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July 1471996

 水枕干されて海の駅にあり

                           摂津幸彦

とより西東三鬼の有名な句「水枕ガバりと寒い海がある」のもじり。ペチャンコになったゴムの水枕が、人気(ひとけ)のない海辺の駅舎の裏に、洗濯バサミで止められてぶらさげられている。作者の哄笑が聞えてくるよう……。季語はなけれど晩夏の句としたい。『鹿々集』所収。(井川博年)


October 01101996

 ヒト科ヒトふと鶏頭の脇に立つ

                           摂津幸彦

モサピエンスかホモルーデンスか。鶏頭の十四、五本を数えなくとも、ただその脇に立つだけでいい。するとどうだろう。言葉のハ行とカ行とタ行の音がおのずと遊びはじめる。巧まぬ何気なさ。ぼーっとつっ立っているのは誰。『鹿々集』(1996)所収。(八木幹夫)


March 0531997

 新聞紙揉めば鳩出る天王寺

                           摂津幸彦

阪の天王寺界隈は、不思議なところだ。近鉄百貨店の本店があり有名な動物園があり、ゲーテ書房という本屋があり競輪選手の宿泊所があり、古風な写真館があり伊東静雄の通った中学校もあり、釜ケ崎を控え、したがって近くには通天閣があり……。たしかに手品の鳩でも出てきそうな、なんでもありの街である。それでいて、いや、だからこそか、いまいち活気には欠けており、どうしても場末という感じは拭いきれない。一読、鹿々(平凡なさま)を愛した作者ならではの着眼であり、天王寺を知る人ならば必ず納得のいく句であろう。『鹿々集』所収。(清水哲男)


August 0981997

 愛しきを抱けば鏡裏に蛍かな

                           摂津幸彦

誌「豈」(97年・夏)「回想の摂津幸彦」特集号より。句は「俳句研究」(76年11月号)に発表された『阿部定の空』の一句。季語はいま都会でも田舎でも見掛けることのできなくなった蛍。蛍はまた古来より死者の魂の象徴と見なされてきた。この句はもちろん戦前の二・二六事件の最中に起きた有名な阿部定事件をふまえている。いままた世間を賑わす『失楽園』もこの事件が重要な背景となっている。この句の鏡は待合の三面鏡。「愛しきを抱けば」にもかすかに『四谷怪談』の雰囲気が漂う。次の句なども凄い。「埋められて極楽吹かれて地獄かな」。(井川博年)


June 2361998

 雨の日は傘の内なり愛国者

                           摂津幸彦

ういう句を読むと、俳句はつらいなと思う。愛国者の「主義主張」も「悲憤慷慨」も、しょせんは雨に濡れるのを嫌う普通の人々と同じ思考回路(傘)の内にある……。と、一つの読み方はこれでよいと思うが、しかし、ここでは肝腎の「愛国者」の顔がまったく見えてこない。あまりにも漠然としていて、つかみ所がないのである。こいつは、読者には大いに困る事態なのだ。なぜこうなるかは、もちろん俳句が短いという単純な理由によるわけで、作者の「愛国者」観は永遠に作者の内(傘の内)に閉じ込められたままとなっている。そこで読者としては、俳句お得意の取り合わせの妙があるかどうか、作者によって各自にゆだねられた「愛国者」観を通して、それを感じるしかないということになってしまう。作者の書き残した散文を読むと、単なる取り合わせだけに終わっている句を嫌悪しているが、そしてこの句は確かに「単なる取り合わせ」の殻を破ろうとしていることだけはわかるが、しかし結局は取り合わせで読まれるしかない不幸を構造的に背負ってしまっている。そんなハンデを百も承知で、なぜ摂津幸彦は俳句に執したのだろうか。句の「愛国者」をこれまた曖昧な概念の「売国奴」に入れ替えたとしても、作者のねらいは少しも変わらないのではないかと、私には思える。俳句は自由詩じゃない。だからこのように、誰かがつらいシーンを引き受けなければならない場合もあるということなのか。『奥野情話』(1977)所収。(清水哲男)


