松本たかしの句

July 1571996

 羅をゆるやかに着て崩れざる

                           松本たかし

者は宝生流家元の家に生まれた元能役者。病弱のため能を断念し俳句に専念した。羅(うすもの・薄絹で作った単衣)を見事に着こなして崩れない人のたたずまいを言いとめているが、思いはおそらく芸道の理想、さらに人の生き方にまで及んでいる。詩の姿も、かくありたいといつも思う。(辻征夫)


November 17111998

 とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな

                           松本たかし

火は、ご馳走だった。昼間であれば紫色の煙のよい匂いがご馳走だったし、朝や夕方には冷えた手足を温めてくれるご馳走だった。句は夕刻のご馳走を味わっている間に、うかつにも日が暮れたのに気がつかなかったというところだ。ふと振り返ってみると、空は既に「とつぷりと」暮れてしまっていたのである。焚火の魅力が、とても美しく表現されている。誰にでも、こんな思い出はあるだろう。ところで、巽聖歌が詩を書いた「たき火」という歌がある。「かきねの かきねの まがりかど」という歌い出しだ。小学校で習った。これまた焚火をうたった名作であるが、川崎洋『大人のための歌の教科書』(いそっぷ社)によれば、この童謡の発祥の地という立て札が、いまも東京の中野区の旧家にあるそうだ。そういえば、焚火は都会の住宅地ならではの風物詩だった。揚句の舞台も、鎌倉である。農村でももちろん焚火はしたが、生活上必要不可欠の焚火には、実際的で繊細な抒情味には欠けている。それから「たき火」の作曲者は渡辺茂という方で、ご健在だ。私の娘はふたりとも、小学校で渡辺先生に音楽を教えていただいた。我が家の自慢である。最近は、ちょっと焚火をしただけでも警察に電話をされるという。もはや「とつぷりと」先に暮れているのは、人情のほうであるらしい。(清水哲男)


January 2512000

 鬱としてはしかの家に雪だるま

                           辻田克巳

びに出られない子供のために、家人が作ってやったのだろう。はしかの子の家には友だちも来ないから、庭も静まりかえっている。家の窓からは、高熱の子がじいっと雪だるまを眺めている。なんだか、雪だるまの表情までが鬱々(うつうつ)としているようだ。雪だるまには明るい句が多いので、この句は異色と言ってよい。どんな歳時記にも載っているのが、松本たかしの「雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと」だ。「星のおしゃべり」という発想は、どこか西欧風のメルヘンの世界を思わせる。したがって、この場合の雪だるまは「スノーマン」のほうが似合うと思う。スヌーピーの漫画なんかに出てくる、あの鼻にニンジンを使った雪人形だ。よりリアルにというのが彼の地の発想だから、よくは知らないが、日本のように団子を二つ重ねた形状のものは作られないようだ。どうかすると、マフラーまで巻いたりしている。こんなところにも、文化の違いが出ていて面白い(外国にお住まいの読者で、もし日本的な雪だるまを見かけられたら、お知らせください)。雪だるまの名称は、もちろん達磨大師の座禅姿によっている。だから、堅いことを言えば、ホウキなどの手をつけるのは邪道だ。それだと、修業の足りない「達磨さん」になってしまうから。(清水哲男)


June 2062000

 羅や口つけ煙草焔を押して

                           北野平八

(うすもの)は、薄くすけて、いかにも涼しげな夏の着物。多くは、女性が着る。羅の句では、松本たかしの「羅をゆるやかに着て崩れざる」が有名だ。作者は平凡な日常シーンのスケッチを得意としたが、この句もうまいものである。見知らぬ女性に煙草の火を貸している場面。「どうぞ」と自分の吸っている煙草を差し出すと、相手は焔(ほ)を押すようにして火をつける。そのときに羅を着た身体が接近することになるわけで、「口つけ煙草」で押される手先の微妙な感触とともに、不意に異性の淡い肉感が作者を走り抜けたというところだろう。百円ライターという無粋なものが普及する以前には、このような煙草火の貸し借りはごく普通のことだった。駅のホームなどでもよく見られたし、私にも何度も経験がある。煙草好き同士の暗黙の仁義みたいなものがあって、誰も断る人はいなかった。もっとも、あれは道を尋ねるときと同じで、あまり恐そうな人には頼まないのだけど(笑)。百円ライターのせいもあるが、嫌煙権が猛威をふるっている現在では、こうしたやりとりも消えてしまった。句が作られたのは1986年の夏、作者はこの年の十一月に六十七歳で亡くなることになる。桂信子門。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


