日野草城の句

August 0381996

 蚰蜒といふ字は覚えおく気なし

                           北野平八

蜒を、さて何と読むか。原句には振り仮名がついている。そりゃ、そうだ。漢字コンクールのトップクラスでも、読めるかどうか。答えは「げじげじ」。字も覚えたくないが、本体ともあまりお近づきにはなりたくない。夏の嫌われ者でも有名虫(?)だけあって、昔からけっこう蚰蜒の句は多い。「蚰蜒に寝に戻りたる灯をともす」(中村草田男)「げじげじや風雨の夜の白襖」(日野草城)など。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


September 1791996

 鈴虫の一ぴき十銭高しと妻いふ

                           日野草城

作「鈴虫」十四句の三句目。病気の子を慰めようと、勤めがえりに買い求めてきた鈴虫。しかし、妻から最初に出た言葉は「それ、いくらしたの」であった。がっかり、である。昭和十年頃の作品。当時の物価を調べてみると、豆腐が一丁5銭で、そば(もり・かけ)がちょうど10銭。カレーライスが15銭から20銭。天どんが40銭ほどだった。こう見ると、やっぱりこの鈴虫、高いことは高い。それに、いまと違ってどこにでも秋の虫がいた時代だということを思えば、なおさらである。この勝負、草城の負け。『轉轍手』所収。(清水哲男)


December 15121996

 をとめ今たべし蜜柑の香をまとひ

                           日野草城

女であろうが「おっさん」であろうが、蜜柑を食べたあとにはその香りが残るものだが、「おっさん」ではなかなか句にならない。この句は、あげて乙女の賛歌として構成されている。賛歌のほどは、微妙な字配りとして現れていて、「乙女」はやわらかく「をとめ」と表現され、「食べし」も「たべし」と、情景を抒情的に再現している。したがって、よまれているのは単に蜜柑を食べたあとの女の香りだけではない。若い女の精気がかもしだす自然な色気に、たまさかの蜜柑の香りに託したかたちで、俳人は目を細めているのである。ふっと、淡い欲情のようなものを覚えた瞬間のスケッチ。(清水哲男)


January 2111997

 妻の手のいつもわが邊に胼きれて

                           日野草城

聞で、盥で洗濯をするペルー女性の写真を見た。三十数年前までの日本女性の姿と同じだった。洗濯板も、ほぼ同型。下宿時代の私にも経験があるが、冬場の洗濯はつらい。主婦には、その他にも水仕事がいろいろとある。したがって、どうしても冬は手があれてしまう。よほど経済的に恵まれた家庭の主婦でないかぎり、きれいな手は望むべくもなかった。そんな妻の手へのいとおしみ。敗戦直後の作品である。あと半世紀も経ないうちに、この句の意味はわからなくなってしまうだろう。『旦暮』所収。(清水哲男)


June 1661997

 梅雨寒の昼風呂ながき夫人かな

                           日野草城

かにも意味ありげで思わせぶりな句だが、フィクションだろう。十九歳で「ホトトギス」雑詠欄の巻頭を占めた草城には、女性を詠んだ作品が多い。代表的なのは、昭和九年(1934)の「をみなとはかゝるものかも春の闇」を含む「ミヤコホテル」連作だ。新婚初夜の花嫁をうたって、当時の俳壇では大変な物議をかもしたというが、これまたフィクションだった。こうした作家の姿勢は、たしかに古くさい俳句の世界に新風をもたらしたろうが、他方では思いつきだけの安易な句を量産させる結果ともなった。この句も道具だてが揃い過ぎていて、現代でいう不倫願望の匂いはあっても、底が浅い。山本健吉に言わせれば「才気にまかせて軽快な調子を愛し、物の真髄を凝視する根気に欠けていた」(新潮文庫『日野草城句集』解説)と、かなり手厳しいのである。なお「梅雨寒」は「つゆさむ」と濁らずに読む。『花氷』所収。(清水哲男)


August 3181997

 平凡に咲ける朝顔の花を愛す

                           日野草城

れこそ「平凡」な句でしかないだろう。「草城」という署名があるのが不思議なくらいだ。しかし、草城晩年のこの句は、だからこそ人間の表現行為の行方というものを深く考えさせる。若き日の才気煥発ぶりはすっかり影をひそめて、ここにはただ凡庸な表現者がよろけるようにして立っているだけだ。長い病臥の生活、そして片眼の光を失うという不運。かつて山本健吉は、晩年の草城句について「無技巧の技巧と言ってもよいが、それは拙いのではなくて、飽くまでも才人草城が到達した至境なのである」と、暖かい言葉で解説したことがある。そのようなときがあるとしたら、私もたぶんそうするだろう。が、これは本当に「才人草城が到達した至境」なのであろうか。ささやかな表現者でしかない私だけれど、しばしこの句の前で立ち止ってしまうほどの衝撃を受けた。『人生の午後』所収。(清水哲男)


December 26121999

 年の市目移りばかりして買はず

                           田口渓月

リスマスが過ぎると、誰もがにわかに昔風の日本人に変身する。「年の市」の本来の意味は、月ごとの市のうちで大年(年末)に立つ市のことだ。ちなみに、今日12月26日の市のなかでは、東京の麹町平河天神のそれが有名だったようだが、いまではどうだろう。それよりも、本来の市ではないけれど、今日あたりから押すな押すなの活況を呈する上野「アメ横」の通りのほうが、よほど年の市らしい雰囲気となる。さて、作者は正月用意のために市にやってきたのだけれど、とにかく目移りがしてしまって、結局は何も買わずに帰ってきてしまった。が、この句の裏には明らかに「もう一度、日をあらためて出直せばよい」という気持ちがある。まだ苦笑する余裕があるというわけで、読者も救われる。しかし、新年まで二三日を余すくらいだと、こうはいかない。「のぼせたる女の顔や年の市」(日野草城)ということになったり、「年の市白髪の母漂へり」(山田みづえ)となったりして、大事(おおごと)となる。加えて、今年は「2000年問題」を抱えた歳末だ。目移りしているゆとりもあらばこそ、いつもの年末とは違う買い物に忙しい人が多いはずだ。それにしても、年用意に「缶詰」やら「カンパン」やら、はたまた「水」までをも買いあさる羽目になろうとは……。こうした事態をさして、私たちの常識は「世も末だ」と言ってきたのであるが。(清水哲男)