January 1512000

 春巻きを揚げぬ暗黒冬を越え

                           摂津幸彦

者には「暗黒の黒まじるなり蜆汁」を含む「暗黒連作」があり、これは最後に置かれた句。引用句からもわかるように、ここで「暗黒」は単に暗闇の状態を言う言葉ではなく、物質化した実体のように扱われている。「暗黒と鶏をあひ挽く昼餉かな」では、そのことが一層はっきりする。「暗黒」は、いわば暗闇のお化けなのだ。したがって「冬を越え」の主語は「暗黒」という実体である。軽い意味ではようやく暗い冬の季節が終わりに近づいた安らぎの気持ち、重い意味では自身の内面の暗闇が晴れようとしている安堵に向かう感情。それらの心持ちが、春巻きを揚げる行為のうちにというよりも、「春巻き」という陽性な名前を持つ食べ物があることに気がついたことのなかに込められている。春巻きを揚げている厨房の窓から、すうっと「暗黒」が冬山の向こうへと遠ざかっていくのが見えるような、そんな実体感を伴う句だ。でも、句への発想はふとした思いつきからでしかない。言葉遊びの世界。下手をすれば安手で読めたものではない作品になるところを、徳俵に足をかけ、作者はぐっと踏みこたえている。この踏みこたえぶりこそが、いつだって摂津幸彦の技の見せ所であった。『姉にアネモネ』(1973)所収。(清水哲男)


March 1732000

 鶏追ふやととととととと昔の日

                           摂津幸彦

面的にも面白い句だが、写生句でもある。戦後しばらくの間は、競うようにして鶏を飼ったものだ。少しでも、栄養不良を解消しようと願ってのこと。だから「昔の日」なのである。夜の間は鶏舎に収容しておいて、朝方に卵を生ませる。昼間は運動を兼ねてそこらへんの物を食べさせようというわけで、放し飼いにした。あのころは、表のどこにでも鶏がいた。まだ「バタリー方式」だなんて酷薄な飼い方も、一般には知られてなかった(私は百姓の息子だったので、雑誌「養鶏の友」で知ってましたけどね、エヘン)。「とととととと」は、そんな鶏たちの走り回る様子の形容であると同時に、夕刻に彼らを鶏舎に追い込むときの「とぉとぉとぉ……」という掛け声だ。なぜ「とぉとぉとぉ、ととととと」と言って追ったのか、その謂れは知らない。馬に止まれと命令するときに使う「ドウドウ」にしてもそうだが、誰か動物との対話に長けた先達の発明語なのではあるだろう。我が家は三十羽ほど飼っていたので、夕刻に何度「とぉとぉとぉ」を連呼したことか。鶏舎に追い込むのは、子供の仕事だった。ちょっと哀愁を帯びたトーンのこの掛け声を、京都の詩人・有馬敲さんが自演して、フォーク全盛時代にレコード化したことがあり、いまでも思い出して聞くことがある。過ぎ去ればすべて懐しい日々……。と、これは亡くなった岡山の詩人・永瀬清子さんの著書のタイトルである。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)


August 1082000

 土砂降りの映画にあまた岐阜提灯

                           摂津幸彦

阜提灯は、すずやかで美しい。細い骨組に薄い紙を貼り、花鳥草木が色とりどりに描かれている。元来は、夏の軒端などに吊るして涼味を楽しんだもののようだが、いまは盆の仏前にそなえる提灯として知られている。盆提灯とも言う。掲句の「土砂降りの映画」は、映画に大雨が写っているのではないだろう。傷のついたフィルムを映写すると、雨が降っているように見える。このフィルムは相当に古いのか、傷だらけで、土砂降りのように見えるというわけだ。そんな場面に、たくさんの岐阜提灯が写っている。きゃしゃな岐阜提灯だから、こんなに「土砂降り」のなかでは、たちまちにして崩れ散ってしまいそうだ。その無惨を思って、作者は一瞬目をそらしたかもしれない。そんな錯覚を書き留めた句。まったくのフィクションかもしれないけれど、画面の様子は目に見えるようである。そして言外にあるのは、土砂降りであろうが、死者の霊は必ず戻ってくるということだろう。そのためにも、これらの岐阜提灯は、なんとしても守られなければならぬ。と、咄嗟の優しい心情がにじみ出ている。こう詠んだ摂津幸彦も他界してしまった。間もなく旧盆だ。彼を迎える仏前には、どんな盆提灯が優しくそなえられるのだろう。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)


May 2752001

 黄金の蓮へ帰る野球かな

                           摂津幸彦

者は「蓮」を「はちす」と古名で読ませている。この句に散文的な意味を求めても、無意味だろう。求めるのはイメージだ。そのイメージも、すっと目に浮かぶというようなものではない。「黄金の蓮」はともかく、句の「野球」は視覚だけでは捉えられないイメージだからだ。強いて定義するならば、全体のどの一つが欠けても、野球が野球として成立しなくなる全ての「もの」とでも言うべきか。ここには人や用具や球場の具体も含まれるし、ルールや記録の概念も含まれるし、プレーする心理や感情の揺れや、むろん身体の運動も含まれている。その「野球」の一切合切が「黄金の蓮」へと帰っていくのだ。帰っていく先は、すなわち蓮の花咲く極楽浄土。目には見えないけれど、作者は全身でそれを感じている。句作の動機は知る由もない。が、たとえば生涯に二度と見られそうもない良いゲームを見終わった後の感懐か。試合の余韻はまだ胸に熱いが、もはやゲームが終わってしまった以上、その「野球」は永遠に姿を消してしまう。死ぬのである。いままさにその「野球」の全てが香気のように立ちのぼつて、この世ならざる世界に帰っていくところだ。いまひとつ上手に解説できないのは口惜しいが、好ゲームが終わって我ら観客が帰るときに、ふっと胸中をよぎる得も言えぬ満足感を、あえて言語化した一例だと思った。『鳥屋』(1986)所収。(清水哲男)


September 1292001

 江戸の空東京の空秋刀魚買ふ

                           摂津幸彦

風一過の(か、どうかは知らねども)抜けるような青空が広がっている。この空は、江戸も東京も同じだ。とても気分がよいので、今夜は「秋刀魚(さんま)」にしようと買い求めた。江戸の人も、青空の下で自分と同じような気分で買っていたにちがいない。時代を越えて、この空が昔と同じであるように、昔の人と気持ちがつながった思いを詠んでいる。威勢のよさのある魚だから、江戸っ子気質にも通じている。ところで、江戸期に秋刀魚は「下品(げぼん)」とされていたようだ。つまり、下等な魚だと。例の馬琴の『俳諧歳時記栞草』を調べてみたが、載っていなかった。となれば、「秋刀魚」はごく新しい季語ということになる。あまりにも安価でポピュラーすぎた魚だからだろうか。そりゃまあ、鯛(たい)なんかと比べれば、ひどく脂ぎっているので上品な味とは言えない。そういえば落語の『目黒の秋刀魚』の殿様の食前にも、蒸して脂を抜き上品に調理した(つもりの)ものが出ていたのだった。さぞや不味かったろう。だから「秋刀魚は目黒に限る」が効いている。掲句とは無関係だが、「秋刀魚」の句を探しているうちに、こんな句に出会った。「花嫁はサンマの饅のごときもの」(渡辺誠一郎)。「饅」は酢味噌で食べる「ぬた」。ずいぶん考えてみたが、さっぱりわからない。悔しいけど、お手上げです。どなたか、解説していただけませんでしょうか。両句とも『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


February 2422002

 波羅蜜多体育館にしやぼん玉

                           摂津幸彦

語は「しやぼん玉(石鹸玉)」で春。いかにも春らしい景物だ。「波羅蜜多(はらみった)」は仏教用語、「波羅蜜」とも言う。「宗教理想を実現するための実践修行。完成・熟達・通暁の意であるが、現実界(生死輪廻)の此岸から理想界(涅槃・ねはん)の彼岸に到達すると解釈して、到彼岸・度彼岸・度と漢訳する。特に大乗仏教で菩薩の修行法として強調される。通常、布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・智慧の六波羅蜜を立てるが、十波羅蜜を立てることもある [広辞苑第五版] 」。さて、私などはいい加減に「体育館」と付きあっただけだが、考えてみれば、あそこもまた心身の修業道場である。運動能力の高い友人たちは、みな真剣にトレーニングに励んでいた。何が面白くて、そんなに苦しい練習を繰り返しているのか。半ば冷笑していたけれど、彼らには波羅蜜多の苦しさと同時に恍惚の境地もあったようだと、今にして思われる。そんな修業の場に、開け放った窓からふわりふわりと「しやぼん玉」が舞い込んできた。こちらは、難行苦行などとは無縁の気楽そうな軽さで浮遊している。作者は、まずはこの対比ににやりとしたはずだ。だが、待てよ。波羅蜜多の人は、まだ彼岸への過程に遠くあるわけで、一方の軽々と浮遊する物体は、ほとんど彼岸に到達しようとしているのではなかろうか。どちらが完成熟達の域にあるのかといえば、誰が見てもしやぼん玉のほうである。そして、間もなくしやぼん玉はふっと姿を消すだろう。彼岸に到達するのだ。のどかな春の日の体育館の何でもない光景も、摂津幸彦の手にかかると、かくのごとくに変貌してしまう。『鳥屋』(1986)所収。(清水哲男)


March 1532002

 雲呑は桜の空から来るのであらう

                           摂津幸彦

国では、正月(むろん旧暦の)に「雲呑(わんたん)」を食べる風習があるというが、その形といい味といい、どことなく春を思わせる食べ物だ。点心(てんしん)の一つ。食べながら作者は、ふっとこう思った。この想像が、我ながら気に入って、句にしてしまった。句にしてからもう一度読み下してみて、ますます「あらう」の確信度が強まってきた。そんな得意顔の作者の表情には稚気が溢れていて、微笑を誘われる。地上の艶なる桜のあかるみを、空に浮かぶ雲が写している。あの雲が、この雲呑ではないのか。この想像は、悪くない。楽しくなる。何も連想しないで何かを食べるよりも、このようにいろいろと自然に想像力が働いたら、どんなにか楽しいだろうな。そういうところにまで、読者を連れていく……。なんだか無性に雲呑を食べたくなってきたが、あれは単体でさらりと食べるほうが美味い。世に「雲呑麺」なるメニューがある。けれども、ラーメンライスと同じように、ただ腹を満たすためにはよいとしても、どうしてもがっついた感じが先行する。それに私だけの味覚かもしれないが、雲呑と麺とは基本的に相性がよろしくない。食感が、こんがらがってしまうのだ。さて、間もなく桜の季節がやってくる。花見の後には、雲呑をどうぞ。『鸚母集』(1986)所収。(清水哲男)


November 18112002

 さやうなら笑窪荻窪とろゝそば

                           摂津幸彦

語は「とろゝ(とろろ)」で秋だが、冬にも通用するだろう。物の本によれば、正月に食べる風習のある土地もあるそうだから、「新年」にも。ま、しかし、作者はさして季節を気にしている様子はない。「荻窪(おぎくぼ)」は東京の地名。「さやうなら」と別れの句ではあるけれど、明るい句だ。「さやうなら」と「とろゝそば」の間の中七によっては、陰々滅々たる雰囲気になるところを、さらりと「笑窪(えくぼ)荻窪」なる言葉遊びを配しているからである。つまり作者は、さらりとした別れの情感を詠みたかったということだ。たとえば、学生がアパートを引き払うときのような心持ちを……。このときに「笑窪荻窪」の中七は言葉遊びにしても、単なる思いつき以上のリアリティがある。ここが摂津流、余人にはなかなか真似のできないところだ。笑窪は誰かのそれということではなくて、作者の知る荻窪の人たちみんなの優しい表情を象徴した言葉だろう。行きつけの蕎麦屋で最後の「とろゝそば」を食べながら、むろん一抹の寂しさを覚えながらも、胸中で「さやうなら」と呟く作者の姿がほほえましい。元スパイダーズの井上順が歌った「お世話になりました」の世界に共通する暖かさが、掲句にはある。蕎麦屋のおじさんも「じゃあ、がんばってな」と、きっとさらりと明るい声をかけたにちがいない。いいな、さらりとした「さやうなら」は。『陸々集』(1992)所収。(清水哲男)