December 04122000

 ふと羨し日記買ひ去る少年よ

                           松本たかし

店でか、文房具店でか。来年度の日記帳が、ずらりと山積みに並んでいる。あれこれ手に取って思案していると、隣りにいた少年がさっと一冊を買って帰っていった。自分のように、ぐずぐずと迷わない。「買ひ去る」は、そんな決断の早さを強調した表現だろう。「ふと羨(とも)し」は、即決できる少年の若さに対してであると同時に、その少年の日記帳に書きつけられるであろう若い夢や希望に対しての思いである。おそらく、ここには自分自身が少年だったころへの感傷があり、伴って往時茫々との感慨もある。「オレも、あんなふうなコドモだったな……」と、「少年よ」には、みずからの「少年時代」への呼びかけの念がこもっている。もとより、ほんの一瞬の思いにすぎないし、すぐに少年のことなどは忘れてしまう。だが、このように片々たる些事をスケッチして、読者にさまざまなイメージを想起させるのも俳句の得意芸だ。読者の一人として、私も私の「少年」に呼びかけたくなった。熱心に日記をつけたのは、小学六年から高校一年くらいまで。まさに少年時代だったわけだが、読み返してみると、内面的なことはほとんど書かれていない。半分くらいは、情けないことに野球と漫画と投稿関連の記述だ。だから、本文よりも、金銭出納欄のほうが面白い。鉛筆や消しゴムの値段をはじめバス代や映画代など、こまかく書いてある。なかに「コロッケ一個」などとある。買い食いだ。ああ、遠き日の我が愛しき「少年」よ。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


May 0552002

 色町にかくれ住みつつ菖蒲葺く

                           松本たかし

語は「菖蒲葺く(しょうぶふく)」で夏。端午の節句に、家々の軒に菖蒲を挿す風習だ。いまではまず見られないが、邪気を除き火災を免れるためとされたようである。掲句には、短編小説の趣がある。何かの事情から、普通の生活者としては立ち行かなくなった。いわゆる「わけあり」の人になってしまった。「色町」は夜間こそにぎわうところだが、昼間は人通りも少なく、まず誰かが訪ねてくる心配もない。おまけに近隣に暮らす人たちは、立ち入られたくない事情のある人が多い。だから、お互いに素性などを詮索したりはしない。「かくれ住む」には絶好の場所なのである。しかし、かくれ住んでいるからといって、完全に世を捨てているわけではない。どこかに、健全な市民社会への未練が残っている。その未練が「菖蒲葺く」に端なくも露出していると、作者は詠んでいる。たまたま、昼間の色町を通りかかった際の偶見だろう。だから、その家の人が「わけあり」かどうかは、本当はわからないのだ。が、なんとなくそう感じさせられてしまうのが、色町の醸し出す風情というもの。偏見だと、目くじらを立てるほどのことでもないだろう。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)


November 13112002

 枯菊と言い捨てんには情あり

                           松本たかし

語は「枯菊(かれぎく)」で冬。アイルランド民謡に「The Last Rose of Summer」があり、日本では「埴生の宿」の作詞者でもある里見義が翻案して「庭の千草」とした。千草も虫の音も絶えてしまった寂しい庭に、ひとり遅れて咲いた白菊の花を感傷した歌だ。一番ほどには知られていないが、里見が書きたかったのはむしろ二番のほうだろう。「露にたわむや 菊の花/しもに おごるや 菊の花/ああ あわれ あわれ/ああ 白菊/人のみさおも かくてこそ」。この「ああ あわれ あわれ」が、季語「枯菊」の本意に込められた情感である。里見はこの情感を「人のみさお」のありように敷衍しているが、いささか説教くさい。対するに掲句の作者は、あくまでも枯れてもなおそこにある菊の美しさ(美の余韻)のみを言うにとどめている。そこに「あわれ」の情に溺れぬ潔さがある。ここで「情(なさけ)」とは、風情の意味だ。……と、私は読んだのだけれど、むろん俳句の読みに唯一無二の正解はない。あるいは「庭の千草」のように「人間も同じこと」と解釈する人がいても、間違いとは言えないし不思議ではない。虚子の「枯菊に尚或物をとどめずや」が、掲句の影響で詠まれたと指摘したのは山本健吉だが、虚子句は掲句よりもぐんと「庭の千草」寄りのような気がする。つまり、虚子は掲句を解釈する際に、枯菊そのものに宿る美の外に「或物」の存在を感じていたことになるからだ。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


