝貌や惚れた女も二三日

                           夏目漱石

貌は「朝顔」。こういう句を読まされると、やっぱり漱石は小説家なんだなあと思う。美しい花の命のはかなさを惜しむことよりも、人間心理の俗悪さを露出することに執心してしまう。朝貌は、もちろん夜をともにした女の「朝の貌」にかけてある。漱石は、ひややかにそんな女の貌を見つめるタイプの男なのであった。そういえば、友人の死の床に駆けつけて、「おいっ、死ぬって、どんな感じなんだ」と聞いた作家もいたそうな。その人の名は、島崎藤村。聞かれたほうの瀕死の人の名は、田山花袋。今日は、聞いた側の藤村の命日(昭和18年没・享年71歳)である。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)


August 2181996

 汗の身や機械に深く対ひゐて

                           小川双々子

所に、典型的といってよい小さな町工場がある。それなりの企業の下請けだろう。前を通ると、いつも機械の作動音と薬品の臭いがする。休み時間に工員たちは、ジュースを買いに近くのスタンドまで出てくる。みんな若い。茶髮もいる。でも、寡黙だ。そのスタンドのあたりには、彼らの通勤用のバイクと自転車が整列している。この句の主人公は、かなりのベテランだろう。が、読んですぐに、私は若い彼らのことを思った。どんな思いで、毎日機械にむかっているのだろうか。工場の道ひとつへだてた斜め前には、耐震構造が売り物の高級マンションが建設中だ。「地表」(1996年6月号)所載。(清水哲男)


August 2081996

 ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり

                           清崎敏郎

送(むさしのエフエム・78.2MHz)の仕事は4時で終る。帰りのバス停留所までの道では、いつも真正面から西日をうける。バスを降りてからも、しばらくは西日の道だ。「ぐんぐんと」夕焼けていく空を見るのは、これから深い秋にむかってからのことになる。なんだかとても幼い発想のようにも見えるが、ここまでぴしりと言い切るのは、なまなかな修練ではできないと思う。ちなみに清崎敏郎の師である富安風生には、こんなチョー幼げな作品がある。「秋晴の運動会をしてゐるよ」……という句だ。小学生にでもできそうだが、ここまでできる人はなかなかいない。嘘だと思ったら、ひとつつくってごらんになると、納得がいくはずです。『東葛飾』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます