大木あまりの句

August 1381996

 夜の川を馬が歩けり盆の靄

                           大木あまり

想的な日本画を見るような趣き。夜といっても、深い夕暮れ時の光景だろう。この農耕馬にしてみれば、一日の仕事を終えた後の水浴の時だが、作者には死者の魂を現世に乗せてきた馬のように見えている。折りから川面には靄(もや)が立ちこめはじめ、一介の農耕馬も、この世のものではないような存在と写る。盆と水。そして、生物。この時季の日本人の情緒のありどころを、さりげない調子で描破した鋭さが見事だ。『火のいろに』所収。(清水哲男)


August 3181996

 秋風や酔ひざめに似し鯉の泡

                           大木あまり

夜は、つい調子にのって飲み過ぎた。重い頭で目覚めたが、連れの友人たちはまだ起きてこない。旅館の庭に出てみると、池には大きな鯉が飼われていた。のろのろと動き、ときにふうっと泡を吹いている。秋風のなかの白い光景。酔いざめのときにも、俳人は句心を忘れない。作者と面識はないが、なかなかにいける口の女性だという噂を、かつて新宿で聞いたことがある。『火のいろに』所収。(清水哲男)


October 17101996

 鯛焼のあんこの足らぬ御所の前

                           大木あまり

夕はだいぶ冷え込むようになってきた。辛党の私でも、ときどき街でホカホカの鯛焼きを食べたい誘惑にかられるときがある。まして、作者は女性だ。旅先の京都で鯛焼きを求めたまではよかったが、意外に「あんこ」が少なかったので、不満が残った。庶民の食べ物とはいえ、さすがにそこは京都御所前の鯛焼き屋である。上品にかまえているナ、という皮肉だろう。それにしても、御所の前に鯛焼き屋があったかなあ。どなたか、ご存じの方、教えてください。ついでに「あんこ」の量についても。無季。『雲の塔』所収。(清水哲男)


December 12121997

 寒風に売る金色の卵焼

                           大木あまり

味しいことで評判の、その店の名物なのだろう。北風の町を通りかかると、いつもと同じように、今日もその店ではショー・ケースに並べて卵焼きを売っている。寿司屋が出すような厚焼きにした卵焼きは、冷やしてから売る。湯気などたってはいないので、普段でも冷たいイメージがある。ましてや北風の通りから見ているのだから、なおさらだ。その豪勢にして冷たい金色と寒風との取り合わせの妙。おいしそうというよりも、その冷たい美しさに目を奪われてしまう。そろそろ正月の用意が気になる、主婦ならではのウィンドウ・ショッピングの感覚だ。このときの作者は、きっと卵焼きは買わなかっただろう。買うには、まだちょっと正月には遠い。もう少し押し詰まってきたらと心に決めて、北風の中を家路を急いだのだろう。『雲の塔』(1993)所収。(清水哲男)


January 2911998

 女番長よき妻となり軒氷柱

                           大木あまり

間にはよくある話だ。派手好みで男まさりで、その上に何事につけても反抗的ときている。将来ロクなものにはならないと、近所でも折り紙つきの娘が、結婚と同時にぴたりと大人しくなってしまった。噂では、人が変わったように「いい奥さん」になっているという。作者も、娘の過去は知っているので気がかりだった。で、ある日、たまたまその娘の嫁ぎ先の家の前を通りかかると、小さな軒先に氷柱(つらら)がさがっていた。もちろん何の変哲もない氷柱なのだが、その変哲の無さが娘の「よき妻」ぶりを象徴していると思われたのである。ホッとした気分の作者は、そこで微笑を浮かべたかもしれない。よくある話には違いないが、軒先のただの氷柱に「平凡であることの幸福」を見た作者の感受性は、さすがに柔らかく素晴らしいと思えた。『雲の塔』(1993)所収。(清水哲男)


March 3031998

 花こぶし汽笛はムンクの叫びかな

                           大木あまり

夷の花は、どことなく人を寄せつけないようなところがある。辛夷命名の由来は、赤子の拳の形に似ているからだそうだが、赤ん坊の可愛い拳というよりも、不機嫌な赤子のそれを感じてしまう。大味で、ぶっきらぼうなのだ。そんな辛夷の盛りの道で、作者は汽笛を聞いた。まるでムンクの「叫び」のように切羽詰まった汽笛の音だった。おだやかな春の日の一齣。だが、辛夷と汽笛の取り合わせで、あたりの様相は一変してしまっている。大原富枝が作者について書いた一文に、こうある。「人の才能の質とその表現は、本人にもいかんともしがたいものだということを想わずにはいられない。……」。この句などはその典型で、大木あまりとしては「そう感じたから、こう書いた」というのが正直なところであろう。本人がどうにもならない感受性については、萩原朔太郎の「われも桜の木の下に立ちてみたれども/わがこころはつめたくして/花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ」(「桜」部分)にも見られるように、どうにもならないのである。春爛漫。誰もが自分の感じるように花を見ているわけではない。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)


October 23101999

 秋風や射的屋で撃つキューピッド

                           大木あまり

に「秋風が吹く」というと、「秋」を「飽き」にかけて、男女の愛情が冷める意味に用いたりする。句は、そこを踏まえている。ご存じキューピッドは、ローマ神話に出てくる恋愛の神(ちなみに、ギリシャ神話では「エロス」)。ビーナスの子供で、翼のある少年だ。この少年の金の矢を心臓に受けた者は、たちまち恋に陥るという。そのキューピッドが、それこそ仕事に「飽き」ちゃったのか、こともあろうに日本の射的屋で金の矢ならぬコルクの弾丸を撃っている。ターゲットは煙草や人形の類いだから、いくら命中しても恋などは生まれっこない。いかにも所在なげな少年の表情が見えるようだ。秋風の吹くなかのうそ寒い光景であると同時に、作者自身に関わることかどうかは知らねども、背景には愛情の冷めた男女の関係が暗示されているようだ。そぞろ身にしむ秋の風。おそらくは、実景だろう。まさか翼があるわけもないが、作者は射的屋で鉄砲を撃つ外国の美少年を目撃して、とっさにキューピッドを連想したに違いない。このように「秋風」を配した句は珍しいので、みなさんにお裾分けしておきたい。『雲の塔』(1993)所収。(清水哲男)


November 15111999

 院長のうしろ姿や吊し柿

                           大木あまり

立ての妙。そして、人間の不可解な感情のありどころ。院長は、病院の院長だろう。病院で院長が登場するとなれば、多くの場合、患者の家族に対しての深刻な話があるときと決まっているようなものだ。話し終わった院長が「そういうわけですから、よくお考えになって……」と席を立ち、くるりと後ろを向いた。目を上げた作者は、とたんになぜか「あっ、吊し柿に似ている」と思ってしまった。彼の話の中身はやはり深刻なもので、作者はうちひしがれた気持ちになっているのだが、「吊し柿」みたいと可笑しくなってしまったことも事実なのだし、その不思議をそのまま正直に書きつけた句だ。こういうことは、誰の身にも起きる。葬儀の最中に、クスクス笑いがこみあげてくることもある。不謹慎と思うと、なおさら止まらない。あれはいったい、何なのだろうか。どういう感情のメカニズムによるものなのか。そして、古来「吊し柿(干柿)」の句は数あれど、人の姿に見立てた句に出会ったのははじめてだ。読んでからいろいろと想像して、この院長は好きになれそうな人だと思った。もちろん、作者についても。『雲の塔』(1994)所収。(清水哲男)