March 0432003

 水浅し影もとどめず山葵生ふ

                           松本たかし

語は「山葵(わさび)」で春。「生ふ」は「おう」。曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』に「山葵、加茂葵に似て、其根の形・味、生姜に似たり。故に山葵・山姜の名あり。中夏(もろこし)の書にみえず。漢名しらず」とある。漢名がわからないのも道理で、日本だけにしか生えない植物だ。私の育った山口県の山陰側の渓流には、自生していた。山葵の句のほとんどは栽培してある山葵田を詠んだもので、なかなか自生している姿を詠んだものは見当たらない。なかで、掲句はどちらとも取れるけれど、どちらかといえば自生の姿ではなかろうか。春光の下、生えてきた「影もとどめ」ぬ、すっきりと鮮かな緑の姿が、私の郷愁を誘う。暗くて寒い農村にも、ようやく春がやってきたのだ。学校帰りに、よく小川をのぞき込んだものだった。小さな魚や蟹たちが動き回り、芹や山葵が点在し、浅い水はあくまでも清冽で、掬って飲むこともできた。そんな山葵しか知らなかったので、のちに信州穂高町の巨大な山葵田を見たときには仰天したが、あれはあれでとても美しい。以下は余談的引用。「すしとワサビの結び付きは江戸後期からで、1820年(文政3年)ころ江戸のすし屋・華屋与兵衛がコハダやエビの握りずしにワサビを挟さむことを考案し、評判となった。しかし、20年後には天保の改革により、握りずしはぜいたく品とされ、与兵衛は手鎖(てじょう)軟禁の刑に処せられ、一時衰退する。ワサビとすしの組合せが全国的に広がるのは明治になってからである〈湯浅浩史〉」。『新日本大歳時記・春』(2000)などに所載。(清水哲男)


March 3032004

 大空に唸れる虻を探しけり

                           松本たかし

語は「虻(あぶ)」で春。虻の名は、羽の唸り音からつけられたという。種類は多いが、代表的なのは花の蜜や花粉を栄養源とする「花虻」と牛馬やときには人の血を吸う「牛虻」だ。こいつに刺されると、かなり痛む。長い間、鈍痛が残ったような記憶がある。けれん味の無い句だ。若い頃にはこの種の句は苦手だったが、やはりトシのせいだろうか、こういう世界にも魅かれるようになってきた。どこかで虻の唸りがするので、どこにいるのかと音のする方向を目で追っている。でも、虻の姿はなかなか認められず、視界には「大空」が入ってくるだけだ。ただ、それだけのこと。しかし作者が、「青空」でもなく「春の空」などでもなくて、ほとんど無色にして悠久な「大空」と言い放ったところに、手柄があるだろう。大空のなかに、作者といっしょに溶け込んでしまうような駘蕩感を覚える。春だなあ。と、ひとり静かに、しかし決して孤独ではない、春ならではの大気のたゆたいを味わえる満足感とでも言おうか。理に落ちず俗に落ちない句境が素晴らしい。というところで、話はいきなり俗に落ちるが、少年時代にはずいぶんと虻に申し訳ない仕打ちをしたものだった。農村で、牛を飼っている家が多かったせいもあって、「大空」に探すどころではなく、この季節になるとたくさんの虻がそこらじゅうに飛んでいた。だから刺された体験もあるのだし、憎々しい存在だったから、我ら悪童連は復讐と称して叩き潰してまわったものだ。そのうちに単に殺すだけでは飽き足らなくなって、誰の発案だったか、油断を見澄ましては生け捕りにする作戦を展開。捕まえた奴の尻に適当な長さの藁しべを突っ込んでは、空に投げ上げるという暴挙に出たのだった。投げ上げると、最初は狂ったように飛び回り、しかしやがて力尽きて落ちてくる。敵機撃墜である。いま思えば、可哀想なことをしたものだと心が疼く。まったくもって、子どもは残酷である。『新俳句歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 2162005