January 2512005

 死後初の雪見はじまる縁の家

                           摂津幸彦

語は「雪見」。平城京の昔には年中行事とされていた。高貴な人たちが初雪を賞でたわけだが、時代を経るにつれて庶民のささやかな楽しみの一つに転化した。行われるのも、とくに初雪の日とは限らない。掲句の場合も、友人知己が集っての例年当季の酒盛り程度の軽い意味だろう。自分が死んだ後も、当然のように恒例となった雪見の会が開かれている。いや、開かれるはずである。当たり前といえば当たり前のことながら、そこに自分がもう出られないと予感することは淋しくもたまらない気持ちだ。明らかに、このときの作者は自分の死期が近いことに気がついている。最近「摂津幸彦論」(「俳句」2005年1・2月号)を書いた仁平勝によれば、夫人から聞いた話として「幸彦はこの時期すでに、自分が癌であることをうすうす感づいていた」ようである。しかし、このエピソードを知らなくても、十分に作者の気持ちは伝わってくる。読み解くキーは「縁(私はあえて字余りとなる「えにし」と読んでおく)」だ。誰だって通常出入りするのは「縁の家」に決まっているから、普段はことさらに「縁」を言う必要は無い。だが作者は、あえて「縁」と付けている。すなわち、生きていてこその「縁」を強く意識し、いとおしむ気持ちが激しいからこその措辞と受け取らねばならない。したがって、近い将来にその「縁」が断たれてしまう絶望的な予感のなかで、生への執着と諦念とが交錯し明滅している一句と読めるのである。『鹿々集』(1996)所収。(清水哲男)


October 19102005

 殺めては拭きとる京の秋の暮

                           摂津幸彦

語は「秋の暮」。秋の終りのことではなく、秋の日暮れのこと。昔はこの両方の意味で使われていたが、今では日暮れ時だけに用いる。ちなみに、秋の終りは「暮の秋」と言う。千年の都であり国際的な観光都市として知られる京都は、先の大戦でも戦火を免れ、いまや平和で平穏な街というイメージが濃い。なんだか昔からずっとそのようであった錯覚を抱きがちだが、歴史的に見れば「京」は戦乱と殺戮にまみれてきた土地でもある。古くは十年間に及んだ応仁文明の乱がすぐに想起されるし,新撰組による血の粛清からでもまだ百年と少々しか経っていない。これら有名な殺戮の歴史だけではなく、都であったがゆえの血で血を洗う抗争の類は数えきれないほどあったろう。だが、「京」はそんな殺戮があるたびに、それを一つずつ丁寧に「拭きと」ってきた歴史を持つ街なのであり、さらには現代の「京」にもまたそんなところがあると、掲句は言っている。したがって、この句の「秋の暮」に吹いているのは、荒涼たる無常の風だ。京都市にはいま、およそ1700近くの寺があるそうだが、これら寺院の「殺(あや)めては拭きとる」役割にも大きなものがあったと思われる。それでなくとも物寂しい「秋の暮」に、句から吹き起こる無常の風は、骨の髄まで沁みてくるようだ。怖い句である。『鳥屋』(1986)所収。(清水哲男)