February 2422001

 春の波見て献立のきまりけり

                           大木あまり

者がいるのは海辺だろうか、それとも川や池の畔だろうか。のどかな波の様子を眺めている。「ひらかなの柔らかさもて春の波」(富安風生)。見ているうちに、はたと「献立」を思いつき、それに決めた。「献立」の中身は何も書いてないけれど、どんな料理かをちょっと知りたくなる。想像するのは楽しいが、案外「春の波」のイメージとは遠くかけ離れた献立かもしれない。えてして「思いつき」は、思いがけないきっかけから生まれ、とんでもない方向に飛んでいく。揚句のテーマは、むろん献立の中身などではない。「きまりけり」の安心感、ほっとした気持ちそのことにある。こういう句を、昔の男はいささか差別的に「台所俳句」と称したが、台所にこそ俳句の素材がぎっしり詰まっていることを、浅薄にも見逃していたわけだ。反対に、たとえば画家は洋の東西を問わず、早くから台所に注目していた。私自身も、詩のテーマや素材に困ると、いまだに台所を見回す。料理の素材である野菜や魚、道具である鍋やフライパンの出てくる詩を、いくつ書いたか知れないほどだ。ただ私のように日常的に献立を考えない人間は、素材や道具には目が行き想像力を働かせても、揚句のような気持ちに届くことは適わない。作者は台所を、いわば戸外に持ちだしているのであり、つまり台所を自身に内蔵しているのでもあって、ここに私との大きな差がある。それにしても、主婦(とは限らぬが)の三度三度の「思いつき」能力には感心する。そこらへんのプロよりも、はるかに凄い。プロは答えの見えたジグソー・パズルを組むだけでよいのだが、主婦はそのたびに白紙に絵を描いていくのだから。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


September 0792001

 五右衛門風呂の蓋はたつぷり赤のまま

                           大木あまり

城暮石に「ゴム長を穿きてふるさと赤のまま」の一句あり。犬蓼(いぬたで)の花を赤飯になぞらえて「赤のまま」と言った。どこにでも咲いているから、懐しい幼時の記憶と結びつく。あらためて見やると、なんだかほっとするような風情がある。掲句は丹沢での作。これから一番風呂をご馳走になるのだが、いわゆる内風呂ではなくて、母屋から少し離れた場所にある風呂場だろう。まだ表は明るい。風呂場を取り囲むようにして「赤のまま」が揺れており、風呂槽には湯がまんまんと湛えられている。「五右衛門風呂」だけに「蓋はたつぷり」と、浮蓋(うきぶた)の様子でたっぷりの湯を詠んだところが面白い。入る前から、懐しい幸福感に浸っている。まさしくご馳走である。「五右衛門風呂」命名の由来は、石川五右衛門釜茹(かまゆで)の刑から来ているようだ。『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』で、弥次喜多には入り方がわからなかったという話は有名。この風呂が、関西以西に流行っていたことを示している。私の田舎(山口県)でも、全体が鉄製の浴槽が「五右衛門風呂」の名で普及していたが、厳密に言えばこれは「長州風呂」だと、物の本に書いてあった。桶の底である釜だけが鉄製のものを「五右衛門風呂」と呼んだそうだ。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)


October 28102001

 柿むいて今の青空あるばかり

                           大木あまり

天好日。「今の」今しか「青空」を味わえぬ静かな時間。理屈をこねて鑑賞する野暮は承知で述べておけば、句を魅力的にしているのは「柿むいて」という行為が、あくまでも過程的なそれであるからだろう。「柿むいて」ハイおしまいというのではなく、むく目的は無論食べるための準備だ。この句の上五を、たとえば「柿食べて」「柿食えば」とやっても、俳句にはなる。なるけれど、食べるという自足感が「青空」の存在を希薄にしてしまう。食べちゃいけないのだ。下世話に言えば、よく私たちは「さあ、食うぞっ」という気持ちになったりするが、「柿むけば」は「さあ、食うぞっ」のはるかに手前の段階であり、ひとかけらの自足感もない。手慣れた手つきで、ただサリサリと、何の思い入れなくむいているだけである。事務的と言うと「事務」に怒られるかもしれないが、しかし柿をむくというような過程的な行為である「事務」の目からすると、「今の青空」の「今」が自足した目よりも強く意識されるのだと思う。「今」を貴重と感じる心は、いつだって自足のそれからは遠く離れているのだと……。たかが、作者は柿をむいているにすぎない。その「たかが」が「今の青空」と作者との交感関係を、いかに雄弁に語っていることか。でも、やっぱり、こんなことは書くまでもなかったですね。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)