December 29121999

 焼芋や月の叡山如意ヶ岳

                           日野草城

館曹人に「月も路傍芋焼くための石を焼く」がある。夜の食べ物と決まったわけではないけれど、やはり寒い夜に食べてこその焼芋(表記は「焼藷」が望ましい)だ。で、夜となれば「月」。曹人句の月は大きく、草城句のそれは遠望する比叡山にかかった小さな月である。いずれも印象深いが、如意ヶ岳の月は京都の底冷えを言外に語っていて鮮やかだ。手にしたあつあつの焼芋との対比で、いっそうの寒さが伝わってくる。例年この時季になると、京都ならぬ東京も郊外の井の頭公園に、車で昼間やってくる焼芋屋がいる。公園に遊びに来る人目当てなのだろうが、年の瀬の人々はそれどころではないようで、見向きもしない。商売になってるのかなと、余計な心配までしてしまうほどだ。しかも、例の「イーシヤーキィイモーッ」の呼び声は、小学生と思われる女の子の声である。助手席あたりのマイクから呼びかけているようで、姿は見えない。ときどきトチッては、笑ったりしている。最近では子供を前に押し立てる商売を見かけなくなったので、通りかかるたびに気になる。(清水哲男)


January 2412000

 日脚伸ぶ夕空紺をとりもどし

                           皆吉爽雨

なみに、今日の東京の日没時刻は16時59分。冬至のころよりは30分近く、夕刻の「日脚」が伸びてきた。これからは、少しずつ太陽の位置が高くなって、家の奥までさしこんでいた日光が後退していく。それにつれて、今度は夕空の色が徐々に明るくなり「紺」を取り戻すのである。この季節に夕空を仰ぐと、ひさしぶりの紺色に、とても懐しいような感懐を覚える。「日脚伸ぶ」という季語を、空の色の変化に反射させたセンスは鋭い。まさに「春近し」の感が、色彩として鮮やかに表出されている。私などは、本当の春よりも、新しい季節が近づいてくるこうした予感のほうに親しみを覚える。単なるセンチメンタリストなのかもしれないが、たまさか「よくぞ日本に生まれけり」と思うのは、たいていが移ろいの季節にあるときだ。一方、病弱だった日野草城には「日脚伸びいのちも伸ぶるごとくなり」という感慨があった。本音である。「生きたい」という願望が、自然の力によって「生かされる」安息感に転化している。病弱ではなくとも、「いのち」のことを思う人すべてに、この句は共感を呼ぶだろう。(清水哲男)


May 2152000

 グラジオラス妻は愛憎鮮烈に

                           日野草城

夏の花だ。村山古郷に「グラジオラス一方咲きの哀れさよ」がある。たしかに一方向に向いて咲きそろい、葉は剣の形をしている。が、少しもトゲトゲしい植物という印象はない。したがって「哀れ」とは「もののあはれ」の「あはれ」だろう。一方咲きの習性は、どうにもならぬ。こんなにも、すずやかで可憐な花なのに、何をどうしてそんなに頑張ってしまうのか。そんなグラジオラスの習性を妻のそれに例えたのが、掲句というわけだ。「愛憎」や「好き嫌い」が激しい。事物についても人物についても……。そんな細かいことまでに、いちいち愛憎をあからさまにしなくてもいいじゃないか。もっとゆったりと、安らかに生きてほしいよ。第一、そんなツンケンした態度は、あなたには似合わないのに……。そう思いながら、日々暮らしている。しかし、本日は暑さも暑し。だから、いささかのうとましい気持ちも湧いてきてしまう。「妻」はともかくとしても、引き合いに出されたグラジオラスには、いい迷惑な句ではある。こんなふうに言われたら、ますますかたくなに一方咲きに固執したくなるではないか(笑)。『俳諧歳時記・夏』(1984・新潮文庫)所載。(清水哲男)


June 1362000

 黒栄に水汲み入るゝ戸口かな

                           原 石鼎

栄(くろはえ)は、普通「黒南風」と表記する。梅雨の雨雲が垂れ込めて、暗く陰鬱な空模様のときに吹く湿った南風を言う。対して「白南風(しらはえ)」は、梅雨明け後の空の明るいときの南風だ。「白南風や化粧にもれし耳の蔭(日野草城)」。単独に「南風」とも用い、いずれも季節風を指している。さて、水道の普及していなかった時代の朝一番の仕事といえば、水汲みだ。庭の井戸や近所の清水などから大きなバケツいっぱいに汲んできて、飲料水や台所仕事などの水を確保する。子供のころ、そんな環境に暮らしていたので、私にはよくわかる句だ。どんなに天気が悪かろうとも、水汲みだけは欠かせない。生きていくためには、まず水が必要であることを、あのときに身にしみて知らされた。だから、汲んできた水は貴重で、一滴たりともこぼすまいと用心する。作者が「戸口」をクローズアップしているのは、そのためである。強風に抗して汲んできた水を、狭い戸口にぶつけないようにと、慎重に運び入れている場面だ。こうして無事に運び込んだ水は、大きな甕などに移して溜めておく。この甕に移し終えたときの充足感は、経験者にしかわからないだろうが、荒天下の水汲みほど充足感が深いのはもちろんである。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


July 0572000

 生き得たる四十九年や胡瓜咲く

                           日野草城

語は「胡瓜(きゅうり)の花」。観賞するような立派な花じゃない。黄色くて、たいていは炎天下でしおたれている。そんな地味な花に目をとめて、生きている喜びを分かち合えたのは、草城が病弱だったからだ。このあたり、子規によく似ている。病床六尺の世界。「四十九年」は、もとより「人生わずか五十年」が意識にあってのこと。いまでこそ「人生八十年」と言っているが、「五十年」程度が常識だったのは、そんなに遠い昔の話でもない。戦争という特殊事情もあったにせよ、たしか敗戦の年の男の平均寿命は五十歳にも達していなかった。だから、作者はよくぞここまでの感慨をもって作句しているのだ。病弱ではない人でも、齢を重ねるに連れて、花は花でも、華麗でない花や名も知らぬ路傍の花に魅かれたりする。かくいう私も、そうなりつつあるようだ。稲垣足穂の名言に「齢を重ねるうちに、人の関心は動物から植物へ、植物から鉱物へと移行する」というのがある。となれば、地味な胡瓜の花への関心などは、さしずめ鉱物へのそれの移行過程を示すものかもしれない。だいぶ前に「アサヒグラフ」で、足穂の夕食の写真を見たことがある。テーブルの上には数本のビール瓶が並んでいるだけで、後は見事に何もなかった。ちょっとした「つまみ」すらもない。その前で、奥さんといっしよに、むうっとした表情の足穂が写っていた。完璧に「鉱物」の世界の人だなと思えた。『日野草城句集』(新潮文庫)所収。(清水哲男)


February 1222001

 言ひつのる唇うつくしや春の宵

                           日野草城

城、大正期の青春句。目の前の女性が、盛んに「言ひつの」ってくる。勝ち気で負けず嫌いなのだろう。たぶん、作者の言ったことに反発し、反論しているのだ。「生意気なことを言うんじゃないよ」くらいに思って聞いているうちに、だんだんと彼女の話よりも、その「唇(くち)」の美しさに目が奪われ、話の中身などどうでもよくなってしまった。男の気持ちは、えてしてこのように動きがちだ。そんなこととは露知らぬ彼女は、ますます舌鋒鋭く「言ひつのる」。まさに艶めく「春宵一刻値千金」の図。と、もちろん、これは作者の一方的な思いでしかない。一方的だから、当然、しっぺ返しも受ける。句集で揚句の次に出てくるのが、言わんこっちゃない、「くちびるをゆるさぬひとや春寒き」だ。欲望をあっさり断たれて、「春の宵」も急に寒くなっちゃった。青春の泣き笑い。ただし、泣かされても「くちびるをゆるさぬひとや」と平仮名表記で句をロマンチックに仕立て上げるのを忘れないところなんぞは、なかなかにしぶとい。失恋も、けっこう「カッコよいだろ」と言いたいのだ。いわば先天的な詩人の業を感じる。「くちびる」で思い出したが、戦後間もなくの流行歌に「夜の銀座は七色ネオン、誰にあげよかくちびるを、かりそめの恋……」という奔放な女性像を描いた一節があって、子供だったくせに、なぜか心惹かれた。昔の「くちびる」は「ゆるす」ものであり、また「あげる」ものなのであった。現代の青春では、どうなのだろう。室生幸太郎編『日野草城句集』(2001・角川書店)所収。(清水哲男)


May 0952001

 新緑やうつくしかりしひとの老

                           日野草城

来に希望のある「新緑」と、未来を喪失しつつある「老」との取り合わせだ。「老」は「おい」と読ませている。発想としては陳腐かもしれないが、実相としては胸に染み入る。類句も多いけれど、そんなことは問題ではない。初夏の緑に「老」が配されることで、鮮やかな「新緑」は、いよいよ鮮やかだ。敗戦後一年目のこのとき、草城はまだ四十五歳だったが、肺炎から肋膜炎と肺浸潤症を併発して、療養生活の身となっていた。心細さも一入(ひとしお)だったろうし、だからこその取り合わせだったろう。かつての「うつくしきひと」は、見舞客だろうか。初夏の陽光に、まぎれもない「老」が映し出された。ああ、人は例外なく老いるのだ。病身は修復できる。だが「老」は、……。その一瞬の感慨が身内を走り、窓外に映える「新緑」へと視線を外したときに、言い古された言葉ながら「世の無常」を感じたということである。才子・草城としては、そんなに良い句だとは思っていなかったはずだけれど、書き留めておかなければいけないとは、強く思っただろう。俳句の魅力を言うときに、このあたりの事情は重要だ。他人にはどう思われようとも、書きつけないでは気が収まらぬ。駄句などと、言いたい奴には言わせておけ。人の日常には、句のような局面が不意に現われる。一句屹立の志も結構だが、屹立していないように見える掲句の「屹立」ぶりを読めないと、ついに俳句の奥行きは理解できまい。俳句は文学に添っているのではなく、人の日常の側にこそ添っている。だから、貴重な「文学」なのだ。室生幸太郎編『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


July 0172001

 七月や既にたのしき草の丈

                           日野草城

半ばに梅雨が明けると、いよいよ夏の盛りが訪れる。下旬には、子供らの夏休みもはじまる。暑さも暑しの季節だが、自然的にも人事的にも他の月とは違い、「七月」は活気溢れるイメージに満ちた月だ。掲句は「既にたのしき」とあるから、まだ盛夏ではなく、新しく今月を迎えたばかりの感慨である。ぐんぐんと伸びつづける「草の丈」に、夏の真っ盛りも近いと感じ、しかも技巧的にごちゃごちゃと細工したりせずに、素朴に「たのしき」と言い止めたところが素晴らしい。この句を読んだ人はみな、庭などの「草の丈」をあらためて見てみたくなるだろう。晩年に近い長期療養中の作句であるが、作者自身の生命力のありようも伝わってくる。まだ若くて元気なころの句に「七月のつめたきスウプ澄み透り」があるけれど、モダンで美々しくはあっても、むしろ生命力の希薄さを覚えさせられる。「七月」という言葉の必然性も、体感的には希薄だ。すなわち、健康な人はついに健康を対象化できないということか。その必要もないからと言えばそれまでだし、たぶんそういうことなのだろうが……。『人生の午後』(1953)所収。(清水哲男)


November 22112001

 短日や盗化粧のタイピスト

                           日野草城

語は「短日」で冬。もう七十年も前の昭和初期の職場風景だ。このころの草城は、大阪海上火災保険に勤めていた。当時のタイピストは専門職として貴重であり、いわばキャリアウーマンの先駆け的存在だった。しかし、なにしろ昔は男社会だ。オフィスで働く女性も少なく、しかも男どもに互して働いたのだから、しっかりした気丈な女性像が浮かんでくる。あまり化粧っ気もなく、服装も地味だったろう。そんな女性が、仕事の合間に素早く「盗化粧(ぬすみげしょう)」をするのを、作者は偶然に見てしまった。つまり、タイピストに「女」を見てしまった。日暮れも近く、退社時間ももうすぐだ。会社が退けたら、誰かに会いに行くのだろうか。一瞬そんな詮索心もわきかけたが、ちょっと首をふって、作者も自分の仕事に戻った……。文字通りの事務的な雰囲気のなかで、瞬間「人間の生々しさ」が明滅したシーンを定着させたところに、作者の手柄がある。余計なことながら、国内の保険会社という仕事柄、女性が操作していたのは和文タイプではなかったろうか。となると、当時の最先端を行く事務機器だ。和文タイプの発明は大正期のことであり、それまでは銀行などでも、帳簿への記入はすべて筆書きだった。小林一三が、回想録に書いていたのを読んだことがある。室生幸太郎編『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


February 1622002

 春の灯や女は持たぬのどぼとけ

                           日野草城

語は「春の灯(春燈)」。明るく華やいだ感じを言う。その灯のなかにある女性の美しさ。武骨な「のどぼとけ」のない「のど」一点の滑らかさ、まろやかさをすっと言い止めて、読者に姿全身の美しさを想像させている。思うに、古今俳人は数あれど、草城ほどに女人礼賛の句を多く作った俳人も珍しいのではあるまいか。第一句集『花氷』のしょっぱなに「うつくしきひとを見かけぬ春浅き」があり、新婚初夜を即吟的に詠んだかのような連作「ミヤコ ホテル」はあまりにも有名だ。したがって、この句も偶発的にできたのではなく、常に女性美に執し続けている心から生まれたものだと思う。もとより、句の心根にあるのはお世辞でも何でもない。心底賛嘆しているがゆえの嫌みの無さから、そのことがわかる。関根弘に、奥さんが美容院に行ってきたことに気がつかず、大いに不機嫌にさせてしまったという出だしの詩があった。そこで詩人は女の自尊心に「てやんでえ」と啖呵を切るのであるが、草城が読んだら卒倒しそうな作品である。哀しいことに、気がつかないという点で、私は関根さんに近い。その意味で、草城句集を開くたびにコンプレックスを感じてしまうのだが、どうにもなるものではない。読者諸兄におかれては、如何なりや。室生幸太郎編『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


March 1432002

 子猫ねむしつかみ上げられても眠る

                           日野草城

語は「子猫(猫の子)」で春。猫は春に子を生むことが、最も多いからだとされる。猫好きでないと、こういう句は作らないだろう。この愛くるしさに、冷淡にも「それがどうしたの」と言われても困ってしまう。可愛いから、可愛いのである。作者の猫好きはかなりのものだったようで、病床にすら常に子猫が何匹かいたという目撃者(大野林火)がいるほどだ。離乳直後くらいの子猫は、たしかに「つかみ上げられても」、眠ったまんまのときがある。もっとも、猫は元来が夜行性の動物だから、限りなく自然体にある子猫としては、どうされようとも昼間は眠っているのが本来の生態なのだろう。その子猫が、もう少し大きくなってくると、上野泰が詠んだように「貰はれる話を仔猫聞いてをり」と、可哀想なことになる場面も出てくる。しかし、この句もまた、猫好きだからこその発想だ。哀れにも愛くるしい姿とは、写る人にしか写らない。ところで、掲句は子猫を「つかみ上げる」としている。手で上から一瞬つかみ、後はすくい上げて掌に乗せるという感じなのだろう。相手が子猫だから、首筋をつまみ上げるのとは違うと思うが、一般的に(と言っても、最近の飼育方法には無知だけれど)何故、猫は首筋をつまみ上げるのか。猫には、あれでよいのだろうか。子供の頃に一度だけしか飼ったことのない素人には、よくわからぬままに来てしまった。『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


September 2092002

 わが葉月世を疎めども故はなし

                           日野草城

語は「葉月」で秋、陰暦八月の異称。「朝ぼらけ鳴く音寒けけき初雁の葉月の空に秋風ぞ吹く」(眞昭法師)。この歌を読んで、わっ、めちゃめちゃな季重なりと、瞬間感じたのは私だけでしょうか。完璧な俳句病です(笑)。歌のように、朝夕はもう寒いくらいだけれど、日中はまだ暑い日が多いのが、いまごろの「葉月」という月だ。春先と同じで、なんとなく情緒不安定になりやすい。まさに「故はなし」であるのだが、草城は病気がちだったので、やはり身体的不調も加わっていたのではなかろうか。暑いなら暑い、寒いなら寒いのがよい。原稿をもらいに行ったときに、いかにもだるそうに呟いた黒田喜夫の顔を思い出した。筆の遅い詩人だったが、暑からず寒からずの季節には、一日に一行も書けない日があった。電話がない家だったので、とにかく神田から清瀬まで、連日通い詰めたものだ。句に従えば「世を疎(うと)」んじていたはずだから、「世」を代表しているような顔つきの編集者なんぞには、会いたくもなかっただろう。と、今にして思う。もう、三十数年も昔の話だ。ただし、この句からそんなに暗い印象は受けない。無理やりにも「故はなし」と、自分で自分に言い聞かせているところが、どことなくユーモラスで、読者の気持ちをやわらげるからだろう。『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)