 ああ今日が百日草の一日目

                           櫂未知子

語は「百日草」で夏。夏の暑い盛りを咲き通す、憎らしいくらいに丈夫な花だ。メキシコ原産と聞けばうなずけるが、それにしても……。もっとも、名前だけなら「千日草(「千日紅」とも)」というはるかに凄いのがあって、こちらは枯れても花の色が変わらないというから、なかなかにしぶとい。むろん千日も咲いているわけではなく、両者の花期はほぼ同じである。ところで作者は、かなりの夏好きだとお見受けした。咲きはじめた百日草を見つけて、「今日が一日目」だと思いなした気持ちには、すなわちこれからの長い夏への期待が込められている。まだ「一日目」だ、先は長い。そう思って、わくわくしている弾んだ気持ちがよく伝わってくる。似たような発想の句としては、松本たかしの「これよりの百日草の花一つ」を思い出す。だが、こちらの句には櫂句のようなわくわくぶりは感じられない。どことなく「これよりの」暑い季節を疎んでいるかのような鬱積感がある。静かな詠みぶりに、静かな不機嫌が内包されている。作者が病弱だったという先入観が働くからかもしれないのだが、同じ花を見ても、かくのごとくに截然と感情が分かれるのも人間の面白さだろう。二つの句のどちらを好むかで、読者のこの夏の健康診断ができそうだ。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003・邑書林)所収。(清水哲男)


June 2862005

 あなどりし四百四病の脚気病む

                           松本たかし

語は「脚気(かっけ)」で夏。ビタミンB1の不足が原因で起きる病気で、B1の消費量が多い夏場によく発症したので夏の季語とされた。「赤痢(せきり)」などとともに季語として残っているのは、よほどこの病気が蔓延したことのある証拠だ。もちろん、現在でも発症者はいる。「四百四病(しひゃくしびょう)」は疾病の総称。仏説に、人身は地・水・火・風の四大(しだい)から成り、四大調和を得なければ、地大から黄病、水大から痰病、火大から熱病、風大から風病が各101、計404病起るという。[広辞苑第五版]。要するに人間がかかりやすい病気ということだろうが、作者と同様、おおかたの人はそうしたポピュラーな病気を軽く考えてあなどっている。かかるわけはないし、仮にかかったとしても軽微ですむだろうくらいに思っているのだ。それも一理あるのであって、四百四病すべてに予防策をこうじていては身が持たない。真面目に取り組めば、そのことだけで神経衰弱にでもなってしまいそうだ。だから、あなどることもまた、生きていく上での知恵なのである。しかしそんな理屈はともあれ、実際に発症してしまうと、あわてふためく。何かの間違いであってくれればと、自分の油断に後悔する。掲句は、そんな自分のあわてふためきぶりに苦笑している図だ。めったには死に至らぬ病いだという、もう一つの「あなどり」のせいでどこか安心しているのでもある。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


April 0542006

 濃山吹墨をすりつゝ流し目に

                           松本たかし

語は「山吹」で春。「濃山吹」は、八重の花の濃い黄色のものを言う。陽気が良いので障子を開け放っているのか、それとも閉め切った障子のガラス窓から表が見えるのか、作者は和室で「墨」をすっている。代々宝生流の能役者の家に育った人(生来の病弱のために、能役者になることは適わなかった)なので、墨をするとはいっても、何か特別なことをしようとしているわけではない。日課のようなものである。そんな日常を繰り返しているうちに、今年もまた山吹の咲く頃になった。春だなあ。庭の奥のほうに咲いた黄色い花を認めて、作者は何度も手元の硯からちょっと目を離しては、花に「流し目」をくれている。「流し目に」というのだから、顔はあくまでも硯に向けられたままなのだ。いかに山吹が気になっているかを、この言葉が簡潔に表現している。真っ黒な硯と濃い黄色の花との間を、目が行ったり来たりしているわけだが、この二つの色彩のコントラストが実に鮮やかで印象深い。句を眺めているうちに、作者のする墨の匂いまでが漂ってくるような……。春を迎えた喜びが、静かで落ち着いた句調のなかにじわりと滲み出ているところは、この作者ならではであろう。東京の山吹は、桜同様に今年は早く、そろそろ満開である。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