November 09112006

 生き急ぐ馬のどのゆめも馬

                           摂津幸彦

調の無季句。「馬のどのゆめも馬」と、反復のリズムが前のめりに断ち切られ「生き急ぐ」不安そのものを表している。家畜としての馬が生活の周辺から消えた今、馬と言えば走る宿命を負わされた競走馬だろう。数年前の秋の天皇賞、稀代の逃げ馬と称されたサイレンススズカははるか後方に馬群を引き離す天馬のような走りを見せたものの4コーナー手前で減速、ついには立ち止まってしまった。前脚の骨が砕けたのだ。走るために改良されたサラブレットは骨折すると生きてはいけない。予後不良と診断されたサイレンススズカは翌日命を絶たれた。彼ばかりでなくどの競走馬も常に死の影を引きずっている。厳しい戦いを勝ち抜いても、引退後生き残れる馬は一握りにすぎない。「生き急ぐ」宿命を背負わされた馬は馬群にあれば先行馬に追いすがり、トップにたてばひたすら逃げ続けるしかない。「馬」と「馬」の字面に挟まれた厩舎でのつかの間の眠り。夢に放たれてもなお馬は馬と競い合っているのかもしれない。作者は直観的に掴み出した馬のイメージを俳句に投げ入れることで、その背後にある実像まで描いてみせた。この句に漂う哀愁は馬の哀しみでもある。摂津は四十九歳で急逝。今年は没後十年にあたる。『摂津幸彦全句集』(1997)所収。(三宅やよい)


September 2592008

 曼珠沙華思へば船の出る所

                           摂津幸彦

年の今ごろ埼玉の高麗へ曼珠沙華の群生を見に出かけた。鬱蒼と茂る緑の樹下のどこまでも真っ赤な曼珠沙華が広がり広がり続くので不安になった。「曼珠沙華叫びつつ咲く夕焼けの中に駆け入るひづめ持つわれは」(小守有里)という歌のままに、この不思議な花を見つめている自分が内側から歪んでゆくような妙な気分だった。地面からするすると緑の軸が伸びてきて花を開くのが彼岸どきというのも出来すぎている。摂津の句は夢のようなつじつまのあわなさが魅力であるが、この句の場合は「曼珠沙華」と「船」が現実と非現実を結ぶ紐帯となって読み手を不思議な世界へ誘う。ゆく船を見送る寂しい気持ち。その気分は「曼珠沙華」が呼び起こすあの世への旅立ちとも繋がっている。「思へば」という動詞が現実の曼珠沙華から船着場の映像をだぶらせる効果的な言葉として働いている。摂津の句を読んでいると実人生と言葉の二重性を生きた人のせつなさが感じられてしんとした気持ちになる。『摂津幸彦全集』(1997)所収。(三宅やよい)


August 2682010

 雀噴く百才王の破顔より

                           摂津幸彦

頃の百才は暗い話題が多いが、これだけの年月を生き抜くのは簡単ではない。長寿の記録だけが残り当人が行方知れずであったり、死を隠されていたりというのは寂しすぎる。身分制度が厳しく着るもの、食べるもの、髪型まで制限されていた江戸時代であってさえ、百才を越した老人はそんな取り決めごとは無視してよく、農民であっても武士へ文句が言えたと白土三平の『カムイ伝』で読んだことがある。百までたどりつけば人間を超越した存在になるのだから何をしても天下御免の「百才王」というわけだろう。そうした老人が皺くちゃの顔をくずして破顔一笑するならば、その僥倖を人に分け与えるかのように沢山の雀が噴き出すとは、なんて豪勢な光景だろう。雀たちの可愛く元気なありさまを百才王の笑顔に寄せたところに愛情を感じる。『摂津幸彦全句集』(1997)所収。(三宅やよい)


June 2162013

 履歴書に残す帝国酸素かな

                           摂津幸彦

なで終わるのだから、帝国で切れずに帝国酸素と一気に読むかたちだろう。履歴書が出てくるから帝国酸素は会社名という想定だろう。実際にありそうな社名だが実在したかどうかはどちらでもいい。帝国酸素という社名から作者は大戦前の命名という設定なのだ。「残す」だから過去に存在したという意味が強調される。帝国が滅びてその名が社名に残っている。そこを突くアイロニーがこの句の狙いだ。「酸素」にはそういう空気はその後もつながっているという仕掛けもあるのかもしれぬがそれは作者の想定外かもしれない。定型のリズム575をその区切りで意味を繋げないで転がして思わぬ効果を狙う。この句で言えば「かな」はただゴロの良さによって口をついて出るあまり意味のない切れ字だ。俳句という枠の中で何かを言うという作り方ではなく湧いてくる言葉の片々をパズルのように並べてみて一句の効果を計る作り方だ。『摂津幸彦選集』(2006)所収。(今井 聖)




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