February 0522004

 春寒や竹の中なるかぐや姫

                           日野草城

語は「春寒(はるさむ)」。暦の上では春になっても、まだ寒いこと。「余寒(よかん)」と同義ではあるが、余寒が寒さに力点を置くのに対し、春寒は春に気持ちを傾かせている。「通夜余寒火葬許可証ふところに」(田中鬼骨)と、余寒はいかにも侘しい。掲句は想像句だが、しかし作者は実際の竹を見ているうちに着想したと思われる。いまごろの竹林は「竹の秋」間近で、いちばん葉の繁っているときだから、奥の方は昼なお暗い。しかしどうかすると、繁った葉から洩れてくる日差しがあたって、そこだけが美しく光っていたりする。と、ここまで見えれば、あと「かぐや姫」までの連想はごく自然な成り行きだ。なんだか、自分が竹取の翁にでもなったような気分になってくる。あの光っている竹をそおっと伐ってみれば、背丈わずかに三寸の可愛らしい女の子が眠っているはずだという想像は、外気が冷たいだけに、春待つ心を誘い出す。こんなふうに自然を眺められたら、どんなに素敵なことか、気が安らぐことか。一読して、たえずギスギスしている私はそう思った。『竹取物語』は平安期に、相当に教養のあった男の書いた話とされている。子供にも面白い読み物だけれど、大人になって読み返してみると、全編が当時の権力者への批判風刺で貫かれていることがわかる。単なるわがまま美女の物語ではなくて、かぐや姫は庶民に潜在していた「一寸の虫にも五分の魂」という気概を象徴しているのだ。しかし、体制はいまとは大違い。女性の地位も、現代では考えられないほどに低かった。したがって帝(みかど)の求婚まで断わるとなった以上は、死をもって償わねばならない。心優しい物語作者は、姫を満月の夜に昇天させるという美しいイメージのなかに、姫の自死を悼んだのだった。『日野草城句集』(2001・角川書店)(清水哲男)


May 2552005

 こひびとを待ちあぐむらし闘魚の辺

                           日野草城

語は「闘魚(とうぎょ)」で夏、「熱帯魚」に分類。闘魚とは物騒な名前だが、その名の通りに闘争本能が極めて強い。同じ水槽に雄を二匹放つと、どちらかが死ぬまで闘いつづけるという。赤や青の色彩が鮮やかであるだけに、余計に凄みが感じられる。そんな闘魚が飼われている水槽の前で、作者は女性が人待ち顔でいるのを目撃した。おそらく「こひびと」を待っているのだろう。相当に待ちくたびれたらしく、もはや華麗なる闘魚も眼中に無し。イライラした顔で、早く来ないかとあちこち見やっている。二人が「闘魚の辺」を待ち合わせ場所に選んだのは、どちらかが多少遅れても退屈しないですむということからに違いない。が、ものには限度というものがある。もうしばらくすると、彼女自身がそれこそ闘魚と化してしまうかも……。というのは半分冗談だが、しかしそれに近い滑稽味を含んだ句だ。実際、相手が「こひびと」であるなしに関わらず、待ち合わせ場所の選択は難しい。とくに初対面の人とは大変で、編集者のころにはけっこう苦労した。ある人が渋谷のハチ公の銅像前ならわかるだろうと約束し、さらにわかりやすく、ハチ公の鼻に手をかけて待っているからと念押しした。ところが、約束の日時にハチ公の前に出てビックリ。鼻に手をやろうにも、高すぎてとうてい届かない。仕方がないので、相手が現われるまで鼻めがけてぴょんぴょん飛び上がりつづけた。……か、どうかまでは聞き漏らしたけれど。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


November 15112005

 重ね着の中に女のはだかあり

                           日野草城

語は「重ね着」で冬。寒いので、何枚も重ねて着ること。暖房の不完全な時代の寒さしのぎには、とりあえずこれしかテがなかった。掲句はそんな重ね着姿の女性を目にして、咄嗟にできたのだと思う。頭の中で、こねくりまわした句ではない。でも当たり前じゃないか、などとは言うなかれ。重ね着であろうがなかろうが、何をどう着てても「中に女のはだか」はあるのだけれど、しかし作者は重ね着だからこそ「はだか」を感じているのである。というのも、重ね着はさして人目を気にしない無造作な着方だからだ。ファッションもコーディネートもあらばこそ、とにかく寒いので、そこらへんのものを着込んでしまう。傍目からは、もうモコモコ状態である。きちんと着たときには、衣服は身体そのものと化すが、モコモコのときの衣服は身体とは遊離して見えてしまう。つまり衣服は衣服として、「はだか」は「はだか」として別々の存在と写るわけだ。モコモコだと、これはもうズボッと簡単に抜けてしまいそうに思われる。だから咄嗟の印象が、はだかにつながったと読むべきだろう。着込めば着込むほどに、かえって「中のはだか」を意識させるところが面白い。加えて、着込んだ当人にその自覚がまったくないところが、ますます面白い。人間心理の綾とでも言うべきか。世の中、誰が何をどう見て何を感じているのか。油断もスキもあったものではない。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 0622006

 春寒や竹の中なるかぐや姫

                           日野草城

語は「春寒(はるさむ)」。春が立ってからやってくる寒さのこと。現象としては春の季語「余寒(よかん)」と同じことだが、余寒が寒さのほうを強調するのに対して、春寒は春のほうに重きをおく。寒いには寒いけれど、もう春なのだと気持ちは明るいほうに傾くのである。掲句においても然り。そうでなくてもこの時期の竹林は寒々しいが、寒波襲来でいよいよもって冷え込んでいる。そんななかに、かぐや姫を抱くように包み込んでポッと薄く光っている一本の竹。その幻想的な光景の想像が、作者にとっての春というわけだ。ここではまだ『竹取物語』ははじまってはいないけれど、やがて親切で正直者のおじいさんが現われて、かぐや姫を発見することは既に決まっている。何の心配も無い。姫はすっかり安心しきって、静かに眠っていることだろう。この方式でいくと、たとえばおばあさんに拾われる前の『桃太郎』の桃だとか、いじめられている亀に出会う前の浦島太郎だとかを詠むこともできそうだ。と、そんなことも思われて楽しくなる。ただ、これら有名な昔話のなかにあって、唯一教訓臭の無いのがかぐや姫の物語だ。とても道徳の教科書には使えない。『竹取物語』には昔の女性の自立願望が込められていると指摘する学者もいるようだが、やがては帝さえをも手玉にとろうかという女性が、ちっちゃな赤ちゃんとして竹の中で無心に眠っている。そこらあたりにも、フェミニストであった作者は春を感じているのかもしれない。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


October 25102006

 秋風や子無き乳房に緊く着る

                           日野草城

性がどう威張ってみても、また地団駄踏んでみても、彼から欠落しているのが乳房。まあ、筋肉がキリリと緊まった男性の胸も、それはそれで美しい。けれども、両者の美質はおのずと別である。堀口大學は詩で、乳房を「女の肉体の月あかり」「恋人のシャボン玉」と表現した。(セクハラなどと野暮は言うなかれ)掲出句は乳房そのものや、その美を直接詠もうとしているわけではない。ポイントはむしろ「緊(かた)く着る」にある。そのためにこそ乳房が必要なのである。秋風のなかへ外出するのだから、もちろん時季にふさわしいフォーマルな着物であろう。「子無き」と言っても、未婚の娘さんではなく既婚者であろう。まして西洋人のような巨乳ではない。立ち姿が形よく引き緊まって、凛としたエロチシズムが感じられる。品位があって隙がない。乳房だけでなくしっかりと抑えられた心身の緊張感までもが、さわやかな風にのってそっと匂ってくるようでもある。草城には、女性のエロチシズムを素材にした句が多い。しかし、乳房は男性が詠んでも女性が詠むにしても、容易な素材ではない。蛇笏は「大乳房たぷたぷ垂れて…」と健康さを詠み、草城の弟子・信子は「ふところに乳房ある憂さ…」と内面を詠んだ。『花氷』(1927)所収。(八木忠栄)


January 3112007

 己がじし喉ぼとけ見せ寒の水

                           安東次男

月五日から節分までの30日間くらいを「寒の内」と呼ぶ。一年間で最も寒さが厳しい季節である。したがって「寒の水」はしびれるほどに冷たく、どこまでも透徹している水。この句がどういう状況で詠まれたかは定かでないが、男たちが数人だろうか、顎をあげ、殊更に喉ぼとけを見せるようにして澄みきった冷たい水を、乾いた喉にゴクゴクと流しこんでいる。喉ぼとけは、たまたまそこに見えていたのだろうが、作者があえて「見せ」と捉えたところにポイントがある。水を飲む音も聴こえてくるようであり、あたかも己を主張するかのように、おのおのの飲み方をしているふうにも見える。とがった「喉ぼとけ」と透徹した「寒の水」の取り合わせは凛然としていて、寸分の弛みもない。いかにも背筋がピンと張った安東次男の句姿である。実際、ご自身も凛としていながら、やさしさのにじむ人柄だった。平井照敏編『新歳時記・冬』には「寒中の水は水質がよいとして、酒を作り、布をさらし、寒餅を作り、化粧水を作る」とある。水道水はともかく、寒中に掬って飲む井戸水のおいしさは格別である。安東次男の句集は、名句「蜩といふ名の裏山をいつも持つ」を収めた『裏山』の他『昨』『花筧』『花筧後』などがある。労作『芭蕉七部集評釈』について、「全部、食卓の上でやった仕事だよ」といつか平然と述懐しておられた。喉ぼとけの句というと、どうしても日野草城の「春の灯や女は持たぬのどぼとけ」という句を想起せずにはいられない。句の情景は対蹠的であり、次男句には男性的色気さえ感じられるし、草城句からは女性のエロチシズムが匂い立ってくるように感じられてならない。『花筧』(1992)所収。(八木忠栄)


August 2482007

 みづうみの水のつめたき花野かな

                           日野草城

体形で何々かなに掛ける。虚子の「遠山に日の当りたる枯野かな」もある。つめたいのは花野ではなくて水。日が当っているのは枯野ではなくて遠山である。最近では岸本尚毅の「手をつけて海のつめたき桜かな」も同様。こういう用法と文体はいつの時代に誰が始めたのだろう。何だって最初はオリジナルだったのだ。起源を知りたいとは思うがわかっても実作にはつながらない。自分のオリジナルを作りたい実作者にとっては用法の起源はあまり意味を持たない。古い時代の用法をたずねて今に引いてくるのは昔からよくあるオリジナルに見せかける常道である。新しい服をデザインする発想に行き詰ったら、そのとき古着のデザインに習えばいいと思うのだが。この句、水と花野の質感の対比、みづうみと花野の大きさの対比。二つの要素の対比、対照によって効果を出している。草城のモダニズムは自在にフィクションを構成してみせたが、誓子や草田男のように、文体そのもののオリジナルに向ける眼差しは無かった。そこが、草城作品の「俗」に寄り添うところ。そこに魅力を感じる人も多い。講談社『日本大歳時記』(1983)所載。(今井 聖)


January 1812008

 日のあたる硯の箱や冬の蠅

                           正岡子規

の句に日野草城の「日の当る紙屑籠や冬ごもり」を並べて「日のあたる」二句の比較を楽しんでいる。二句とも仰臥の位置からの視線であるところが共通点。二人とも長い病の末結核で世を去った。両者とも日常身辺の限られた範囲の中で、視覚的な物象に句材を得ている。二句の違いというか、それぞれの特徴として、僕は子規の「眼」の凝視の力と、草城のインテリジェンスを思う。子規が見出した「写生」という方法は、生きて在ることの実感を瞬間瞬間の「視覚」によって確認することが起点となっている。子規が詠んだ有名な鶏頭の句も糸瓜の句も、季題の本意や情趣がテーマではなく視覚の角度やそこに乗せる思いがテーマ。この句でも冬の蠅を凝視する子規の「眼」に子規自身の「生」が刻印されているような感じがする。何気ない枕もとの日のあたる硯箱が背景になっていることがさらに鬼気迫るほどのリアリティを見せている。一方、草城の句は、冬ごもり、書き物、反古、紙屑籠という一連の理詰めの連想が起点となっている。つまり草城は自己の病臥の状態から句を詠んでも季題の本意を忘れず、俳諧を意識し、フィクションを演出する。そこに「知」を強烈に働かせないではいられない。「新興俳句」の原動力となった所以である。『日本大歳時記』(1981・講談社)所載。(今井 聖)


January 3112010

 雪の夜の紅茶の色を愛しけり

                           日野草城

茶を詠った句は、どれも読んでいてあたたかな気持ちになります。特に、ことさら赤い「色」に注目したのは、つめたい雪の「白」や、部屋をつつむ夜の「黒」と対比したもので、たしかに紅茶というのは、その熱を色にまで素直に表しているものなのだなと、あらためて感心してしまいます。かつてこの欄で、三宅さんが採り上げた「雪降ってコーヒー組と紅茶組」(中原幸子)の句にも感じたことですが、この世には、わたしたちをそっと支えてくれるものが、あらかじめきちんと用意されているものだなと、つくづく感じるわけです。わたしが紅茶を飲むのは、この句とは違って通勤前のあわただしい朝の数分です。トーストを頬張った後に、砂糖もなにも入れない紅茶を流し込むように飲んでから、気合を入れて会社に向かうわけです。この句のように、ゆったりとした言い方はできませんが、日々のはじまりに背中を押してくれるこの飲み物を、わたしだって深く愛しています。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


March 2232011

 ものの種にぎればいのちひしめける

                           日野草城

眉刷毛万年青の芽
のの種とは、穀物や草花などのあらゆる種子をさす。種は、芽吹きを約束する希望のかたまりである。そっと手に乗せたのち、握りこぶしに力を込めれば、ひと粒ひと粒の種がちくちくと手のひらを刺激する。その心地よい痛みは、命の確かな存在であり、一面の実りを想像させる未来である。恐ろしいニュースが続けざまに流れるなか、パソコンの横に置いてあった眉刷毛万年青(まゆはけおもと)の種がいつの間にか発芽していた。土の上に置いた種から、臍の緒のような管が地面をまさぐるように伸び、接地面であらためて根をおろす。球根植物の神秘的な芽吹きは、不屈の精神と生への渇望を目の当たりにしているようで、健気にして頼もしく、そしてひたすら愛おしい。それは被災された多くの方々への思いにも重なり、愛すべき日常が一日も早く戻ることを、ただ祈り願うばかりである。『日野草城句集』室生幸太郎編(2001)所収。(土肥あき子)


September 1492011

 ずっしりと水の重さの梨をむく

                           永 六輔

のくだものは豊富で、どれをとってもおいしい。なかでも梨は秋のくだものの代表だと言っていい。近年は洋梨も多く店頭に並ぶようになったが、日本梨の種類も多い。長十郎、幸水、豊水、二十世紀、新高、南水、愛宕、他……それぞれの味わいに違いがある。品種改良によって、いずれも個性的なおいしさを誇っている。私が子どもの頃によく食べたのは、水をたっぷり含んだ二十世紀だった。梨を手にとると、まず「ずっしり」とした「重さ」を感じることになる。それはまさに「水の重さ」である。梨は西瓜や桃に負けず水のくだものである。梨の新鮮なおいしさを「重さ」でとらえたところが見事。作者が詠んでいる「水の重さ」をもった梨の種類は何だろうか? それはともかく、秋の夜の静けさが、梨の重さをより確かなものにしているように思われる。古書に梨のおいしさは「甘美なること口中に消ゆるがごとし」とか「やはらかなること雪のごとし」などと形容されている。梨の句に「梨をむくおとのさびしく霜降れり」(日野草城)「赤梨の舌にざわつく土着性」(佐藤鬼房)などがある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


November 27112011

 店の灯の明るさに買ふ風邪薬

                           日野草城

くなってきたなと思い始めるころには、間違いなく風邪をひく人が出てきます。「風邪をひかないように気をつけて」という挨拶が、自然と口に出てくるようになってきます。今日の句、風邪薬を買っているのは風邪をひき始めた当の本人なのでしょう。勤め人には、どうしても会社を休めない日があって(というか、たいていの日はそうなのですが)、風邪は仕事の大敵です。洟水を気にしながらなんて、とてもじゃないけど集中して仕事ができません。「灯の明るさ」は、風邪の症状のうっとうしさから確かに守ってくれる安心感を表しています。あたたかなオレンジ色に輝く店の灯に包まれて、まずは気分だけでも多少は持ち直したいものです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