April 0342002

 手の切れるやうな紙幣あり種物屋

                           大木あまり

語は「種物(たねもの)」ないしは「種物屋」で春。種物は、稲を除く穀類、野菜、草花の種子のこと。四季を通じて種子はあるのだけれど、季題で言う種物は、とくに春蒔きの種子を指している。明るい季節の到来を喜ぶ気持ちからだろう。ところで、一般的に種物屋といえば、薄暗くて小さな店というイメージがある。最近ではビルの中の片隅などに明るいショップも登場しているが、メインが花屋であったりと、種物専門店ではない。専門店だったら、たとえば虚子の「狭き町の両側に在り種物屋」のような店のほうがお馴染みだ。作者がいるのも、そんな小商いの店である。あれこれと物色しているうちに、なんとなく店主の座に目がいった。現代的なレジスターなどはなく、売上金が無造作に箱の中に放り込まれている。と、そこに新品の「手の切れるやうな紙幣(さつ)」があったというのだ。なにか、店の雰囲気にそぐわない。瞬間、そう感じたのである。いろいろな客が来て買い物をするのだから、あって不思議はないのだけれど、とても不思議な気分になった。古くて小さな店には、皺くちゃの古い紙幣がよく似合う。そういった作者の先入観が、あっけなく砕かれた面白さ。老舗の旅館の帳場に、でんとパソコンが置かれているのを見たことがある。やはり一瞬あれっと思った気分は、この句に似ている。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


July 2272003

 斑猫やわが青春にゲバラの死

                           大木あまり

語は「斑猫(はんみょう)」で夏。山道などにいて、人が近づくと飛び立ち、先へ先へと飛んでいくので「道おしえ」「道しるべ」とも言われる。作者はこの虫に従うようにして歩きながら、ふっと革命家・ゲバラのことを思い出した。カストロなどとキューバ革命を成功させ、国立銀行総裁を振り出しとする中枢の地位にありながら、その要職を抛ってボリビアでの困難極まるゲリラ闘争に参加し殺された男のことを……。ゲバラがボリビア政府軍によって射殺されたのは1967年のことだった。アルゼンチンの中流家庭に生まれ医師となり、そこではじめて社会の激しい矛盾に出会ってから、すべてのエネルギーを革命に注ぎ込んだ男のことは、遠い日本にも鳴り響いていた。折しもベトナム戦争は泥沼の様相を露わにし、日本では全共闘運動がピークに達しようとしていた。大学という大学がバリケード封鎖されたといっても、今日の若者にはまったくピンと来ないだろうが、そんな異常事態が自然な状態に思えるほど、当時の世界は混沌としていた。右から左まで、どんな思想の持ち主でも、明日の世界を思い描くことはできなかったろう。このときに、あくまでも信念を曲げずに一ゲリラとして闘っていた男の姿は、多くの若者に偉大に写った。人間が人間らしくあることの、一つのまさに「道しるべ」なのであった。だから、彼の死がどこからともなく噂として流れてきたときには、私も作者と同じように重い衝撃を受けた。咄嗟に「嘘だっ」と反応した記憶がある。ボードレールとパブロ・ネルーダとシュペングラーをこよなく愛した革命家。ゲバラのような男は、もう出てこないだろう。「あのころ、世界で一番かっこいいのがゲバラだった」(ジョン・レノン)。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