October 11102006

 渋柿の滅法生りし愚さよ

                           松本たかし

かしについての予備知識もなく彼の俳句を読んだおり、何といっても「チゝポゝと鼓打たうよ花月夜」に脱帽してしまった。以来、鼓を聴く機会があるたびにこの句を思い出してしまう。困った。チゝポゝ‥‥の句は第二句集『鷹』(1938)に収められたが、第三句集『野守』にも再録されている。果物は一般に熟成するにしたがって甘くなるはずなのに、渋柿は渋柿のままで意地を通す。お愛想なんぞ振りまかない。いいじゃないか。私はそこが気に入っている。甘柿と同じように秋の陽を浴びても、頑としてあくまでも渋いのである。もちろん渋柿も時間をかけて熟柿になったときの、あのトロリとした食感といい、コクのある甘さといい、あれは絶品。干柿や樽抜きにしても、一転してのあの甘さ! しかし、甘柿ならともかく、渋柿が豊作になったところで、どうしてくれる?――というのがわれわれの気持ち。渋柿がどんなにたわわに生ったところで、子供ならずとも「なあんだ」とがっかり。拍子抜けというよりも、鈴生りになるほど愚しくさえ感じられる。渋柿には何の罪もないけれど、滅法生ったことによる肩身の狭さ。得意げに鈴生りを誇っていないで、「憎まれっ子、世に憚る」くらいのことは見習ったら(?)。「愚さよ」は、ここでは渋柿に対してだけでなく、渋柿の持主に対しても向けられていることを見逃してはならないだろう。持主あわれ。でも、どことなくユーモラスな響きも感じられるではないか。『野守』(1941)所収。(八木忠栄)


October 20102007

 ひたと閉づ玻璃戸の外の風の菊

                           松本たかし

かし全集に、枯菊の句が十句並んでいる年がある。菊は秋季、枯菊は冬季。二句目に、〈いつくしみ育てし老の菊枯れぬ〉とあり、〈枯菊に虹が走りぬ蜘蛛の絲〉と続いている。この時たかし二十七歳、菊をいつくしむとは昔の青年は渋い、などと思っていたが、十月十一日の増俳の、「菊の香はそこはかとなく淡く、それでいて心にひっかかる」という三宅やよいさんの一文に、菊を好むたかしの心情を思った。掲句はその翌年の作。ひたと、は、直と、であり、ぴったりとの意で、一(ひと)と同源という。今、玻璃戸の外の風の、と入力すると、親切に《「の」の連続》と注意してくれる。その、「の」の重なりに、読みながら、何なんだろう何があるんだろう、と思うと、菊。ガラス戸の外には、相当強い風が吹いている。菊は、茎もしっかりしており、花びらも風に舞うような風情はない。風がつきものではない菊を、風の菊、と詠むことで、風が吹くほどにむしろその強さを見せている菊の本性が描かれている。前書きに、病臥二句、とあるうちの一句。病弱であった作者は、菊の強さにも惹かれていたのかもしれない。「たかし全集」(1965・笛発行所)所載。(今井肖子)


September 0592008

 月光の走れる杖をはこびけり

                           松本たかし

、降る。風、吹く。鷹、舞う。みんな成句。杖とくれば、つく。が常套。杖、はこぶ。これだけで成句を抜けている。すでにオリジナリティの端緒はここに存する。この句の表現は全体の動きの速度に統一感がある。「月光の走れる」のゆったりした語感が、「はこびけり」の動作のゆったり感につながる。描写がスローモーションで動いているのである。「もの」を写す方法の中のバリエーションとして、遠近法やらモンタージュやらトリヴィアルやらの工夫が生まれた。時間の流れをとどめて映像のコマをゆっくり廻してみせるこんな表現は個性というよりも「写生」の中での新しい方法に至っているといえるだろう。『虚子編新歳時記増訂版』(1951)所載。(今井 聖)


July 0472009

 洗髪乾きて月見草ひらく

                           松本たかし

の月見草は、黄色いマツヨイグサでなく、うすうす白い本当の月見草だろうか。鎌倉浄明寺のたかしの家は庭が二百坪もあり、草花から梅、松、桜の大樹までさまざまな草木が茂っていたというから、ほとんど現存していないという月見草も、ひっそりと生き延びていたかもしれない。この句につづいて〈洗髪乾きて軽し月見草〉とある。これなら普通に落ちついた句という印象だが、掲出句のような、すっとふきぬける夕風は感じられない。掲出句は、洗髪、乾、月見草、の漢字を、最後の、ひらく、が受けとめて、涼しい風がいつまでも吹く中で、月見草が夕闇にその色をとかしてゆく。句集の序文で虚子は、たかしの句を「詩的」であり「写生句でありながらも、餘程空想化された句のやうに受取れる」と言っている。そういわれると、本来の月見草の持つ儚さが、洗髪が乾くという現実と呼び合って、いっそう幻のようにも思えてくる。『松本たかし句集』(1935・欅発行所)所収。(今井肖子)