February 1922012

 きさらぎの藪にひびける早瀬かな

                           日野草城

月のやわらかな光をうけて、冬に萎(しお)れていた藪(やぶ)も輝いている。藪のむこうからは、早春の雪解け水が足早に流れる音が聞こえてくる。春を告げる音のように。せせらぎはこちらからは見えず、ただ音が聞こえるばかりですが、光をこまやかに反射しながら流れているさまが目に浮かびます。音が光を発生させているような、早瀬の振動が藪に響いて光を拡散させているような、そんな読み方も許されるように思われてきます。現代のメディアアートには、デジタルの特性を活かして、視覚を聴覚化し、聴覚を視覚化する作品が多く発表されています。たとえば、坂本龍一がピアノの鍵盤を叩くとその音に反応して、スクリーン上に線と色彩が鮮やかに映像化される岩井俊雄の作品が有名です。掲句に も、そのような仕掛けが施されているのではないでしょうか。つまり、「ひびける」は、「日日」と「響」の掛け詞なのではなかろうかと。だから、作者・日野草城は「ひびける」をひらがな表記にしたのではないでしょうか。きさらぎ・二月の日の光は、藪の輝きと、雪解け水の音づれをたまわれました。『草城句集(花氷)』(1927)所収。(小笠原高志)


November 01112012

 秋真昼島に一つの理髪店

                           鶴濱節子

わやかで透明感のある時間が「秋の昼」の本意だろうか。「本来春昼にたいして作られた季語で、まだ十分熟してはいない。」と平井照敏の「新歳時記」にはある。どのような過程を経て季語に取り入れられたのか詳しいことはわからない。「秋の昼妻の小留守をまもりけり」日野草城 「大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼」岡井省二などが例句として載っている。掲句は「秋真昼」なのだからどんぴしゃピントがあってなおかつ非現実な静けさが感じられる。小さな島だとタクシーも一台、何でも置いてある雑貨屋も一軒なんて場所だろうか。とりわけ理髪店などは島の人もたまに利用するぐらいだろうから、店の主人も手持無沙汰にがらんとしているのかもしれない。そんな情景を思うとせかせかした都会とは違い静かに秋が深まってゆく島の時間が豊かに感じられる。『始祖鳥』(2012)所収。(三宅やよい)


October 13102013

 一歩出てわが影を得し秋日和

                           日野草城

のやわらかな日差しを窓外に見ていると、少し身なりを整えて、この日曜日、外出しようかという気になります。晴天の日、家の中と外では文字通り、ケとハレの違いがあるように思われます。外に出るときは、少しはにかみながら晴れがましくもあります。掲句は、作者自らの足どりを微足(スローテンポの歩み)の舞踏家を見るように示しています。「一歩出て」には、家の中から外へ出る一歩に、相当なエネルギーを要しています。ふだんは病に身を横たえている作者は、直立歩行して得られた「わが影」を見て、自ら立って、生きている姿を確認しています。この姿は、秋日和を照明にした、作者の晴れ舞台のようでもあるでしょう。共演者は脇から支えている妻。しかし、観客は誰もいません。ただ、「わが影」を見ている作者自身が、演じる者と観る者の二役をこなしています。『人生の午後』(1953)所収。(小笠原高志)


August 1382014

 茗荷食み亡き友の癖思い出す

                           辻井 喬

マのまま刻んで薬味によし、味噌汁に入れて茗荷汁よし、天ぷらでよし、酢漬けでよしーー茗荷は重宝でうれしい野趣あふれた山菜である。屋敷のあちこちや山野へ出かけ、時季になると袋一杯に茗荷を採ってあるくことが、子どものころから私は好きだった。あの茶色なつややかさ、ぽってりとした茎が薄黄色の花をつける。子どもの頃うちではたくさん採れると、蒸かして芥子醤油でたんまり食べたり、味噌漬けにしたりした。晩夏に出る秋茗荷(花茗荷)は、花が出はじめる前が食べごろ。「その花、開かざるのとき、採りて食す」(『滑稽雑談』)と言われる通りである。あの独特の風味は何とも言えずうれしい。春にのびる茗荷竹もちがったおいしさがあった。「人はなくて七癖、あって四十八癖」と言われるが、この句の場合「亡き友」には、いったいどんな癖があったのだろうか? その友はおそらく茗荷が好きだったにちがいない。喬には『故なくかなし』『命あまさず』など、俳句小説もあった。自ら俳句も少々たしなんで、平井照敏主宰の「山の上句会」に忙しい合間をぬって参加したりもした。喬は惜しまれつつ昨年「亡き」人となってしまった。彼岸で時折、五七五の指を折ったりしておいでだろうか。日野草城の句に「人知れぬ花いとなめる茗荷かな」がある。「翡翠」389号(2014)所載。(八木忠栄)


February 1522015

 けふよりの妻と泊るや宵の春

                           日野草城

和九年。「ミヤコ ホテル」連作の第一句です。私は、学生時代に俳句好きの後輩に教わり、何人かで回し読みをしました。性に疎い青年たちが、貴重な情報を共有し合い、想像力を補完し合いながら来るべき日を夢想していました。実行が伴わず、それを想像力あるいは妄想で埋めようとする時期を思春期というのでしょう。昭和の終わり頃までの青年たちにとって、性的な情報は、活字、写真、体験談が中心で、動画情報はポルノ映画と深夜テレビに限られていました。しかし、パソコンを個人 所有できる現在、リアルな動画情報が、青年たちから妄想する力を奪い、共通の謎を語り合える場を奪っているのかもしれません。掲句は、新婚旅行の宵。「春の宵なほをとめなる妻と居り」貞操観念が確固としていた時代です。「枕辺の春の灯は妻が消しぬ」「をみなとはかかるものかも春の闇」こういうところに想像の余地があり、青年たちは口角泡を飛ばし議論します。「薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ」「妻の額に春の曙はやかりき」闇から光へと明るさが変化して、時の経過をたどれます。「うららかな朝の焼麵麭(トースト)はづかしく」連作の中で、唯一、音が存在しています。トーストを噛む音も恥ずかしい。青年たちの間で最も評判のよかった句です。「湯あがりの素顔したしも春の昼」「永き日や相触れし手は触れしまま」青年たちは、ここに理想を読みます。「うしなひしものをおもへり花ぐもり」この連作、若い世代に読み継がれたい。『日野草城句集』(2001)所収。(小笠原高志)




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