August 2582005

 汝が好きな葛の嵐となりにけり

                           大木あまり

語は「葛(くず)」で秋。「葛の花」は秋の七草の一つだが、掲句は花を指してはいない。子供の頃の山中の通学路の真ん中あたりに、急に眺望の開ける場所があった。片側は断崖状になっており、反対側の山の斜面には真葛原とまではいかないが、一面に葛が群生していた。そこに谷底から強い風が吹き上がってくると,葛の葉がいっせいに裏返ってあたりが真っ白になるのだ。葛の葉の裏には,白褐色の毛が生えているからである。大人たちはこの現象を「ウラジロ」と言っていて、当時の私には意味がわからなかったけれど、後に「裏白」であると知った。壮観だった。古人はこれを「裏見」と称し「恨み」にかけていたようだが、確かにあれは蒼白の寂寥感とでも言うべき総毛立つような心持ちに、人を落し込む。子供の私にも,そのように感じられたが、嫌いではなかった。「全山裏白」と,詩に書きつけたこともある。ところで、掲句の「葛の嵐」が好きな「汝」とはどんな人なのだろう。この句の前には、「身に入むと言ひしが最後北枕」、「恋死の墓に供へて烏瓜」の追悼句が置かれている。となると、「汝」はこの墓に入っている人のことだろうか。だとすれば、墓は葛の原が見渡せる場所にあるというわけだ。無人の原で嵐にあおられる裏白の葛の葉の様子には、想像するだに壮絶な寂しさがある。それはまた、作者の「汝」に対する心持ちでもあるだろう。「俳句」(2005年9月号)所載。(清水哲男)


December 25122007

 石蕗の花母声あげて吾を生みし

                           本宮哲郎

日クリスマス。これほどにクリスマス行事が浸透している日本で、今や聖母マリアと神の子イエスの母子像を見たことのない人はいないだろう。聖母マリアの像の多くは、わが子にそそぐまなざしのため、うつむきがちに描かれる。伏し目姿の静かな母とその胸に抱かれた幼子を完璧な母子像として長い間思い込んでいたが、掲句を前に一変した。石蕗の花のまぶしいほどの黄色が、絶叫の果ての母の喜びと、健やかな赤ん坊の大きな泣き声にも重なり、それは神々しさとは大きく異なるが、しかし血の通う生身の母子像である。絵画となると美しさに目を奪われるばかりの母子像だが、落ち着いて考えてみれば、大木あまりの〈イエスよりマリアは若し草の絮〉にもある通り、マリアには肉体の実感がまったくない。しかし、どれほど美しく描かれようとも、処女でいなければならず、また年を取ることも許されず、わが子の死に立ち会わねばならなかった聖母マリアの悲しみを、今日という日にあらためて感じたのであった。『伊夜日子』(2006)所収。(土肥あき子)


July 2972008

 わが死後は空蝉守になりたしよ

                           大木あまり

いぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしていたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関に駄菓子屋さんで見かけるような大きなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに棒立ちになってしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻はこの世に残るものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろう。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれる。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)


January 0212009

 手を入れて水の厚しよ冬泉

                           小川軽舟

体に対してふつうは「厚し」とは言わない。「深し」なら言うけれど。水を固体のように見立てているところにこの句の感興はかかっている。思うにこれは近年の若手伝統派の俳人たちのひとつの流行である。長谷川櫂さんの「春の水とは濡れてゐるみづのこと」、田中裕明さんの「ひやひやと瀬にありし手をもちあるく」、大木あまりさんの「花びらをながして水のとどまれる」。水が濡れていたり、自分が自分の手を持ち歩いたり、水を主語とする擬人法を用いて上だけ流して下にとどまるという見立て。「寒雷」系でも平井照敏さんが、三十年ほど前からさかんに主客の錯綜や転倒を効果として使った。「山一つ夏鶯の声を出す」「薺咲く道は土橋を渡りけり」「秋山の退りつづけてゐたりけり」「野の川が翡翠を追ひとぶことも」等々。山が老鶯の声で鳴き、道が土橋を渡り、山が退きつづけ、川が翡翠を追う。その意図するところは、「もの」の持つ意味を、転倒させた関係を通して新しく再認識すること。五感を通しての直接把握を表現するための機智的試みとでも言おうか。『近所』(2001)所収。(今井 聖)