November 11112009

 憎まるゝ役をふられし小春かな

                           伊志井寛

一月に入って寒さは、やはり厳しくなってきたけれど、思いがけない暖気になって戸惑ってしまう日もあったりする。そんな時はうれしいようでありながら、あわててしまうことにもなってしまう。「小春」は「小六月」とも「小春日和」とも呼ばれる。日本語には「小正月」「小股」「小姑」など、「小…」と表現する言葉があってなかなか奥床しい。伊志井寛は新派のスターとして舞台にテレビに活躍した。この句の場合、どんな芝居のどんな役柄なのかはわからないけれど、この名優にして「憎まるゝ役」をふられたことに対する当惑と、小春日和に対する戸惑いが、期せずしてマッチしてしまった妙味が感じられて、どこか微笑ましさも感じられる。役者にとっては憎まれ役だからいやとか、良い役だからうれしいとか、そんな単純な反応はあるまい。憎まれ役だからこそむずかしく、レベルの高い演技が必要とされて、やりがいがある場合もあるだろう。そこに役者冥利といったものが生じてくる。「厳冬」でも「炎暑」でもなく、穏やかな「小春」ゆえに「憎まるゝ役」も喜ばしいものに感じられてくるわけだ。松本たかしの句に「玉の如き小春日和を授かりし」がある。平井照敏編『新歳時記』(1989)所収。(八木忠栄)


November 15112012

 茶の花やぱたりと暮るる小学校

                           喜田進次

の花は小さな白い花。歳時記によると新たに出来る梢の葉の脇に二つ、三つ咲き出るようだ。「茶の花のとぼしきままに愛でにけり」という松本たかしの句にあるように、生い茂った緑にぽつりぽつりと顔を見せる奥ゆかしさと馥郁とした匂いを好む俳人は多い。今まで歓声をあげて駆け回っていた子どもたちも下校してすっかり静かになった小学校がとっぷり暮れてゆく。「ぱたりと」という表現が突然途絶える賑わいと日の暮れようの両方にかかっている。秋の日は釣瓶落としというけど昼ごろの学校の賑わいと対照的なだけによけい寂しく感じられるのだろう。茶の花の持つ静かで侘びしいたたずまいが小学校の取り合わせによく効いている。『進次』(2012)所収。(三宅やよい)


June 2962014

 羅をゆるやかに著て崩れざる

                           松本たかし

(うすもの)は、絽(ろ)の着物でしょう。昭和初期の日本の夏は、扇風機も稀でした。扇子、団扇、風鈴に加えて、いでたちを涼しく、また、相手に対して涼やかにみせる配慮があったことでしょう。作者は能役者の家に生まれ、幼少の頃から舞台に立っていましたから、他者から見られる自意識は強かったはずです。掲句は、自身が粋ないでたちで外出しながらも、暑さに身を崩さない矜持(きょうじ)の句と読めます。一方、これを相手を描写した句ととることもできるでしょう。となれば、相当しゃれた女性と対面しています。胸部疾患が原因で、二十歳で能役者を断念した作者ですが、繊細で神経症的な印象に反して、かなりの艶福家であったことを側近にいた上村占魚が記しています。また、「たかしの女性礼讃は常人をうわまわり盲目性をおびていた」とも。そう考えると、自身を粋に仕上げている女性を描写した句です。いずれにしても、絽の着物を召している作中の人物は、舞台上の役者のごとく背後に立つもう一人の自分の眼で立居振舞を律しています。同時に、そのような離見の見を相手に気づかせないゆるやかないでたちで現れています。現在では、もうほとんど見られなくなってしまった夏の浮世離れです。『松本たかし句集』(1935)所収。(小笠原高志)


April 1642016

 春月の病めるが如く黄なるかな

                           松本たかし

しづつ月が育っている今週の初め、寝室の窓から細く黄色い月が西の空に見えた。ぼんやりとしたその月はどこか妖しい黄色で、ただ朧月というのもなんか違うなあとしばらく見ていたが、ぴったりする言葉も思いつかず寝てしまった。『ホトトギス雑詠選集 春の部』(1987・朝日新聞社)の中に掲出句を見た時、病めるが如く、とはなるほど言い得て妙な表現だと納得した。普通は月を見て、病む、という言葉はなかなか出てこない。やはり四季折々親しく見上げる月だからこそ、見る者の心情や境涯が自ずと映し出されるのかもしれない。生涯病がちだった作者はこの時、どんな心持で春月を仰いでいたのだろうか。(今井肖子)




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