July 271996
円涼し長方形も亦涼し
高野素十
猛暑の折りから、何か涼しげな句はないかと探していたら、この句に突き当たった。しかし、よくわからない。素十は常に目に写るままに作句した俳人として有名だから、これはそのまま素直に受け取るべきなのだろう。つまり、たとえば「円」は「月」になぞらえてあるなどと解釈してはいけないのである。円も長方形も、純粋に幾何学的なそれということだ。いわゆる理科系の読者でないと、この作品の面白さはわからないのかもしれない。円や長方形で涼しいと感じられる人がいまもいるとすれば、私などには心底うらやましい昨今である。ふーっ、アツい。『空』(ふらんす堂・1993)所収。(清水哲男)
July 261996
あめんぼの吹き溜りにて目覚めけり
夏石番矢
あめんぼ(う)は「みずすまし(水馬)」ともいう。飴に似たにおいがするので「あめんぼ(う)」。小川や池の水面に長い六本の脚を張って、すいすいと滑走する。しかし、じっとしている姿は、ほとんど塵芥の類に見えてしまう。そんな吹き溜りの境涯にも、人間と同様に寝覚めはある。微小な生物の目覚めを発見したところが、この句の眼目だ。『猟常記』所収。(清水哲男)
July 251996
死なふかと囁かれしは蛍の夜
鈴木真砂女
新派大悲劇の幕開けではない。遠い日の蛍の夜を思い返しているうちに、「死なふか」という声がリアルによみがえってきた。しかし、その声の主は幻。あるいは、その声はみずからが自分に向けて囁いたもの。青春は過ぎやすし。そして、その思い出は幻として浄化される。この句を事実と読むのはもとより自由だが、そう読んでは面白くないと、私は考える。『都鳥』所収。(清水哲男)
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