May 2252009

 たべのこすパセリのあをき祭かな

                           木下夕爾

七の連体形「あをき」は下五の「祭かな」にかからずパセリの方を形容する。この手法を用いた文体はひとつの「鋳型」として今日的な流行のひとつとなっている。もちろんこの文体は昔からあったもので、虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」も一例。日の当たっているのは枯野ではなくて遠山である。独特の手法だが、これも先人の誰かがこの形式に取り入れたものだろう。こういうかたちが流行っているのは花鳥諷詠全盛の中でのバリエーションを個々の俳人が意図するからだろう。この手法を用いれば、掛かるようにみせて掛からない「違和感」やその逆に、連体形がそのまま下五に掛かる「正攻法」も含めて手持ちの「球種」が豊富になる。今を旬の俳人たちの中でも岸本尚毅「桜餅置けばなくなる屏風かな」、大木あまり「単帯ゆるんできたる夜潮かな」、石田郷子「音ひとつ立ててをりたる泉かな」らは、この手法を自己の作風の特徴のひとつとしている。夕爾は1965年50歳で早世。皿の上のパセリの青を起点に祭の賑わいが拡がる。映像的な作品である。『木下夕爾の俳句』(1991)所収。(今井 聖)


October 04102010

 寝ころべば鳥の腹みえ秋の風

                           大木あまり

の発見は単純だが新鮮だ。もちろん、寝ころばなくても鳥の腹は見える。いや、鳥は人間の目の位置よりも高いところを飛ぶので、いつだって私たちには鳥の腹が見えている。……というのは、しかし実は理屈なのであって、普通に立って鳥の飛ぶさまを見ているときには、私たちには鳥の腹は見えているのだが見てはいない。あらかじめ鳥の形状は知識として頭に入っているので、実際には見えていなくても、よくは見えない頭や尾や翼の形を補完して全体像を見ているような錯覚にとらわれているからだ。そういうふうに、私たちの視覚はできている。だが、寝ころんで鳥を真下から見上げてみると、さすがにいやでも腹がいちばんよく見える部分になるために、補完作業は後退してしまう。そのことをすっと書き留めたところが、作者の手柄である。爽やかな秋風の吹く野にある解放感が、この発見によってそれこそ補完されている。昨日の松下育男の言葉を借りれば、「創作というのは、多くの解説によって複雑に説明されるものがよいとも限らないのだなと、この句を読んでいると改めて認識させられ」ることになった。『星涼』(2010)所収。(清水哲男)


December 14122010

 枯るるとは縮むこと音たつること

                           大木あまり

れに対し、中七の「縮む」までは負のイメージをまとうが、続く「音たつること」には一切のしがらみを断ち切ったような救いを感じる。先日一面の枯葉に風が渡り、むくむくと動く風の道を目の当たりにした。背後から迫り来る海鳴りのような音が、髪をなぶり背中を押して通り過ぎ、彼方まで駆け抜けていった。またあるときは、残っていた桐の大きな葉が視界の先で「ぷつん」と音をたてて梢から離れた。風は乾いてゆがんだ葉をくるんと空中で一回転させ、つーつーすとん、とやわらかに着地させた。木の葉が目の前で生まれたての落葉となる一部始終を、うっとりと見守った。万象は枯れることで音を手にいれる。それはまるで声を与えられたかのように、高く低く、こすれ合い、ささやき合う。香りや柔らかさを手放し、声を手にした枯れものたちに、思わず人間を重ねてしまうほどの風貌が加わる。『星涼』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1712011

 老人のさすられどほし日向ぼこ

                           大木あまり

ょっと見には、まことに微笑ましい光景だ。昨年は父母のこともあり、介護施設などに行く機会が多かった。秋口くらいから、職員が自力では歩けない年寄りを車椅子に乗せて日向ぼこをさせる図をよく見かけたものだ。サービスの一貫なのだろう。そんなときに実際に老人の背中などをさする場合もあるけれど、職員の多くは物理的にさするというよりも、「言葉でさする」場合が圧倒的に多い。「今日はあったかくて気持ちが良いねえ」などと、職員は元気づけようとして、とにかく慰めや励ましの言葉を連発するのである。掲句の光景も、そんな日向ぼこを詠んでいるのだと思う。しばらく見ていると、たいていの老人は黙りこくったままだ。「うん」でもなければ「ああ」でもなく、無表情である。が、そんなことはおかまい無しに職員は話しかけつづける。見ていて、私はだんだん腹立たしくなってきた。一方的な言葉の「さすり」は、これはもう暴力の行使なのであって、彼ないしは彼女はちっとも喜んではいないじゃないか。「お前の口にチャックをかけろ」と叫びたくなってくる。「さすられどほし」はかえって不愉快なことが、何故わからないのか。根本的にマニュアルが間違っているのだ。さりげないが、掲句はそんな状況を告発しているのだと読んだ。俳誌「星の木」(第6号・2010年12月25日)所載。(清水哲男)


February 1022011

 鳥籠に青き菜をたし春の風邪

                           大木あまり

先にひく風邪は治りにくい。インフルエンザのように高熱が出たり、ふしぶしが痛むというわけではないが、はっきりしないけだるさがぐずぐずと長引く。そんな状態が不安定な春の雰囲気に響き合うのか、春の風邪に余り深刻さはなく「風邪ひいちゃって」とハスキーな声でうつむく女性など想像するだけで色っぽい。ぼんやりした「春の風邪」が鳥籠に差し入れる若菜のみずみずしさと鳥籠の明るさを際立たせる。「菜の花の色であるべし風邪の神」という句も同句集に収録されており、作者の描く春の風邪は忌むべき病ではなく、ぽっと身体の内側に灯がともるような優しさすら感じられる。『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)


November 03112011

 助手席の犬が舌出す文化の日

                           大木あまり

号待ちをしている車の窓から顔を出している犬と眼が合う。小さな室内犬は飼い主の膝に抱かれてきょろきょろしているが、大型犬などはわがもの顔で助手席にすわり、真面目な顔で外を眺めている。流れゆく景色を眺めながら犬は何を思っているのだろう。車の中が暑いのか、楽しいものを見つけたのか、犬が舌を出してハ―ハ―している。しかし下五に「文化の日」と続くと、批評性が加わり「文化だって、へー、ちゃんちゃらおかしいや」と犬がべろり舌を出して笑っているように思える。しかし助手席に座る犬を「お犬さま」に仕立てているのは人間達の一方的な可愛がりの結果。犬が欲求したわけでもない。ホントのところ犬は人間並みの扱いに閉口しているかもしれない。と、ソファに眠る我が犬を眺める文化の日である『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)


March 1932012

 悲しみの牛車のごとく来たる春

                           大木あまり

学時代からの友人が急逝した。絵の好きな男で、スケッチのために入った山で転倒し、それが致命傷になったらしい。いつだって訃報は悲しいが、春のそれは芽吹き生成の季節だけに、虚を突かれたような思いになる。悲しみが重くのしかかってくるようだ。句の「牛車(ぎっしゃ・ぎゅうしゃ)」は、平安時代に貴族を乗せた乗り物のことだろう。きらびやかな外観は春に似つかわしいが、逆に悲しみの重さを増幅するように、ゆっくりとぎしぎしと人の心に食い入ってくるようだ。最近出た『シリーズ自句自解I ベスト100・大木あまり』に、悲しみから立ち上がれないときには「俳人の木村定生さんが『だらーんとしてればいいんですよ』と言ってくれた」とあった。「水餅のように悲しみに沈んでいれば良いのだ。そのうちそれに疲れて浮かんでくるにちがいない」。なるほどと思い、ひたすら水餅のようでありたいと願う今年の春の私である。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


June 0662013

 逝く猫に小さきハンカチ持たせやる

                           大木あまり

むたびに切なさに胸が痛くなる句である。身近に動物を飼ったことのある人なら年をとって弱ってゆく姿も、息を引き取るまで見守るつらさを知っているだろう。二度と動物は飼わないと心に決めてもぽっかり穴のあいた不在を埋めるのは難しい。この頃はペットもちゃんと棺に入れて火葬してくれる業者がいるらしいが、小さな棺に収まった猫に小さなハンカチを持たせてやる飼い主の気持ちが愛おしくも哀しい。とめどなくあふれる涙を拭いながら、小さい子供が幼稚園や小学校に行くときの母の気遣いのようにあの世に旅立つ猫にハンカチを持たせてやる。永久の別れを告げる飼い主の涙をぬぐうハンカチと猫の亡きがらに添えられた小さなハンカチ。掲句の「ハンカチ」は季語以上の働きをこの句の中で付与されていると思う。『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)




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